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罪悪感
子供の頃はオナニーや18禁の雑誌やビデオなどに罪悪感を感じていましたが、こういうことで罪悪感を感じるのはなぜでしょう?
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人が罪悪感を持つというのは、人間社会の中で人として生きており、 自分のした行為がその社会の中では許されないのではないかと 本人が感じた時に生じるものです。 この場合 (1)行為をしたことにより快感を得た。 (2)それは人には言えない行為だと思えた。 (3)故にその行為は社会的に許されないのではないかと思った。 (4)人には言えない行為=罪な行為である。 ●それが【罪悪感】であるとの考えに至った。 人間ではない動物、たとえば人に近い猿にマスターベーションを教えると、 何時でも仲間が見ていようが関係なくその行為に没頭すると言われています。 人間には人としての倫理観が備わっています。 それは「人間社会」とその中で生きてゆく上での「ルール」を知ることから生じるものです。 この「ルール」を守らなければ自分が人間社会の中で生きてゆく事が非常に難しいと 人間社会の中で生まれ育ったきた経験から自然に植えつけられてゆくのです。 地球上でたった一人、誰の眼にも触れることなく育った人間なら社会のルール、倫理観は育たないでしょう。 人は自分が他人の眼にどの様に映っているのか、評価されているのかを常に意識しながら生きています。 その中で人間が人としては行ってはいけない行為、罪というものがどんなものであるのかを知り、 そこに人間性が備わる事により「倫理観」「ルール」が生まれるのです。 それを知ってしまえば、人には言えない行為とは【罪な事】であり、 人間性をもってして【罪悪感】となるのではないでしょうか。
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- aoaoao
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単に、大人が「悪い事だ」と教育しているからだと思います。 幼児期、子供は下半身を露出していてもなにも考えませんが、 ある時から、大人たちに「あら、はずかしい!」などと言われ、次第に羞恥心を植えつけられていきます。 それと同じような事だと思います。 大人になり、是非を自分の考えで判断する(判断する権利があると思う)ようになると、 罪悪感を感じなくなる場合もあるでしょう。
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ありがとうございます。
- hakobulu
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性に伴なう快感が抑圧されるべきものとして認識されていたからでしょうね。 抑圧するのは主に親ですが、実際問題として性の快感ばかりを追求するようになってはまともな人間には育ちませんから、ある面ではこの抑圧は必要なものでもあります。 日常の生活においては股間に手をやるとか、女子であれば階段の手すりにまたがるなどすることによって偶然的に快感を得ることがあるものですが、親などの大人に発見されると通常は禁止されるでしょう。 テレビなどでもキスやセックスシーンになるとチャンネンルを変えられたりすることもあるでしょうし、この手の快感は禁忌であるという認識が次第に刷り込まれていくわけです。 また、子供の立場としては、生活能力が無いのにこのような快感だけを得ることに関する後ろめたさ、といったような心理も発生するでしょう。 本能的な欲望に勝てない場合は、「やってはいけないことをやっている」という理屈が成立するわけで罪悪感につながるわけです。 文化文明は、基本的にはある程度の性の抑圧による昇華作用の結果と考えることが可能ですから、性の一方的な開放が人間の可能性と逆行することは確かだろうと思われます。 ただ、抑圧の程度が過剰になりすぎると、風船の一部を押しつぶした時と同じように他の部分が異常に膨らんだり、破裂することもあるでしょう。 「禁忌」という字が示すように「忌むべきもの」として親は禁止するわけですが、性自体に責任があるわけではなく、他の要素とのバランスを取ることが必要というだけの話です。 行き場の無いエネルギーを文化・スポーツなどで上手に発散できるような環境を形成するのが親の役目であり、性の方面だけに関心が行っていないようであれば特に問題はありません。 何事においてもそうですが、「過剰な放任」「過剰な抑圧」が人間の精神を歪める元凶であることは確かなように思われます。 いずれにしても、この「過剰さ」ということに対する人間の認識がなかなか妥当なものにはなれないないため、この類の抑圧も世代を超えて連鎖的に受け継がれていくことになり、不幸な子供が無用の罪悪感を覚える歴史は繰り返されていくのでしょう。
お礼
ありがとうございます。
お礼
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