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正義の定義

正義をどう定義されますか? ちなみに私の正義は、「勝者」です。 独創的な意見を歓迎いたします。

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  • chihoko
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回答No.23

●宗教と正義を 簡単に結びつけてしまうのは 安易な考え方だと思います。  どんな宗教であれ 概念であれ それを取り込むのは個人でしかなく  宗教とは 結局のところきわめて個人的解釈と理解の産物であろうと認識しています。  だから おおくの場合正義がかたられる背景に  イデオロギー(社会集団や社会的立場(国家・階級・党派・性別など)  において思想・行動や生活の仕方を根底的に制約している観念・信条の体系)  が 存在するとわたしはぼかしていっているわけです。  宗教と断定するには 問題が大きすぎます。また 一言で天の声や神の声として  言い切る必要もありませんし そうしてしまうことは この問題の本質を  陳腐なものにすり替えてしまう恐れがあります。 >日本人にとっての正義ってなんでしょう? ●他国を侵略 もしくはこの国を守るという意識を高揚させるためにかつては  そのようなイデオロギーが存在していたのでしょう。  現在は それぞれの団体にそれぞれに存在するのみで 日本人というくくりに  於いて正義を感じさせるイデオロギーは存在しません。  現在のあらゆる国家の問題点ですけれども 国民の総意なくして武力の行使が  なされてしまう仕組みが挙げられます。今回のアメリカの武力行使にしても  アメリカ国内において反対の意見もあったわけで にもかかわらず現実は  武力行使があったわけです。正義を意識させるイデオロギーよりも  普通に問題を処理する仕組みが希求される所以です。  そうです ゴルゴ13が仕事をするように 世界のあらゆる問題を  公平に解決していく仕事人とそれを公正に管理・企画できるシステムが必要な  だけではないでしょうか・・・。

その他の回答 (27)

