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三回忌と十三回忌の併修で気をつけること
- 今年は、亡母の三回忌と祖母の十三回忌があります。
- 施主は、父が勤め、妻と母の回忌を勤めることになります。
- 日取りや供花、ご荘厳などの準備について迷っています。
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坊さん@浄土真宗です。 (1)すでに日取りも決定していると言うことは手次寺の了解が取れているのでしょうからそのままでかまいませんが、 そもそも併修を受け付けるかお受けしないかもその寺院ごとに異なり宗派とは関係がありません。またどちらに合わせるかも決まりはありません。ただ、世俗の「早いほうにあわせる」というのは一般には事実上不可能とおっしゃる命日の早い方の法要に合わせて併修とする家が多いです。宗教上の問題ではなく習慣としてでありますのでそのとおりでなくても問題はありません。 (2)1月下旬の僧侶の月参りはあくまで月参りですので、平常時の三具足のままです。 祖母さんの命日が気になるのでしたら ・祖母さんの命日の日には五具足にして、家族で揃ってお内仏(仏壇)にお参りをする。とか ・1月だけは祖母さんの命日(1月中旬)の日に合わせて月参りを変更してもらうとか ・1月は祖母さんの命日とお母様の月命日と2回月参りを行ってもらうとかの方がスマートです。 供華は三回忌も十三回忌も黄白以外の青系を若干入れた仏花でも問題はありません(三回忌までは出来るだけ赤を除いた雑花式)。(打敷は金襴でかまいません)。この点はお仏壇が1間仏間とかご本尊が100代、150代、200代と大きいお仏壇の場合にはそれなりに略さず、供華も上卓の華瓶の樒、前卓の花瓶に立花式(平常時は捌真、年忌法要等重要法要時には巻真または笠真)とします。
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- amida3
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>「お仏壇が1間仏間とかご本尊が100代、150代、200代と大きいお仏壇の場合には...」 仏壇が大きい場合には仏具も大きく飾りつけも略さずに出来ますが、小さいと仏具も小さく、荘厳は略す結果になります。前卓もありません。 したがって、荘厳にこだわっているようですが、花瓶も小さいですのでそもそも本格的には出来ないという意味です。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 荘厳にこだわっているのではなく、ご回答頂いた意味― 小さな仏壇は略さないと収まらないということは、すでに了解していたのですが、 ただ、お恥ずかしいことに その、「100代、150代、200代」がわからなかったのです。 ..それで思わず、サイトで検索しますと、浄土真宗における掛け軸(ご本尊)の大きさの単位だったのですね。 100代は、100文相当で頂ける大きさの掛け軸。歴史を感じます。 私の菩提寺の仏壇は、門徒が頂くものとは、意味がぜんぜん違うと思いますが、高さがおおよそご住職の2倍、幅は、高さの半分ほどあるような気がしました。 ありがとうございました。
- amida3
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再度、坊さん@浄土真宗です。 No1さんへのお礼を拝見し、「浄土真宗の教義に沿った原則」なるものを気にされているようですが、ご質問には浄土真宗の教義に関わる部分が存在しません。教義とは関係の無いことで気にされているだけです。 教義上で言えば(1)も(2)もその回答は「どちらでも良い。どうでも良い。お好きにどうぞ」となります。 日取りの件の理由で、ご参列の方が総じてご高齢で厳寒期での無理を考慮は問題の無い理由ですが、「この時期は松の内が明けてから1週間以内に日を設定しなければならないこと」という考え方は浄土真宗的ではありませんし、松の内に命日の方などがこの時期でもきちんと年忌法要を行っていることを考えれば、そのようにきちんとやっている方に失礼です。松の内であるとか松の内が明けてから間もないからと言う理由で時期をずらすと言う考え方が、そもそも仏教的ではなく教義上問題が生じそうな考え方です。
お礼
上記の補足に書かせていただきましたように、文章表現が不適切でした。しかし、「文章は心をあらわす」とも言えます。 松の内が明けてから.. という表現の中からは、「松の内(正月)は弔事を避ける」という意味合いのことを私の小学校までのときに家族や親戚のものが言っている中で、「そんなもんなんだ」と理屈抜きに刷り込まれた観念が、まだ深層心理に残っているかもしれません。 そういうことにも自身で気づきながら今後の正しい行動をしたい.. と新たに気づ貸せて頂いたご回答でもありました。 ■恐縮ですが、もしお気づきになられましたら、上記の「No.2の方の再質問」に回答頂くとありがたいのですが。 (2010年2月末くらいに締め切りをしたいと思っています)
補足
