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罪悪感は本能でしょうか、理性でしょうか
罪悪感とは本能なのでしょうか。それとも理性なのでしょうか。
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生物学的に規定されている部分と、文化的に規定されている部分と両方がありそうです。純粋な本能ではないだろうし、完全に文化のみに依存するものでもなさそうです。 近年についていうと、おそらく生物学ないし心理学で道徳や公正感の進化的起源を本格的に問題とするようになったのは、フサオマキザルが不公正を嫌うという実験があってからだと思います。セイラ・F・ブロズナンと、フランス・B・M・ドゥ・ヴァールによる実験です。 Brosnan, S. F. & de Waal, F. B. M. (2003). Monkeys reject unequal pay. Nature, 425, 297-299. http://www.nature.com/nature/journal/v425/n6955/abs/nature01963.html 石と食物との交換を訓練したあと、隣のサルは石とブドウとを交換してもらっているのに、自分(サル)は石を出してもキュウリしかもらえていない、という状況をつくってやります(キュウリよりもブドウのほうを好むということがわかっています)。すると、何人かのサルは、石の交換を拒否するような結果になりました。これと補足の実験とで、サルには原始的な公正感があるだろうと結論づけています。 ドゥ・ヴァールは、道徳などとかかわるかたちで、共感についても研究しています。京都大学霊長類研究所設立40周年で来日し、共感について講演するようです。6月1日に京都で、6月3日に東京であります(おそらく通訳はありません)。 http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/official/40nen/index.html http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/official/40nen/tokyo.html チンパンジーを見ていると、「やってはダメなこと」と理解しているようにも感じられますので、「罪悪感」そのものが人間のみに特有な文化的なものだとしても、その基盤(たとえば、公正感など)は霊長類の段階ですでに成立していたと考えてもよいと思います。
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- ruehas
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こんにちは。 既にご回答が寄せられていますが、「罪悪感」は間違いなく本能ではありませんよね。 「本能行動」といいますのは、その動物が生まれる前から遺伝的にプログラムされている反応規準に従って行われるものであり、「生後の体験学習結果とは一切の関係がない」というのが原則です。これに対しまして、「罪悪感」といいますのは過去の体験学習に基づいた結果に対して発生する「情動反応」であり、これは紛れもなく「学習行動」です。そして、過去に発生した結果に対して「不利益・後悔」という判定を下しているのが「理性」ですね。 過去の体験に基づいて何らかの判断を下すのは、それは、その判断を基に未来の結果を予測し、新たに「計画行動」を選択するためです。従いまして、理性的な判断によって選択されるものは、その全てが原因と結果の自覚された「意識行動」であり、過去の記憶情報を基に選択される「計画行動」ということになります。 このように、「罪悪感」といいますのは過去の体験に基づく「学習行動」であり、「理性」とは学習行動を行うためにあるものです。ですから、それは明らかに本能行動ではないということですね。 回答は以上です。 >愛犬にかみころされた人の話を聞き、その犬に罪悪感はあるのだろうかと思い、この質問をしたのですが、やはり動物にそのような感情はないのですね。 ちょっと目に止まりましたので余計な話です。 イヌや多くの動物にも感情というものはありますよね。「感情」とは哺乳類と鳥類を含めた高等動物の脳の特徴に由来するものであり、餌を与えれば喜ぶ、危害を加えれば怒る、脅える、その喜怒哀楽の発生パターンは我々人間と全く同じです。 「理性」とは「情動に優先する判断」と定義されます。そして、「情動」といいますのは自分にとっての「利益・不利益の価値判断」が下されることによって発生するものであり、この判定に基づいて選択されるものを「情動行動」といいます。 これに対しまして、その場の感情には従わず、過去の学習体験を基により価値の高い「未来の結果」を選択するのが「計画行動」です。例えば、イヌが飼い主の帰宅に大喜びし、真っ直ぐに駆け寄って来るのは情動行動です。ですが、自分には目の前にある垣根を飛び越えることができないと分かりますと、イヌは一旦コースを変更し、垣根を迂回して主人の下へ向かうという「計画行動」を選択します。このとき、過去の学習体験に基づき、最終的にはどちらが利益であるのかを判断するのが「理性」であります。 つまり、理性行動といいますのは情動行動に優先し、「損して得取れ!」という計画行動であり、イヌが垣根を迂回して主人の下に駆け寄って来るのは、それは情動行動を抑制した立派な「理性行動」ということになります。このように、イヌには人間と同様の感情があり、更にそれをコントロールすることのできる理性も備わっています。 さて、「罪悪感」といいますのは、過去の結果に対して判断を下し、それが自分にとって不利益であると自覚されたときに発生する情動です。では、主人を噛み殺したことが自分にとって不利益であると自覚できるならば、そのイヌにもちゃんと罪悪感が発生するということになります。 ですが、イヌに罪悪感があるなんていう話は、幾ら何でもおいそれと受け入れられるものではありませんよね。自分の主人がいなくなってしまって寂しいという情動が発生するならば、明らかにイヌはそのことが自分にとって不利益であるという判定を下しているということです。そして、それが過去の出来事であるならば「後悔」という感情と全く代わりはありません。ですから、それが不利益と学習されるならば、次からはそのイヌは主人を噛み殺すなどということはしなくなります。 では、ここまでの精神構造は我々人間と全く同じです。ですが、ただひとつ違うところは、イヌには主人が死んでしまったこと、それから、それが自分のせいであることを理解できないということですよね。ですから、そのイヌは主人がいないことを悔やむことはあっても、罪悪感を抱くのは無理というわけです。 イヌには我々と同様に感情も理性もあります。ですが、それが他者であれ自分自身であれ、イヌには「死」といった高度な概念を認識することができません。 それは飽くまで「情動に優先する判断」であり、主人を殺してしまうならば自分の未来に不利益の発生することを事前に予測するというのが理性であります。ところが、やはりイヌですからね、ひとが死ぬということそのものを理解できないのですから、可哀相ではありますが、通常、そのワンちゃんがそこまでを知ることはどうやってもできなかったわけですよね。 ですから、イヌが死というものを理解できるならば、後悔という感情に伴って罪悪感は発生するはずです。では果たして、イヌに罪悪感が発生しないというのは、それは理性のある無しではなく、飽くまでその概念の複雑さ、何処まで高度な思考が可能であるのかの違いでしかないということになります。この違いを裏付けているのは脳の解剖学的な構造ではなく、大脳皮質の発達と生後学習の結果であります。ですから、まだ幼く、物心の付かない子供には、ある程度成長するまで罪悪感を覚えることはできないわけですよね。 理性や道徳観といったものの論議を全く排除したと致しまして、我々人間に罪悪感があり、イヌにそれがないのは間違いなくこのせいです。ですが、では大脳皮質がどのくらい発達し、どれだけの学習体験を積み重ねればそれが罪悪感になるかを科学的に線引きするというのは、それは恐らく、ちょっとできないのではないかと思います。
お礼
人間以外の動物は死を理解できないというのは、なるほど納得です。 ありがとうございました。
- Denkigishi
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善を善、悪を悪と判断するのは理性の働きだと思います。よって、罪悪感は理性によるとものと考えます。おそらく人間以外の動物には無い感情でしょう。
お礼
ありがとうございます。 愛犬にかみころされた人の話を聞き、その犬に罪悪感はあるのだろうかと思い、この質問をしたのですが、やはり動物にそのような感情はないのですね。
お礼
おもしろいですね。ものすごく興味深いご回答でした。 ありがとうございました。