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There is/are S 分詞の意味
高校文法ですが、 There are a lot of people waiting for their turn. There was some tea left in the pot. それぞれ、A lot of people are waiting for their turn. Some tea was left in the pot. とほぼ同じ意味とされていますが、その使い分けがよくわかりません。 何冊かの参考書を読み比べましたが、 Thereで始まる文は、唐突な感じを避ける事ができる。 Thereで始まる文は、主語を強調している。 という解説のみで、日本語を訳し分ける必要はないらしいのですが、 あえてその違いがわかるように訳すとしたら、どんな訳が考えられるでしょう。また、使われる文脈、状況の違いなどを教えていただけないでしょうか。
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>There are a lot of people waiting for their turn. >There was some tea left in the pot. >それぞれ、A lot of people are waiting for their turn. >Some tea was left in the pot. >とほぼ同じ意味とされていますが、その使い分けがよくわかりません。 Thereで始まる文と主語で始まる文との違いは、次の(1)、(2)の2点です。 (1)意味が明らかに違う。 例えば次のように、意味が明らかに異なります。 (a)There are a lot of people waiting for their turn.(順番を待っているたくさんの人がいる。) (b)A lot of people are waiting for their turn.(たくさんの人が順番を待っている。) もっとも、御質問のteaの文のように主語が無生物の場合でかつ過去分詞を用いた場合には、日本語にすると同じような日本語になることが多いので、日本語だけを見るとこの違いが不明瞭であることが多いと言えます。 (2)感じが違う。 Thereで始まる文は、主語で始まる文に比べて、そのニュアンスのうえで次の(a)、(b)のような特徴を持っています。 (a)主語が能動的に分詞の動作をしている感じがしない。 これは、Thereで始まる文は「ある」「いる」という意味であること、分詞は単に主語の修飾語として存在していることなどによります。 (b)話し手とその文の主語が何らの関係もないような感じがする。 これは、Thereで始まる文には主語(peopleやtea)があるにはあるのですがそれに対応した動詞がないので、「主語が○○する」という感じつまり話し手が主語に注意を集中している感じがしないことによります。 逆に、主語で始まる文は、(a)、(b)と反対の感じがします。 したがって、(1)、(2)に従って、用い分けることになります。 >Thereで始まる文は、唐突な感じを避ける事ができる。 >Thereで始まる文は、主語を強調している。 >という解説のみで、日本語を訳し分ける必要はないらしいのですが、 主語が無生物でかつ過去分詞を用いた場合にはThereで始まる文も主語で始まる文も同じような日本語になりますが、もともと全く意味の異なる文なので通常は全く異なる日本語になります。 「Thereで始まる文は、唐突な感じを避ける事ができる。」というのは、文頭にいきなり主語が来ず文頭にはthereという意味のない言葉があるのでその分だけ出だしが柔らかい感じがするということでしょうか。そのような意味であれば、そのとおりだと思います。 「Thereで始まる文は、主語を強調している。」というのは、残念ながらその意味するところをつかみきれません。上の(2)、(b)に述べたようなことから、普通は、主語で始まる文の方が主語を強調している感じが強いと思われます。 >あえてその違いがわかるように訳すとしたら、どんな訳が考えられるでしょう。 上記のように意味が異なるので、意味のとおりに訳します。 ただ、主語が無生物の場合でかつ過去分詞を用いた場合は、どちらの文も同じような日本語になることが多いと思われます。 >使われる文脈、状況の違いなどを教えていただけないでしょうか。 上記のように意味、ニュアンスが異なるので、意味、ニュアンスのとおりに用い分けます。
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- yoohoo_7
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#2です。 >理由の(2)の(a) は、「人が存在している」ことが情報の中心で動作自体は付け足しととらえる、ということでしょうか。 そのとおりだと思います。 Thereで始まる文は、「There is 主語」の部分までで文として必要不可欠な要素は全て出そろいます。つまり、そこまでで完全な文になります。例えば、There was some teaまでで完全な文として成り立ち、意味を成します。つまり、主語よりも後の部分(この場合はleft in the pot)は付け足しに過ぎません。 厳密に言えば主語はsome tea ではなくsome tea left in the potですが、この文の話し手も聞き手もThere was some teaまで言ったあるいは聞いた段階で、「ああ、これが言いたいことだ」と思います。つまり、主語(この場合はsome tea)よりも後は付け足しのような感じがします。少し飛躍しますが、left in the potはThere was some tea in the potのin the pot やThere was some tea on the truck. のon the truckなどと同じような感じしか持ちません。 >柔らかい表現にはなっているものの、その分客観性が増しているのかもしれないですね。 そのとおりだと思います。 「客観性が増している」「事実を淡々と述べている」「話し手がその主語が存在することを自分とは関係のないことだとして眺めている」「感動や感慨が乏しい」などと言ってもよいと思います。したがって、逆に言えば、このような感じを表したい場面以外では、Thereで始まる文はふさわしくないと言えます。
お礼
重ねがさねありがとうございます。 同じ状況でも、表現の仕方によって意味合いがずいぶん違ってくるものなのですね。 There is 自体は中学で学習する表現ですが、そういえば「ある場面を説明する」ような設定で学んだ気がします。 再度のご指摘、感謝しております。
- taked4700
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唐突さを感じさせないようにと言う意味なら、主語を最後に持ってくると言う訳し方があると思います。 There are a lot of people waiting for their turn. 順番を待っている多くの人がいる。 There was some tea left in the pot. ポットに少しお茶が残っていた。 A lot of people are waiting for their turn. 多くの人が順番を待っている。 Some tea was left in the pot. 少しお茶が、ポットに残っている。 >使われる文脈、状況の違いなどを教えていただけないでしょうか。 there isの形は、何か、遠くの世界のことを述べているような感覚があります。または、自分の身近な世界へ丁寧に導入されているような、どちらにしても、「唐突」な感じを受けないと言うことですね。
お礼
さっそくのご回答ありがとうございます。 主語を後回しにする訳文、確かに丁寧な印象を受けます。 参考にさせていただきます。
お礼
大変に長い丁寧なご説明、お礼が遅れて申し訳ありませんでした。 理由の(2)の(a) は、「人が存在している」ことが情報の中心で 動作自体は付け足しととらえる、ということでしょうか。 理由の(2)の(b)で述べられている、話し手が主語に注意を集中していない・・というのは私も感じておりました。 柔らかい表現にはなっているものの、その分客観性が増しているのかもしれないですね。 少し、イメージがつかめてきたような気がします。 ありがとうございました。