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双子の武将
ふと思ったのですが、歴史上の人物の中で、あまり双子の存在を耳にしたことがありません。戦国武将や幕末の志士などに、双子、三つ子などのがいたという話はあったのでしょうか?
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平安後期の武将、逸見光長と武田信義は双子です。同日の光長は巳の刻、信義は午の刻生まれです。尊卑分脈などに書かれています。 「後から生まれた子の方が腹の中で上にいたので兄とされた」という話を聞いたことがありますが、太郎を称する光長が長男となっています。
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- koon1600
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以前の回答そのままですが・・・有名な人がほとんどいない理由は、双子、双生児といったものが東西とわず忌避される対象であったからです。日本では、畜生腹とか畜生孕みなどと称され忌み嫌われました。 日本では戦前まで双子は同じ服にしないとだめとかという迷信はもとより、どちらかは隠すということが一般的だったようです。つまり、どちらか一方を外の世界に出すが、どちらか一方は死ぬまで幽閉か、もしくはどこかまったく関係ないところに捨てるか、生まれてすぐ殺害するわけです。そういう風習(というか慣習)がありました。 特に男女の双生児の場合は前世の心中の名残などといわれ、もっとも忌み嫌われる組み合わせでした。 西洋でも特に領主層は神聖性の欠陥などと揶揄されるのを非常に嫌い、どちらかは城に一生閉じ込めるか殺すかの処置を多くとり、そしてもう一人を単生児として処理するといったことを行ったのです。 もともとは世継ぎ(両方男のばあいどちらが継ぐのかという争いが起こりやすい)等の問題が理由らしいのですが、いつのまにか宗教(キリスト教は性などに対して非常に過敏な宗教ですので・・)なども絡んできたようです。 貴賎とわずこういった風習は見られ、必然的に有名人が多く属する上級階級ではその性質はさらに強かったようです。よって双子の人物の記録は残りにくいのです。
お礼
回答有り難う御座います。 養子はおろか殺害、幽閉されてしまった子は悲惨ですね・・・ (そういえばそういう映画や話もありましたね) 相続問題は、たしかに普通の兄弟より遥かにややこしいはなしになりそうですね。
- buchi-dog
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双子は未熟児状態で生まれることが普通です。 前近代社会では 「産めずに母子とも死亡」 となることが多かったでしょう。 生まれてからも、成長できずに早期に死亡する率が普通の子供より顕著に高かったのは想像がつきます。 この辺、現代の発展途上国、例えば北朝鮮の双子事情など参考になるでしょう。ほとんど「母子とも死亡」になっているのでは。
お礼
回答有り難う御座います。 そういう場合もあるのですね。考えてみればそうですよね・・・ いまだからこそ5つ子なんていらっしゃったりしますが、当時5人はおろか2人同時に元気に生まれてくる保証なんてありませんよね。
#1さんが指摘されてるように、双子は公には出来ず、噂の領域ですけど 結城秀康(徳川家康次男)と永見貞愛(知立神社神職) 堀田正仲(大老堀田正俊の長男、陸奥福島藩主)と堀田正虎(大老堀田正俊の次男、出羽山形藩主) * これは割りと信頼性が高い 三笠宮崇仁親王と奈良円照寺門跡山本静山尼(絲子内親王) * 週刊誌に依れば、積極的な否定はしていないが、肯定もしていない。
お礼
回答有り難う御座います。 双子説が残っている方々もいるのですね! 、ということはこの方達は双子の片割れを養子に出したりはしなかったのでしょうか・・・?
- fitzandnao
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昔は双子は畜生腹と言われて嫌われていました。 片方を養子に出す、女装させるなどしたので、同じように育つことがなかったと思われます。
お礼
回答有り難う御座います。 そういえば以前そんな話を聞いたことがありました! 養子に出されてしまった子は可哀想ですね・・・
お礼
回答有り難う御座います。 史実として残っている方もいらしたのですね! 下記のように養子等にされなかったのはなぜなんでしょうか? 名前を聞いたのも初めてでしたので、少し調べてみようと思います。 皆様有り難う御座いました。大変勉強になりました。すべての方にポイントを差し上げることが出来ないのが残念です。 それにしても皆さん本当に物知りですね・・・!!