  • aster
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回答No.17

  「正義」というのは、一応日本語ですが、現代においては、伝統的な中国思想での概念と、西欧的な justitia の概念の混じったものとして考えられていると思います。 中国思想での「義」とは何かというと、「正しいこと、正しい筋道」ということになりますが、「正しい」とは何かということになります。儒教も唱えた五つの人のあるべき姿の一つは、「義」です。 これは「人として行わなければならないこと」を云います。例えば、国家や公共のためにつくすことは、義であり、義務であるのです。また「男気」のような意味もあります。これはギリシア語の「アレテー」と少し似た概念になります。「徳」という面があるということです。 西欧の justitia は、形容詞で、justus という形ををしていますが、このユストゥスは、「正しい」という意味以外に、「公正・公平、正当な、妥当な、適切な、合法な」というような意味があります。 「正義」は、「正しいこと」なのですが、その「正しい」の意味は、「人として成すべきこと」という意味と、「公正・公平・正当・妥当・適切・合法」という意味も同時に含み、この二つは意味的に重なっているとも言えます。 「人として成すべきこと」とは、つまり、その社会に通用する倫理や「人の道」に則るということです。「倫理や人の道」の一部に「法律」や「社会慣習・道徳」なども含まれます。 そして「倫理」や「人の道・成すべきこと・ゾルレン」というのは、東西において、少し違うかも知れませんが、概ね、「法」の基礎になる規範条件で、「公正・公平」というのは、社会において、一般の人々が納得できるということですし、「正当・妥当・適切」というのも、人々が、法の以前に当然と考える、「人のあるべきこと」に準拠しているかどうかです。 「人のあるべき道」は、中国の思想では、「天」がそれを定めるという風に抽象化されます。あるいは、「天」とは、個人のエゴによる自己正当化を越えた、普遍的判断基準として想定されたものだとも言えます。 正義もまた、天命にかかって来ると云うことになります。 他方、西欧の古典時代以降のキリスト教社会での「正義」は、これはやはり、神が最終の基準・審判者となります。古代ローマ、ギリシアでも、正義は最終的に神が判断するということになっていました。 「正義」というのは、共同体において、法の基礎をなす、人としての「正しさ・正しい行い」であり、その具体的意味は、社会の人倫の規範の準拠、公正・公平・妥当性があったのだということになります。 誰が、誰の行為の公正や公平、妥当性、適切性を判断するのかと云えば、とりあえず、「人」が判断するしかないでしょう。しかし、そのような「人の判断」は、歪められることが多く、妥当性も「普遍的」に言えないということは、古くから東西で分かっていたことだったのだと思います。 そこで、「正義」の最終的判断を、超越的判断者、つまり、天なり神に求めているのだということになります。 時々の行為において、人は、自己の正義を主張したり、他者の正義を判断する時、「天」や「神」を持ち出す訳です。 アメリカは、神の名において、テロリスムと戦うことは「正義」だと主張しています。しかし、「真の神」は、それはエゴだと判断しているかも知れません。 アラブ・ゲリラは、アメリカや西欧は侵略者であり、これと力無い自分たちが戦うにはゲリラ戦、つまりテロリスムが一つの形である民衆闘争しかないと判断しており、これは「神アッラー」の御意志に沿うと考えています。 欧米帝国主義者へのテロリスムは、神の名のもとでの「正義」であり、これを、ジハード(聖戦)とも主張するのです。 「正義」とは何かというのは、以上でその概念のアウトラインは明らかにしています。「人として成すべき道」のことであり、それは「法」の基礎にある、人々・共同体の倫理慣習規範への準拠です。 公正・公平・妥当性がその基準で、「誰にとっての妥当性か」という時、共同体の成員に対する妥当性・公正・公平だとすると、例えば、イスラム諸国の共同体など、自己の共同体と関係ないものとするアメリカにとって、「正義」は「アメリカに都合のよい正義」となるでしょう。 神や天は、特定の民族や国民や国家を偏愛して応援しているのではなく、地球生命共同体の「基準倫理」もあるはずである、少なくとも「地球市民共同体」の市民としての「人の道」はあるはずだという考えも当然成立するでしょう。 戦争が仮にあれば、戦ったものは、どちらも「正義」を主張して戦います。その「正義」がどれだけ、多くの人を考慮に入れたものか、普遍的なものか、の違いはあるでしょうが、どちらも「言い分」はあるのであり、ある視点から、その「言い分」が勝手なものに見えたとしても、この「言い分」が、主張者の「正義」ということになります。 ガーンディーは、イギリスや欧米先進国とも戦っていましたし、ヒンドゥー教絶対主義者、イスラム教絶対主義者とも戦っていました。ガーンディーは、人類に普遍の「公平・公正」を求めたので、その方法は、イギリスとは戦わない、しかし、服従もしない、というものでした。 自己の正義に基づいて他者の正義を蹂躙することは、間違いであるとガーンディーは考えたのでしょう。ゲリラ戦では、問題は解決しないのです。ガーンディーは、イギリス人の「言い分」も聞いた上で、「我々にも自立して生きる権利はある」としたのでしょう。 しかし、ガーンディーのこの人類普遍的な公正・公平の考えは、イスラム過激派には通用せず、彼は暗殺されます。「アッラーの正義の名」においてガーンディーを暗殺したことが、果たして「正義」であったのかです。 「正義」はすぐ身近にあるとも言えます。しかし、それが妥当性ある正義かどうかというのは、問題の規模が大きくなって来るにつれ、判断が難しくなってきます。最終的には、「天」や「神」が、その判断者・基準になります。 そこで、「神の名」において戦争したり、現代の神でもある「民主主義」や「自由」や「共産主義」や「内政不干渉」などの名において、戦争を正当化しようとするのですが、戦争に勝った者に、正義があると呼ばれるなどという粗雑な話ではないでしょう。 「力は正義」であるというのは、「力」によって、正義など幾らでも捏造できるという人間の奢りの心、また、「正義」があるからこそ、神や天が「力」を与えてくれたのだという結果合理解釈と、もう一つ、最終的に、至高の「力」を持つのは、「神・超越者」ですから、「神の正義」が最終的に勝利するということでしょう。 しかし、これも、「神の名」を使う複数の勢力の争いの戦いなどの場合は、「人類普遍の公正・公平」が、優越することになるでしょう。「地球生命普遍の公平・公正」というものまで展望は進むでしょう。 「公正・公平」とは何かと云えば、原始的には、「多数の人々一般が、事実を知って納得すること」だと言えるでしょう。この「多数の人々」の規模が、歴史の展開と共に、どんどん巨大なものになって来て、相互矛盾や、「正義」の概念の曖昧さが生まれたのだとも言えます。  

noname#108554
質問者

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そろそろ締め切らせていただきます。 点数は、のちほどじっくり読んでからつけさせていただきます。 ご回答ありがとうございました。

