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ラジオの発明・以前と以後の世間の状態

メディアの勉強で「ラジオ」というトピックで情報を集めているのですが、 ラジオが発明される(世界の世間に広まる)以前と以後の世間の状態、変化についての情報が知りたいです。 なにせあまり話題にされないものなのでインターネットや文庫では簡単に見つけられず、かといって多少想像はできたとしても根拠もなしに列挙するのは気が引けます。 どなたか知っている方がいましたら知恵をお貸しくださると嬉しいです。 現在ひとつわかっている情報として、ラジオの普及により普通なら耳に入らないものが一つの地点から他方へ発信されることにより、音楽業界が発達した事、などです。 その程度の事で構わないのでどうぞよろしくおねがいします。 特にラジオ発明「以前」が知りたいです。(もちろん以後もですが・・・

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noname#49020
noname#49020
回答No.4

 「ラジオ→テレビ」の頃は良く知っているんですが、「なし→ラジオ」の頃は大正14年ということですので、生まれていませんから実際のところは知りません。  終戦の詔勅放送のとき、近所でラジオを持っていたのが我が家だけでした。当日かなりの人が我が家の庭先に集まりました。暑い時期でしたので裸同然の小父さんもいました。叔父がその人をつかまえて「天皇陛下の詔なのにその恰好はなんだ!」と怒っていたことがありました。これに類似した話は方々で耳にしますので、一般的にこのような状況だったのでしょう。  昭和20年代のラジオ局はNHKだけでした。  我が家での利用の仕方は (1)ニュース:とくに正午のニュースは欠かさず聞いていました。このとき柱時計の時刻も合わせました。 (2)娯楽番組:落語、浪曲、流行歌、クイズ(とんち教室など)  明治生まれの祖母や母は、戦前に東海林太郎の流行歌を始めて聞いたとき「世の中にこんな美声の人が居たのか!」と驚いたと云っていました。  戦前から戦後にかけての流行歌手は、藤山一郎など音楽学校出が多く、みな美声の持ち主でした。  いい声、美声というのは「高い声質」と同義語であった時代でした。「フランク永井の低音の魅力」というのは大分後の時代です。  ラジオ受信機もスーパー方式の機械が出回るまでは、並4や高1という奴で、ピーピーと変な音が出たりして上手に鳴らすにはコツがいるような代物でした(小生は上手でした)。  また、真空管でしたので、劣化したタマを取り替えたりする必要も生じました。  今のテレビのように点けっぱなしにするということもなく、出力も知れていますので、今のテレビのように大きい音は出ませんでした。  こんなようなことから、大正末年頃から昭和初年頃を想像すると・・・ (1)恐らくラジオ受信機を持っている家庭は少なかった。 (2)一般庶民(とくに田舎の人)が聞く機会が少なかった諸芸能やスポーツが聞けるようになった。 (3)正しいニュースが早く耳に入るようになった(ヘンな流言飛語に惑わされることが少なくなった)。 (4)NHKだけであったので、体制よりの報道になってしまった。 (5)標準語が普及するのに役立った。  以上のように、素人なりに想像してみました。  当時の番組は図書館で新聞の縮刷版を見ればわかると思います。  まあ、当時の放送は上品なものだったと思います。テレビで民放が始まったとき、大宅壮一が「これでは一億総白痴化になる。」と云いましたが、大当たりになりました。  

monjin
質問者

お礼

細かくて身近(?)な情報をありがとうございます。 当時のラジオの状態と世間の感じがわかりやすくてうれしいです、ありがとうございました!

その他の回答 (4)

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.5

日本の場合でしたら、「放送五十年史」(日本放送協会編・日本放送出版協会刊)などの放送の歴史について書かれた本が参考になります。ある程度以上の図書館にはあると思います。 例えばラジオ放送開始前や直後は演芸や相撲をラジオで放送すると、寄席や相撲の本場所に客が来なくなるのではないかと考えて放送に否定的だった関係者が、実際に放送されるとさらにファンが増えて客が増加したので、出演や中継放送に積極的になったことなどもわかります。 個人的に聞いた話では、私の祖父の家は九州の田舎の地主でしたが、新しい物好きで昭和の初めにその地方で初めてラジオを買ったそうです。夜になると小作人が大勢ラジオの浪曲などを聞かせてもらいに来るので、祖母は毎日大きな二つの釜に「野菜の煮しめ」を作ってお茶うけに出していたとのことです。 今のように1人1台のラジオで個人的に聞くのではなく、集落の地主の家に1台しかないラジオを大勢で聞いていた時代があったわけで、「受信機の数が少なかったから社会に与えた影響も小さかったのだろう」という想像は必ずしも正しくないようです。

monjin
質問者

お礼

情報どうもありがとうございます、時間的にせっかくの情報を活用する事ができませんでしたが、細かい話をどうもありがとうございました!

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3

政治史に於いてラジオといえば 炉辺談話 フランクリン ルーズベルトが有名です。 間接民主主義体制下における、直接民主主義としてルーズベルトをファシスト的だと非難する声がありました。 情報が一方通行ですから。

monjin
質問者

お礼

炉辺談話についての情報ありがとうございました。 活用させていただきました!

  • cs-megami
  • ベストアンサー率38% (58/152)
回答No.2

ネガティブな話題で恐縮ですが、永井荷風の日記「断腸亭日乗」には、ちょうどラジオが世間に普及し始めた頃に、以下のような意味合いの記載があります。 「日曜日ともなれば近所中でラジオを大音量でかけるものだからうるさくて堪らない。憤慨しつつ散歩に出る」 冷房のない当時は、夏の暑さを凌ぐには窓を開けるしかないでしょうし、そしたらこの大騒音、ということでしきりと荷風氏は怒っています。 東京港区で虫の音が聞こえる時代ですからね。 今ならば、窓を開ければ虫の音どころか騒音しか聞かれませんが、さしずめラジオが世間にとっての「騒音公害第一号」だったんでしょうね。

monjin
質問者

お礼

騒音とは意外でした、素敵な情報をありがとうございました!

  • t78abyrf9c
  • ベストアンサー率47% (3029/6402)
回答No.1

水越伸・著『メディアの生成:アメリカ・ラジオの動態史』 同文舘出版 1993年 ↑の書籍が参考になると思います。 レビュー http://blog.livedoor.jp/shohyoblo/archives/50152468.html 著者プロフィール http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/faculty/profile/mizukoshi.html

monjin
質問者

お礼

参照どうもありがとうございました、時間の関係で使用するには間に合いませんでしたが、返答ありがとうございました。

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