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ミケランジェロのダヴィデ像に対する当時の人々の反応について

ミケランジェロのダヴィデ像を初めて見たときの フィレンツェ市民や聖職者の反応についてご教授願えないでしょうか。 キリスト教的な価値観では裸体は隠すものであったと思います。 全裸の巨像を見たときの市民たちはさぞかし驚いたのではないでしょうか? またカトリックの聖職者たちはこの裸体にクレームをつけなかったのでしょうか? もし良ければ、参考文献も教えていただけると大変有り難いです。

みんなの回答

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.3

ギリシャ彫刻などをみますと、全裸、あるいは全裸に近いものがあり、ローマ帝国は数多くのギリシャの彫刻をもってきて市内に設置していたようなので、生まれたときから庶民は裸体の彫像に関して親しんできたと思います。 この文化圏に育ってない人はびっくりしたでしょうけど。 ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ビンチ、ボッテチェリ。 彼らはみな異端的な人たちでした。 しかし、教会は絶対的な権力を持ち、異端審問も設置していたので、異端だと判断されると、拷問の末殺されていた時代ですから、正面からではなく、自らの作品の中に教会の虚構を見抜いていたことを示していたようです。 教会に行ける人は恵まれていた人たちだったと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%93%E3%83%87%E5%83%8F_(%E3%83%9F%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AD 『もともとヴェッキオ宮殿の入口脇にはドナテッロのブロンズ像「ユディトとホロフェルネス」が置かれていたが、これを移動してかわりにダビデ像を置くという市当局の決定には、反メディチ家という意図が隠されている。「ユディトとホロフェルネス」も同じく英雄的な抵抗運動による暴君からの解放をテーマとするものであるが(詳細はユディトを参照)、元来はメディチ家礼賛のために作られた像だからである。』 メディティ家といえば、レオ10世ですが、「グノーシスの薔薇」に表現されているような人物であれば、カトリック教会のトップの教皇でありながら、男色家だったことになりますね。 夜な夜な男と。。。。。。 というわけで、本当に男色家であったなら、教皇はダビデ像の裸体に大満足だったのでしょう。 キリスト教は、男は罪が無いが女は汚らしいけだものだと教会で教えていました。 「女は糞尿の容器である」と教えていたそうです。 ただし神様は別なようで、ボッティチェリのビーナスの誕生はOKだったようです。 とにかく「女は汚い、聖職者ともあろうものが、汚らわしい結婚などとんでもない。」というわけで、聖職者は独身を貫くよう決めたわけです。 が、そうなると聖職者の関心は神に向かったか? いいえ 少年達に向かった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4%E6%84%9B 従って聖職者たちは男の裸体の彫像は、大歓迎だったってことになります。 もちろん 同性愛がバレるとやっかいですから、密かにだったようです。 薔薇の名前のビデオを観たことがあります。 教会では贅沢な食事をして、その残飯が教会の外にどっと吐き出される。 するとその残飯に群がる町の人たち というか 住む場所も無いホームレスの人たち。 というわけで、教会から出る残飯を奪い合う人が、教会に行けるはずはない。 貴族や金持ちだけが行っていたわけですよね。 市庁舎(ヴェッキオ宮殿)の正面入口脇に、一般の人がおとづれることができたのかどうか知りませんが、もし見たら、欺瞞と虚構の集団に向かって自分の代わりに石を投げようとしているダビデを応援し励まされもしたでしょう。 しかし、教会が腐敗して、みさかいなく金を使ったことで、芸術が盛んになったのは皮肉な結果です。 しかし、どの本で読んだのか忘れしたが、トップが変わるとそれまであった教会敷地内の裸体の彫像を「破廉恥」として、陰部を全部削るように命令し、本当に削ってしまったという時代があったらしいです。 これで、芸術作品を削って無価値なものにしたわけで、芸術よりも貞操を説く教皇もいたってわけですね。

  • d-y
  • ベストアンサー率46% (1528/3312)
回答No.2

ミケランジェロの半世紀ほど前にドナテッロという人が作ったダビデの銅像が、ルネッサンスの裸の立像としては初めてだったらしく、そのときには社会に衝撃を与えたという記載があります。 http://en.wikipedia.org/wiki/David_%28Donatello%29 ミケランジェロのダビデの方には、そういう記載はありません。もともとドナテッロの弟子が作成する予定だったダビデですから、当時の市民にとっては「想定内」だったのかもしれません。 http://en.wikipedia.org/wiki/David_%28Donatello%29 ミケランジェロのダビデのエピソードとしては、トスカナ大公からダビデ像のレプリカを贈られた英国のビクトリア女王が、一目ご覧になって、大ショック、「無花果の葉を作って隠すように」とお命じになった、というお話があるようです。 http://www.vam.ac.uk/collections/sculpture/stories/david/index.html

  • nemosan
  • ベストアンサー率22% (582/2598)
回答No.1

とりあえず… http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%A5%C0%A5%D3%A5%C7%C1%FC_(%A5%DF%A5%B1%A5%E9%A5%F3%A5%B8%A5%A7%A5%ED)/detail.html?LINK=1&kind=epedia 参考サイトには、裸が理由ではないが何処に設置するかで揉めたと書いてありますね。 また、レプリカをエルサレムに送ろうとした時は、裸を理由に断られた!とも…。

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