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こんにちは

「オイルショック」や「バブル経済」について、僕はあいまいな知識しか持っておらず、より詳しく正確に知りたいと思うので、教えてください。

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回答No.3

バブル経済・・・というより、バブル景気(1988年~1991年あたり)について書かせてもらいます。 #2の方がおっしゃるとおり、バブル景気の土壌・発端はオイルショック以降の経済・財政政策にありますが、その当時からバブルが発生していたわけではありません。バブルが発生する発端となったのは1985年9月に、アメリカが行なった重大な政策転換にあります。 アメリカは第2次大戦後、強大な軍事力と強いドルを背景とした西側諸国の支配を貫いてきましたが、ベトナム戦争の敗退からその様相に変化が現れました。それはアメリカ経済が抱える「双子の赤字」すなわち財政赤字と貿易赤字の問題です。強いアメリカを演ずるための膨大な軍事費は財政を圧迫し、高ドル政策は日米貿易摩擦に代表される輸入超過問題を発生させました。民主党カーター政権から共和党レーガン政権に移行した時、レーガン大統領は画期的な経済政策を実行しました。これがレーガノミックスと呼ばれる物なのですが、その一環で、アメリカはこれまで強いアメリカの象徴であった高ドル政策を放棄、貿易赤字快勝のためドル安容認を打ち出し、先進諸国にドル安誘導と強力な為替管理を要請しました。これが1985年9月の「プラザ合意」と呼ばれるものです。 日本の中曽根政権は、「不沈艦発言」に象徴されるように、アメリカに対して積極的に協力する姿勢を強調していましたが、このプラザ合意に対しても、輸入障壁の撤廃や日本の証券市場活性化に積極的な対応をしましたし、元々無理やり作られていたドル高ですから、為替市場はこのプラザ合意に敏感に反応、これまで230円程度だった円ドル相場が一気に180円まで下落、それ以降どんどんドルが下落していきました。 そうなると困るのは、日本の製造業です。これまで輸出に頼って事業を拡大してきた日本の製造業は、急激な円高のために業績が一気に悪化してしまいまい、景気は急速に冷え込んでしまいました。これが「円高不況」と呼ばれるものです。 しかし中曽根政権は円高政策の手を緩めることはありませんでした。むしろ、つまり内需拡大により、輸出に頼らない財政構造改革に力を入れるようになりました。 消費刺激策を強力に推進することで、円高でロスした需要を内需に補完させるだけでなく、円高で安価になった輸入品の消費拡大を図ったのです。 景気を刺激するために用いたのが、超低金利政策でした。金利が低くなれば、企業の設備投資が増え、貯蓄に回されていた個人所得が消費に回ります。また金利が低いために資金が銀行預金から証券市場に流入しますし、土地の投機に回ります。このように、円高→低金利→証券市場拡大・土地投資拡大→キャピタルゲイン増→さらに投資拡大・・・・というように、資産の急激なインフレーションを招いていったのです。ほとんど金利はゼロで、土地や証券に投資すれば確実に値上がりが期待できるのですから、銀行の貸し出しは急増し、投資は過熱になりました。その結果、実体のない利益だけがどんどんと積み増しされていったのです。これが「バブル」です。バブルを支えていたものは、円高、資産高、金利安でした。 バブル景気の破綻はあっけないものでした。そのきっかけが「湾岸戦争」でした。戦時にはドル高になります。これでバブルを支えていた円高メリットが失われました。またこの頃になると、投機過熱によるさまざまな弊害やスキャンダル、例えば土地転がし、地上げ、尾上縫などに象徴される株に関わる詐欺事件、あるいは大手投資家に対して元本保証をするといった証券会社の不正などが次々に明るみとなっていました。土地問題について日本政府は過熱した投機行動を抑え、景気をソフトランディングさせるために、公定歩合引き上げや、さまざまな流動化防止策を打ち出したため、これで地価下落が始まり、土地神話が崩壊しました。また株スキャンダルによって個人投資家が証券市場から離れていきました。 こうしてバブルを支えていた円高、資産高、金利安がなくなり、バブルは崩壊したのです。残されたのは天文学的な銀行の貸出残高でした。これが後に不良債権と呼ばれるものに変わっていったのです。

superhawks
質問者

お礼

非常に詳しい説明をしていただき、有り難うございました。おかげで、理解を深めることができました。

その他の回答 (2)

noname#24736
noname#24736
回答No.2

最初のオイルショックは、1973年の第4次中東戦争のときに、アラブ諸国がイスラエルを支持する国に対抗するために、原油の減産や値上げを行ったために、石油不足とガソリンなどの価格が高騰し、それに端を発したエネルギーコストの急騰のために、いろいろな品物の物価上昇を招き、狂乱物価と云われ、世界経済に大きな影響を及ぼし、日本も大不況になった事件です。 日本ではトイレットペーパーまでが無くなるといううわさが流れて、主婦らが買い溜めしたために、スーパーの店頭から無くなるという事態までおきました。 その後、1978年には、イランの政変により第2次オイルショックが起こきました。 バブル経済は、オイルショックによる日本経済が不況から脱出するために、積極的経済・財政政策を原因とする、景気の過熱現象です。 日本でも、田中内閣の列島改造論により、無秩序な開発・土地の買い占め・銀行の無謀な貸出などで日本経済はどんどんと膨張し続け、地価の高騰・株価の高騰・人手不足による賃金の高騰となり、日本中が浮かれました。 詳細は、参考urlをご覧ください。

参考URL:
http://www.campus.ne.jp/~waka/chuo/1.html
noname#5528
noname#5528
回答No.1

オイルショックについてはまだ理解しておりませんがバブル経済につきましては下記の参考HPアドレス書きましたので見てくださいね。

参考URL:
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/international/

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