  • greatcat
  • ベストアンサー率26% (7/26)
回答No.16

正義とは,朝日新聞である。 わたくしの正義と公権力の正義, 正義とは,食っていく為に必要な自己弁明である。 生きていくためには,偽善である必要がある。 しかし,心には正義を秘めていると信じることで正当化できる。 小心ものである私を平静に保つために必要な言い訳である。 強い人に正義はいらない。 ,と思いつきで書きました。

noname#108554
質問者

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回答No.15

「正義」と同様、「勝者」も定義が必要なので、正義は勝者と言われても、なんの説明にもなってないと思いますが。不確定要素同士をイコールで結んでいる。「グリコ森永犯」は勝者なのですか、敗者なのですか?犯罪を成立させたという意味では「勝者」でしょうし、そんな犯罪をせざるを得ない人生を送ったなどと理屈をつければ「敗者」って事になるんですか?。仮に前者をとって「勝者」とするなら犯罪者が正義となってしまいますが...。まあ、勝者が正義と言える場合もたまにはあるってぐらいのもんではないでしょうか。人間万事塞翁が馬なんですから。

noname#108554
質問者

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noname#108554
質問者

補足

「勝者」という概念は、私の理屈から言うと、時代や人によります。 ので、「グリコ」は勝者であると言う人もいれば、敗者でもあるという人もいるでしょう。 よく考えると、ただ単に「勝者」なだけでは「正義」とは言えないですね、私の主張も。 何らかの主張をもっていないと。 「グリコ」が金目当ての犯行だとしたら、正義ではないです。

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.14

プロパガンダの便利な武器です。

noname#108554
質問者

補足

そうです、私もどっちかというとこういうシニカルな見方に近いです。 No.13の方の「正当性」、これを持たせるためのプロパンガンだであり、正義というものが おそらくこの世にはあるでしょう。

  • FFMAN
  • ベストアンサー率21% (15/69)
回答No.13

 独創的な意見ではありませんが、  社会なり集団なりで共有され、受け入れられている、倫理的な、ルールや規範や価値判断(以降、省略してルール)に従うことの正当性を、正義という言葉で呼んでいると思います。 上記を踏まえて、質問者の正義にコメント  (政治的や、軍事的な)勝者は、自らのルールに従うことを実力(権力)を背景に敗者に要求し、実際に従わせることはできるかもしれませんが、たとえ敗者が勝者のルールに従ったとしても、それだけでは敗者はそのルールを正義とは認めないと思います。ルールに従うだけではなく、自発的に共有し、受け入れるということがなければ、そのルールに対して正当性を認めないでしょう。そして、正当性を認めていないルールに従うことを正義とは呼ばないと思われますが?

noname#108554
質問者

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noname#108554
質問者

補足

つまり、FFMANさんの正義とは、「法律」や「道徳」ということですね? 個人的にはそういうシステマティックに判定できる「正義」ってのは好きです。 それはともかく、正当性。確かにこれはキーワードです。 ちょっと考えてみます。 No.1の方の補足にも書いたのですが、私の主張は正確には、 「勝った者が正義と呼ばれる。」です。 これなら、歴史的にもだいたい真実かな・・・と。

