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何でも他人のせいにする人って。。。。
- 自分自身気が強いせいか、何があっても自分の責任!!と言うことで、今までの人生ありとあらゆる局面を乗り越えてきました。
- 人に迷惑をかけている人間こそ、自分の事を棚に上げて常々人を攻撃するものだと、つくづく思い知らされました。
- 何事も他人のせいに出来る人間って、どんな心境なのでしょうか?そういう人たちって、実は何も考えていないのでしょうか?それとも。それこそ”逃げ??”
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#3です。 違います、違います、 ご自分の頭の中で起こっていることをリアルタイムに見てください。 責任のあるべき定義を聞いているんじゃないんです。 他人が変われば問題が解決すると思うのはまちがいです、変わるべきはLEIRAさんなんです。LEIRAが悪いといってるんじゃないですよ。苦しんでいるのは他人ではなくLEIRAさんだといっているんです。無銭飲食の撲滅運動をすれば解決するんですか?問題なのは日々発生するストレスの受け止め方なんじゃないでしょうか。 >自分のテリトリーを確保したいと思う気持ちは究極のエゴで、それは人生において責任逃避をしているようにしか思えません ではなぜ、 ・自分自身の正直さに嫌になっています。 ・自分自身一生懸命頑張ってきたけれど、頑張る意味があるのかと 上記のような問いが生まれると思いますか。 責任、逃避について、LEIRAさんが考える定義に無理があるんじゃないでしょうか。無理というのは間違っているという意味じゃなく、現実的じゃないという意味です。 一例としては、他人の不道徳な行為を自分の責任と考える思考です。責任の範疇が自分を超えて他人の領域に入っているんです。 ゆえにもう一度、LEIRAさんが考える責任ついて再検証が必要なんじゃないでしょうかと思う次第です。
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人間の本当の強さって「他者自愛力」もあることが必要と、筑波大学の宗像教授はおっしゃってます。「自己自愛力」と「他者自愛力」の両方ができてこそ初めて良質のコミュニケーションがとれるということです。なので「自己責任」というと聞こえはいいですが、自分のみ依存しているといつかつぶれてしまいます。他人にも頼ったり、甘えることもできてメンタル面が強化(安心)できます。 人のせいにする人=自分は悪くない、自分はできている、自分は間違ってないっていう完ぺき主義の人と、都合の悪いことには目をつぶって逃げるタイプといます。どっちも一言でいうと「責任をかぶりたくない」だけで、自己自愛力オンリーの人。自分さえ良ければいいわけです。 他責にする人は、それなりに人生のおつりはきます。この手のタイプは孤独の中の孤独も平気な人もいますので、当人は罪悪感も反省もないと思います。ですが、どこか欠けているのでそれなりのおつりは人生のどこかできます。 で、あなたの場合でいうと、他責の人と比べて、落胆しているようですが、あなたの問題と他人の問題をわけて考えればいいと思います。 ○問題を起こしているのは、あなたですか?他の人ですか? ※あなたら問題あり、自分に改善。 ※他の人ならその人の問題なのでほっとけばいい。 ○その問題はあなたに対して及んでる被害は「物理的」になにですか? 例:借金かかえた、退職においこまれたなど ※具体的な影響を考えみる ○その被害があったことで、あなたが困っていることはなんですか? 例:借金をかかえた→家賃が払えない等 ※事実を考える ○あなたとしてはどういう解決策があると思ってますか? ※自分としてはどういう結果を望んでいたか、また方法あったか ○その解決策で、相手は同意するでしょうか? ※あなたがよくても相手に不都合であればそれは解決策でない ○同意されないとしたら、どういった方法がありますか? ※あなたにも相手にも両方にとっていい方法を考える ○その方法は、あなたにも相手にも不快にさせない方法でしょうか? ※意外と自己都合だったり、自分の関与することでないことで怒ってませんか? ※自分がすることで解決できるならやってあげるのも方法 ※相手に手伝ってもらわなければならないのなら心情に訴え下手にお願いする それでも解決しないこともありますが、ばからしいからといってあなたが投げて同じ行動とることもないと思います。