大変失礼いたしました。 > 松の内であるとか松の内が明けてから間もないからと言う理由で時期をずらすと言う考え方 こういう考え方の認識は、私はまったくしておりません。 三ヶ月目の忌明け法要を避けるとか、六曜など、出所の違う考え方に一切かかわらない浄土真宗の考え方を理解しております。 文章表現が不適切でした。 それに、松の内の時期に行っている方に失礼な表現になってしまっていること、そのとおりで、申し訳ありません。 「この時期は松の内が明けてから1週間以内に日を設定しなければならないこと」 祖母の命日が、1月の半ばのために、それに出来るだけ近づけて設定するのであれば、土日の配列が悪い場合を想定すると、2週間さかのぼると4日前後になることから、そうした表現になってしまったのです。 お詫びして、訂正いたします。 それと、No.2の方の再質問になりますが(こちらの欄ですみません)、 「お仏壇が1間仏間とかご本尊が100代、150代、200代と大きいお仏壇の場合には...」このところが、よくわかりません。 私の今の仏間は、座敷間と併用で、小さなお仏壇が押し込むと壁の中に入ってしまうタイプです。(ただし、常時引き出してありますが)。
- cactus48
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浄土真宗の事は浄土真宗の方が詳しいと思いますが、派によっても考え 方が違いますから、このような事は御父さんが自ら御寺に行かれて相談 する事が大切と思います。あなたは単に準備をされるだけで、法要時を 全て取り仕切られるのは御父さんですから、あなたが御父さんに助言を されて下さい。 法要には必ず御寺の和尚様(宗教によって呼称が違うので、一般で使わ れている呼称で書いています)が同席をされ、御経をあげて頂きます。 何処の家庭でも法要前には御寺と事前の打ち合わせがあり、家側で勝手 に取り決めをする事はありません。その時に必要な物や避けなければい けない物などを、和尚様から伝えられます。 三回忌と十三回忌を一緒に行われるのですから、これも和尚様の指示に 従われる方がいいと思います。 一月中旬では時間がありませんから、明日にでも御寺の方に打ち合わせ に行かれた方がいいと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そして、お気遣いありがとうございます。 父は、菩提寺の檀家の役をしており、寺へは割合に足を運んでいます。 近隣で、80台で幸いに足腰もそこそこ丈夫で元気ということから、寺のほうからも長老として大事がられているようです。 そんな関係の上で、昨年の10月の母の命日参りのときに、併修の旨と、日は今年2月下旬の母の命日にあわせることで、了解を得ています。 変則的な休日の私は、平日の命日でも出席できるときは夫婦で同席しており、住職とも結構懇意にお話しているのです。 日取りの件も、祖母の方にあわせることが、よりよいのかもしれませんが、この時期は松の内が明けてから1週間以内に日を設定しなければならないこと、ご参列の方が総じてご高齢になり、厳寒期では無理があることなどを考慮し、父と候補の日を決め、会館の仮予約をし、菩提寺の住職に提案したものです。 後から言って恐縮ですが、この質問の背景には、上記のような現実的な方法はあるでしょうが、浄土真宗の教義に沿った原則をきちんと理解しておきたかったのです。いつまでも、父に頼るわけにいきませんし。 現実的に、私や妻の世代になるのに、そう時間は残されていません。 母の没後、私に喪主として、譲ったほうが精神的体力的にもいいと、提案しましたが、頑として聞き入れず、なお仕切っている現状です。 ある意味で、仕切るのは楽しみというか生きがいのようです。 ですから、それを奪うのも..と思っています。
お礼
日取りと供華の件で、明快にご回答いただき、ありがとうございました。次のように理解いたしました。 (1)併修の場合の日取り 一般には、命日の早い方の法要に合わせて併修とすることが多い。 これは、浄土真宗上のきまりではない。 (2)お内仏(仏壇)における供華 三回忌までは出来るだけ赤を除いた雑花式 七回忌以降は、黄白以外の青系を若干入れた仏花 市販の「仏花」には、えんじの菊などがいつも一緒に束ねてあり、母の一周忌までは、お願いして「黄白」のみで作ってもらっていました。 1月の月参り時と祖母の命日への対応として、スマートなものの提案を頂き、ありがとうございました。 親族を招いての祖母の十三回忌が、2月に母と併修で執り行われるわけですから、 ・祖母さんの命日の日には五具足にして、家族で揃ってお内仏(仏壇)にお参りをする にしようと思います。 ※母は、4年あまりの闘病の後、肺がんでなくなりましたが、子供である私と弟に対して、手紙が書かれてありました。 特に力点を置いて書かれていたのが、自分が亡くなってからの仏事のことでした。 着せてほしい着物や数珠の保管場所、枕経以降の執り行いの要領、ご荘厳や仏間の掛け軸等、茶器、親族の方の寝具など、すべてにおいて行き届いた説明や図示がありました。残された父の場合の死後の段取りなども書いてありました。 そして、あまりいつまでも悲しまないこと、力強く生きてほしいことで結んでありました。 これにより私たちは、一切の仏事を滞りなく自信をもって進めることが出来たのはもちろんですが、他人事のようにとらえていたお寺とのかかわりが身近になった感慨があります。 余計なことまで書いてしまいました。 この質問が、上記のような母の「段取り指南書」にもとづく、仏教観とのかかわり、お寺との暖かいかかわりのなかから、私なりに理解した流れの中から出てきたことを、お伝えしたかったのです。 ありがとうございました。