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信じるということの別表現について
信じるということはあることを否定しないことだというのを見たのですが、否定するというのは「~がない」ということを言うときだけが否定なのでしょうか? そうすると、あることをあると言って、「~がない」と言わないときは、すべて信じているということになってしまうのでしょうか? 自分としてはちょっと納得できません。ご教授お願いします。
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信じるというのはその対象の前提を疑わないということではないかと思います。
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- shift-2007
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>信じるということはあることを否定しないことだ もしかすると、この解釈が違っているんじゃないでしょうか。 例えば、 信じることは神を否定しないことだ。 とすると、”神を否定する”は神なんて存在しないという意味の否定じゃなく、神は存在するが私には必要ないから神の言葉には耳を貸さない、という意味の否定じゃないでしょうか。 どちらかというと拒否の方が近いかもしれません。
お礼
>もしかすると、この解釈が違っているんじゃないでしょうか。 確かにそれもあり得ますね。この解釈をやめれたらやめたいと思います。 >例えば、 信じることは神を否定しないことだ。 とすると、”神を否定する”は神なんて存在しないという意味の否定じゃなく、神は存在するが私には必要ないから神の言葉には耳を貸さない、という意味の否定じゃないでしょうか。 確かにそういうふうな否定と捉える場合もあれば、神そのものの存在を否定しているときもあると思いますよ。 また、自分としては拒否も否定も同じだと思うんです。
- ANASTASIAK
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キリスト教に入信するときにはいくつかのことを信じることが 求められます。それは思索を要しないものです。まるごとそれを 受け入れることです。イエス自身も「誓うな」という教えの なかで、神への誓いをどちらかの答えをすることだと言って います。
お礼
確かに疑うと辛くなるときがあるから、疑わない方がいいと思います。 それで、信じるとは疑うとはどういう状態のときのことをいうのかと疑問に思ってしまったんです。 本当に信じている状態なのか、信じていない状態なのではないかと。 ご回答ありがとうございました。
- mijinco
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好き、愛してるにも、それを表現する人の内面やその対象によって様々なレベル(必ずしも他と比べられるわけではありませんが)があるように、「信じる」にもいろいろあるということです。
お礼
確かに、そうなんですよね。 ご回答ありがとうございました。
- avrahamdar
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たとえば友達が罪を犯したとします。 そのときに、「そんな奴だとは思わなかった。お前なんか絶交だ」と言ってしまえば、『罪を犯した友人』を否定することになります。 そうではなく友人が罪を犯したことを認めたうえで何か理由があったとか考えたり、それでも友人として受け入れるというのが、信じること。そういう意味でしょうか? ぶっちゃけ世界共通の真理ならいざ知らず個人の頭で作った俺理論など他人が解説できるわけないです。せめて原本なりその理論が示された背景なりがわからないとどうにも出来ません。
お礼
>そのときに、「そんな奴だとは思わなかった。お前なんか絶交だ」と言ってしまえば、『罪を犯した友人』を否定することになります。 確かに否定している感じですね。やはり、「罪を犯したお前は友人ではない」と言わなくても否定していると言えるんですね。回答ありがとうございました。 > せめて原本なりその理論が示された背景なりがわからないとどうにも出来ません。 下の「信じることと疑うこと」というサイトの「否定」を参考にしています。 http://home.hiroshima-u.ac.jp/ykondo/belief.htm
「肯定する」「認識する」などの表現もありますよね。
お礼
確かに「認識」というのは、ただ認めているだけということで、信じるという表現に近いですね。勉強になりました。 回答ありがとうございます。
補足
>信じるというのはその対象の前提を疑わないということではないかと思います。 信じない状態というのは疑わないときだけじゃなく、疑っていないときでも信じていない状態がある気がするんです。 たとえば、明日は雨だというのを信じていないとき、明日は雨じゃないと、明日が雨であることを否定していて、明日が雨だということを疑っていないと思うんです。 それとも、否定というのは疑うということなのでしょうか?