人は人、自分は自分で自分の課題だけクリアすればいいと思います。他人と自分は違う人ですし。なので、自分と同じ考えを他の人に求めるのも無理です。「自分」と「他の人」の違いを認めなければいけないと思います。 コミュニケーションで弊害ある時、問題をまず分けて自分の問題でないならほっとく、もしくは自分が行動かえてなおす。相手に問題あり自分にも影響あるなら、「敵こそ協力者」敵と思っている相手こと味方につた方が円滑に進む(これも他者自愛力)ことが多いです。 仕事って特に正面からぶつかると攻撃されます。正論が通ると限りません。それよりは、相手の心情を察して、相手を責めないしかたで自分の味方につけるようにもっていく方がいいです。どっちかを悪者にするとやはり上手くいきません。 裏切られることもありますが、自分はそうならなければいいだけです。他人のことでいらいらするのはもったいないし、「いらいら」って結構、自分の思い込みがつくった期待がはずれて「いらいら」することが多いです。期待はずれの時の処理能力、「違い」を認めることで楽にあると思います。期待がはずれて当然ですから。
- shift-2007
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責任という言葉をどのように使っていますか。 LEIRAさん自信が責任とはどうゆう事なのか一度考えてみてはどうでしょうか。 言葉のイメージと自分の行為とのギャップが生じている、或いはそれに気づき始めているのかもしれません。 また、逃げるということについても考える必要があるんじゃないでしょうか、必ずしも逃げる=責任回避とはならないんじゃないでしょうか。
あなたはとても真面目な人なんですね。とても真っ直ぐで正義感も強くて、、、でもそれって疲れませんか??無理してませんか?? 「何のために、皆、生きているのだろう?」 →正直よくわかりません。でも、生きていて楽しいことや嬉しいことがあると「生きてて良かったぁ~」と思うことってありませんか?私はそういう楽しいこと・嬉しいことに感動するために生きているのだと思っています。そういった感動を味わうには、悲しいことや嫌なことも無くては感動なんて得られないと思います。 でも「逃げ」が決して悪いこととは思いませんよ。 時には「逃げる」ことも大切だと思います。 自分で背負ない範囲のことを、背負ってしまったなら無理して乗り越えなくても、周りに助けてもらうとか、人に頼ってみるのは、全然「逃げ」ではないと思いますよ。それも一つの方法でしょう。無理して一人で乗り越えたとしても、自分自身に無理がかかり、精神的にも肉体的にもよくないですよ。私はそれで体調を崩し、仕事を休職してました。体調崩して初めて「人に頼る」ことを学びました。 そんなに自分自身を追い詰めないでください。 「何事も他人のせいに出来る人間って、どんな心境なのでしょうか?」 →複雑な心境だと思いますよ。傍目からは平気で罪を擦り付けているように見えても、内心は罪悪感があると思います。 「そういう人たちって、実は何も考えていないのでしょうか?」 →何も考えていなかったら、人のせいになんて出来ないと思います。自分に非が回らないように、必死に人のせいにする。内心は罪悪感と自己嫌悪でいっぱいだと思います。 「自分自身人間不信」 →そんな寂しいこと言わないでください。あなたの周りには、必ずあなたの力になってくれる人はいると思いますよ。もっと周りを信じて頼ってみてもいいのではないでしょうか? 長々とホントすいません。答えになっているかはよくわかりませんが、でも参考にして頂けたら幸いです。 もっと自分を解放してあげてください。 そうすれば、今まで以上に人生が生きやすくなると思いますよ。
- mkkst
- ベストアンサー率55% (19/34)
