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ベトナム戦争 負の遺産
ベトナム戦争がもたらした、負の遺産とは何なのでしょうか? 被害について、アメリカの政策について、 Weinberger Doctrineについて・・・何でも良いので、教えていただけないでしょうか? どなたか、よろしくお願いします。
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ベトナムにとっての負の遺産・・・100万人をこえる死者と数千万と言われる負傷者が出ました。国土は荒廃し、道路、橋、水道、電力、建物、工場等が破壊され、多くの村落が焼かれ、経済・社会が疲弊しました。その結果、多数の難民が発生しています。 また、アメリカ軍による枯葉剤の散布により、環境・生態系が破壊され、健康を損なった人や奇形児が生まれています。 アメリカにとっての負の遺産・・・多数の人命を失い、経済を疲弊させ、「ベトナム症候群」と呼ばれる社会不安をもたらし、政治家と軍に対する大きな不審を生む事になりました。 ワインバーガー・ドクトリン・・・2003年4月13日に米NBCテレビの番組において、ラムズフェルド国防長官は、ワインバーガー・ドクトリンについて次のように発言しています。 「戦争の目的を明確化した上で、圧倒的軍事力を投入する理論」 ワインバーガー・ドクトリンはベトナム戦争の反省から生まれました。 ベトナム戦争では政治家(大統領)の意思決定により、米軍の戦闘行動は制限を受け、しかもそれが二転三転しました。 1965年に北爆が開始されましたが、民間人・外国人への誤爆が起きた場合、国際世論が反発する事を恐れ、都市周辺の空軍基地、港、軍需工場、中国国境付近への爆撃は禁止されました。その結果、北ベトナムは共産圏の艦船が港に常に寄港しているようにし、地対空陣地や工場は人口密集地に置き、米軍の爆撃を防ぎます。米軍パイロットは敵飛行場に並ぶ敵戦闘機を見ても攻撃する事ができず、北ベトナム戦闘機は不利になるとすぐ飛行場に逃げ込みました。 こうした状況から米軍の損害が無視できないほど増加していきます。その結果、1967年に北爆の規制は撤廃されます。しかし反戦運動の盛り上がりから、翌年には、また北爆は中止となります。しかし、1972年には、また北爆が再開されます。しかし、北ベトナムがパリでの和平会談に応じた事から、また北爆は中止となります。 米陸軍も似たような状況で戦わされました。当初は、北ベトナム地域での戦闘は許されず、戦力も限られたものでした。後にその状況は変わっていきますが、常に何らかの制限がありました。 また、北ベトナムは自軍が不利な戦況になると和平をちらつかせ、米政府を翻弄し米軍の矛を鈍らせました。「手足を縛られて戦わされた」そう言う米軍人もいます。 ベトナム敗北の原因は、こうした政治家の幾度にも渡る方針転換、戦闘の制限にあり、目的が明確化されていなかったからだとする考えから、ワインバーガー・ドクトリンは生まれました。 ちなみにワインバーガー・ドクトリンの発展、または亜流と呼ばれるものにパウエル・ドクトリンがあります。これは圧倒的軍事力を投入し、短期間で勝利しようというもので、「湾岸戦争」で行われ成功しました。
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- Smith-kei
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通常ベトナム戦争がもたらした負の遺産といえば 1枯葉剤使用による生態系の破壊 これは枯葉剤の使用によって足が5本生えたカエルや 頭が二つ生えた人間の赤ちゃんなど多くの奇形生物を生み出しました。 2今でもある地雷原 ベトナムではいまだに地雷が埋まっている場所が住宅地、農村のすぐ近くにあります。 これらすべての地雷をすべて取り除くには何年とかかると言われ、費用も莫大です。 しかし、貧しい人々は飢えるぐらいなら危険を顧みず地雷を手作業で掘り、くず鉄として売って生計を立てている人も少なくありません。 地雷の発見も目視、手作業ですので毎年何人も地雷でふっとび、死亡したり足や手がもげたりしています。 そう言う人たちの多くは、安全に見つけることのできる金属探知機が欲しく、高価でなかなか手に入らないそうです 自然環境面ではこんなところです。 戦争で受けた心の傷や手や足、神経の欠損は時間が立ってもなかなか癒せないものですから、そう言う意味でも負の遺産といえるかもしれません