  • mcqgogo
  • ベストアンサー率25% (19/75)
回答No.12

「正義」とは公正な判断に基づく「義」であります。 そのことにより「正義」は普遍性をもち得ます。 よって、勝ち負けの介入する「義」は、自ずから「不義」となります。

回答No.11

ibm_111さん、はじめまして。 浦島太郎のお話に出てくるある場面、海岸にあがってきたカメをこどもたちがよってたかって棒もってポカスカボカスカけったり、叩いたり。多勢に無勢で一匹をおもしろがっていためつける。 ((((むむむむむむっ))))「ちょっとまてぃ-!」って、割ってはいります。返り討ちにあうことなんかどうでもいい、割って入ったがためにボコボコニなることもあるでしょう。痛いです。ほでも、見てみぬ振りはできません。たとえ、ボコボコにやられている相手が誰であっても多勢に無勢で一人を手にかけ足蹴にするなんて人の道から外れる行いだ。アホやバカやっと笑われても、それがどうしたです。笑われてなんぼ、そんなん考えてる間に人一人の命の灯が消えたらえらいことや。勝ちとか負けとかより大事なものがある。それは、命や、どんな形をかえても大事な命を育むことそれが、きっと、正義なんちゃうんかなぁ~?

noname#108554
質問者

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noname#108554
質問者

補足

>どんな形をかえても大事な命を育むことそれが、きっと、正義なんちゃうんかなぁ~? そうです。私の場合、 命を育てる=生き残る=勝者 ちゅうことです。 手前勝手な正義だなぁ・・・<自分

  • -soh-
  • ベストアンサー率27% (55/201)
回答No.10

>んでも、結局、イギリスを追い出して独立できたわけですから、 >「勝者」なんです。 > >もしも、インドが独立できなかったら、 >ガンジーは今ほど評価が高くならないと思います。 > 彼の評価と彼の正義は別物です 彼の正義「無抵抗主義」とは 勝ち負けで言うのなら負けることでの正義だったんじゃないか? 歴史の決めた勝者は彼ですが 彼の”正義”は「無抵抗主義」だった って意味の例であげたんですよ さきほどの投稿は 彼”が”正義だったって意味でなく 彼”の”正義が敗者となることで貫く正義だった って意味です。 結果として勝者になったんでしょうけど それは全てが終わった後の私たちだから 勝った負けたがわかるだけで そうでない場合の方が普通でしょう だって、正義を必要とするのは歴史ですか? 違うね、正義を必要とするのはそれを行おうとする人間です それぞれの正義があり、自分達の正義に従い行動を起こした結果、勝ち負けが決まっただけ そして歴史には結果として勝った方の「正義」が語り継がれているだけですよ。 んではでは。

noname#108554
質問者

補足

>彼の評価と彼の正義は別物です それはそうです、もちろん。 「ガンジーは今ほど評価が高くならないと思います。」 という私のコメント、実は、「評価」と書こうとして、 「あれ、ちょっと正義とは違うよな?」と思っていました。 いい言葉が見つからなかったもので・・・ > 彼”が”正義だったって意味でなく >彼”の”正義が敗者となることで貫く正義だった >って意味です。 なるほど、納得です。

  • -soh-
  • ベストアンサー率27% (55/201)
回答No.9

正義とは普遍的な定義ではなく、 「それを必要とする人間」が決めるものでしかない。 だからこそ各々個人が自分で決めるものですかね。 例えば戦争するにしたって それぞれにそれぞれの正義があってやることです ところでガンジー等に代表されるよう 「敗者」となる事による正義とて世の中には存在していると思いますよ んでは。 PS 大義名分と正義は全く別物と考えます。

noname#108554
質問者

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noname#108554
質問者

補足

>ところでガンジー等に代表されるよう 「敗者」となる事による正義とて世の中には存在していると思いますよ んでも、結局、イギリスを追い出して独立できたわけですから、 「勝者」なんです。 もしも、インドが独立できなかったら、 ガンジーは今ほど評価が高くならないと思います。 私の世界観は、 世界は基本的にはいい方向に向かっている。 →その方向を作り出すのが、「勝者」 →たとえ一時的な「勝者」でも多数の人間が支持しないと長続きしない。 「いい方向」ってのは直感的に言っていい方向です。(なんか堂々めぐりっぽい・・・)

  • Kan-Nagi
  • ベストアンサー率8% (3/35)
回答No.8

 自分が間違っているかもしれないという行ないに全身全霊を注ぐことは出来ません。  誰かが「貴方は正しい」と言ってくれるから、全力を出すことが出来るんです。  それが或いは道徳観念であったり、或いは自分の内から来る確信であったり、或いは信仰であり、或いは大統領の演説であり。

noname#108554
質問者

お礼

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