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前田慶次郎の前田家出奔のエピソードについて
- 真冬のある日、前田利家が前田慶次郎に風呂で激怒し、慶次郎は前田家を飛び出した有名なエピソードの出典や真実について知りたい。
- 多くの小説やコミックでは、利家が冷水の湯船に入る描写があるが、真冬であるため疑問が残る。
- この問題について情報を持っている方はいらっしゃるか。
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質問者が選んだベストアンサー
18世紀前半、備前岡山藩士湯浅常山が著した「常山紀談」にこの話があります。この本は随筆集で当時民間に伝わっていた14~16世紀にかけてのいろいろな話を集めたものです。該当部分は巻16の「前田慶次が事」にあります。その中の記載は次の通りです(原文を現代仮名遣いで)。 「利大(慶次郎のこと)は文学を嗜み、さまざま芸にも達せり。滑稽にして世を玩び、人を軽んじけるゆえ、利家、教訓せらるること、たびたびに及べり。利大、大息ついて、たとえ万戸侯たりとも、心に任せぬことあれば、匹夫も同じ、出奔せんと独り言せしが、ある時利家に茶奉るべき由いいしかば、悦びて慶次が許に来られしに慶次、水風呂に水を十分にたたえてかくし置き、湯風呂の候、入り給わんやと横山山城守長知をもていえば利家よかりなんとて浴所に至る。慶次自ら湯を試みて、よく候といえば、利家、何の心もなく風呂に行かれしに寒水をたたえたり。利家、馬鹿者に欺かれしよ引き来れといわれしに、慶次谷風という逸物の馬を裏門に引き立てさせて置きたりしに打ち乗り、出奔しけるとぞ。」とあります。また、大日本人名辞書(明治19年発刊の人名辞典)の前田利太(ママ)の項に同じような話(ここでは馬の名前が松風となっています)があり、出典は翁草とあります。翁草(京都の町奉行所の与力を退職した神沢杜口が表わした歴史見聞録)も湯浅常山と同時代の人の著作ですので、割合世に知られていた話と思います。
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- shoyosi
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前田慶次郎について、下記のサイト(参考URL)に詳しい説明があるのを見つけました。逸話集と書庫を見てください。 なお、常山紀談とほぼ同じ時代の青地 禮幹 (1675-1744)が著した「可観小説」には風呂に入ったことになっています。 (「可観小説」ならびに「常山紀談」の原文) http://www.hoops.ne.jp/~izayohi/keizisiryou.htm
お礼
度々、ありがとうございます。 きっと語り継がれていく内に、より面白可笑しく成る様に変化していたという事なのでしょうね・・・。
ダイレクトな回答ではありませんが、以下の参考URLサイトは参考になりますでしょうか? この中で#1で紹介したサイトも参考にして下さい。 ●http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=265317 ご参考まで。
お礼
参考にさせて頂きます。 ありがとうございました。
- 70633
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私は、いつまでも血縁でない利家に仕えることを潔しとせず。 出奔して、上杉家に仕えたと、どこかで読みました。 出典等は忘れました。 回答になってないかもしれませんが、
お礼
いえいえ。早々のご回答ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。 「常山紀談」ですと時代的に間が長くありますね。 事実云々は別にして逸話自体は古くから伝わっていた事が理解できました。 それに文中から察すると「浴室に入った」のであって「湯船に浸かった」のではなくい様に読めますね。 それならば合点もいきますし。 大正二年11月発行の「風俗画報」452号で掲載された小説「戦国時代の拗ね男 其の2」坪井羽南著では 「慶次の案内に連れて浴室へと下ち立ち裸体になるやザブリと風呂に 飛び込めば斯は如何に、温湯と思いしは肌切るばかりの冷水である」 という描写がありました。(旧漢字は新漢字に訂正) すると、「この風呂に飛び込めば」の部分は作者の脚色、若しくは江戸末期~明治大正に掛けて流布されたと言う可能性も高いですね。 ありがとうございました。