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戦国武将の銅像について
ネットで「馬に乗っている戦国武将の銅像は、馬が上げている足の数で死因が異なる(分かる?)」という様な話を見かけたのですが、これはちゃんとした説なのでしょうか?それとも、単なる都市伝説みたいなものなのでしょうか? 歴史はめっぽう弱く知識が全然なく、私は初めて知ったんですが… どなたかお詳しい方、ぜひ教えて下さい!m(__)m
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多分、米経由(?)の都市伝説であると思われます。 元のフォークロアは 騎馬像の人物のうち馬の足が 1本上がっている場合、戦役に於ける負傷を 2本上がっている場合、戦役に於ける致命的な負傷 を暗示する、というものです。 特に南北戦争の激戦地であったゲティスバーグ(リンカーンが戦後に有名な演説-人民の人民によるって奴-をぶち上げて、その割に無視された)古戦場では、そのような説が喧伝されていた形跡があります。 ただし、この古戦場にある騎馬像にしても、じつはその法則に反しているモノがあり うさんくさいと言わざるを得ません #戦死した将軍http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AFの像の馬が4本とも足を地につけている ちょっと遠いけど写真がこちらhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Gettysburg_National_Military_Park_42.JPG また、本邦に於ける作例として、ウィキペディアの「騎馬像」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E9%A6%AC%E5%83%8F 項を見てみましょう。 ここには現在写真が20枚貼ってありますが 伊達政宗:像2体が貼ってありますが、1枚は足を上げず、2枚目は足一本。 説を信じるなら、負傷しなかった正宗公と負傷した正宗公がいらっしゃることになる 楠木正成:戦死(敗戦後に自害)したが、上がっている足は一本 有栖川宮熾仁親王:広島大本営在営中に病気に。コレが元で薨去。銅像は足一本 北白川宮能久親王:台湾出征中に病気に。コレが元で現地で薨去。銅像は足一本 小松宮彰仁親王:軍歴有り。病没 銅像は足一本。 大山巌:演習参観後に病死。足はゼロ 新田義貞:戦死(一説に戦闘中に自害)。足2本 と、半分も見ないうちに「法則」では全然説明できない事態に陥っています。 #特に皇族関係で説明が付かないのは致命的でしょうね。 つまり、ガセです。
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- kangaroo-D
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私も初めて、聞きました しかし、眉唾ものです 戦国武将の銅像をそれほど知っているわけではありませんが、例えば仙台にある伊達政宗の像と、上田にある真田幸村の像。 どちらも騎馬像で、馬の右前足を上げています しかし、政宗は病死で、幸村は討ち死にしています
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ご回答ありがとうございます。やっぱり所詮眉唾物の話だったんですね;本当なら面白いのになぁとちょっと期待してしまいました(笑)
お礼
大変詳細なご回答ありがとうございます!とても勉強になりました。事実だったら面白いのになぁと期待してしまいましたが、ガセネタなんですね;ちょっとガッカリですが、いい勉強の機会になりました!