何でも自己責任と思うことは悪いことだとは思いませんよ。 でも、そうやって生きていかれると、 何回か乗り越えられてきた壁も、乗り越えられなくなり、 ぶつかり続けることになってしまうことがでてきます。 すなわち、ご自身の生まれ持っているエネルギーを使い果たしてしまい、 精神的疲労感や空漠感が生じてくることが、いつかはやってくるということです。 頑張る意味はあると思いますよ。 その意味を見出すのは人それぞれです。 「生きるため」「成功するため」「家族のため」「自分自身の納得のため」など。 何事も人のせいにする人って、あまりいないと思いますよ。 「できるものなら人のせいにして、自分が楽になりたい」と 思っているだけで、心の底では自分に責任があると感じているものです。 見方によっては"逃げ"に値するかもしれませんね。 でも、先程も書きましたが「逃げたい」という気持ちがあるだけです。 何も考えていない人なんていないですよ。 表向き、何でもかんでも他の人に責任転嫁している人だって、 罪悪感を背負って苦しい思いをしているものです。 「罪悪感なんて感じてないよ」と見せることにもエネルギーを使っていて、 普通に生きている人より苦しんでいると思いますよ。 「自分自身人間不信」というのはご自身のことがわからなくなってしまっているということですよね? 今、壁にぶつかっているところなのではないですか? LEIRAさんのことは、この文面からしか推測できませんが、 LEIRAさんは"逃げ"てはいないと思います。 今は、"より深く"自己を見つめ直してみることがいいのではないかと、私は思います。 LEIRAさんの求める回答になってなかったらすみません。
お礼
ありがとうございます。 実は今仕事の事で、結構神経を使い果たしています。 複雑な書き方をしてしまいましたが、この先どうやってやっていこうかと、単に頭を抱えているしだいです。 私自身あらゆる壁に当たったとき、私は自分で物事を解決するよう にしてきました。 結局、人から出してもらった答えは外的要素の事だけであって、 本当の自分の心は自分すらも解からないものだから、 自分でしか答えが出せないものだと思っています。 今、自分が人様にお給料を出す立場になって見てよく分かった事ですが、人って本当に他力本願なのだなと痛感させられました。 私自身自分がまず肥える以前に、良い人材を育て上げなければと必死に彼らの面倒を見たりもしてきましたが、やはり、あくまでも他者は他者、コントロールの利かない存在なのだと実感させられました。 それと同時に自分の事を頼って仕事をしてくれてる人間を見ると、もっと頑張って、その人たちの事を伸ばしてあげなくてはと思う反面、体力的にも、能力的にも限界を感じてる有様です。 しかし、そんな泣き言をいえる人など廻りには誰もいません。 出来て当たり前!! 出来なければ馬鹿!! と言うような態度を徐に取られ、何もせずに楽しそうにしている廻りを見たときに血が遡るような思いをしました。 彼らの言葉は、”出来ないんだから、仕方ないじゃん!!”で終わりなのです。 だったら、私にも出来ないことは山の様にあるさ!!と言いたい気持ちで一杯です。 仕事の話は仕事を一緒にしている人間としか、残念ながら出来ません。 ですから、何かの拍子に衝突すると、 それはスノーボールのように問題が膨らみあがるんですよね。 ちょっと最近、本当にホリデーが必要だと思う今日この頃です。 自分をちょっと甘やかせるようになりたいなと、涙が出て来てしまっています。 ありがとうございました。
お礼
回答者様は、では、どのように責任に関してお考えでしょうか? 世の中逃げてばかりで済む問題だとは思い切れませんが。。。。 人それぞれ、感じ方や考え方は違うわけですが、でも、他人に迷惑を掛けてまでも、自分のテリトリーを確保したいと思う気持ちは究極のエゴで、それは人生において責任逃避をしているようにしか思えません。 例えば、最近私の身に起こったことですが、無銭宿泊をするお客さんとかって、どうも思われますか? その無銭宿泊をした人の言い分をここで述べると、無駄使いをしたくなかったからだと言うのです。 しかし、その人の個人的な理由と仕事とは関係ありません。 でも、このような事態が起こったときに、それはそうされた自分に原因があるものだと自分を責めてしまってる私です。 ありがとうございました。