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日本のバブル経済は何年から何年までで、なぜバブル経

日本のバブル経済は何年から何年までで、なぜバブル経済になったのでしょう? 1983年はまだバブル経済ではなかったと新聞に書かれていました。

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  • m-m-mg
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回答No.3

日本の場合、株式ブームの頂点は1989年、土地投機ブームの頂点は少し遅れて1991年中ごろとされます。 1987年ごろから地価の高騰はたびたび社会的に大きな問題を引き起こしていました。再開発に必要なまとまった土地を確保するために「地上げ」行為が横行したり、相続税や固定資産税の支払いに困ってせっかくの住居を泣く泣く売らなければならないという例も多発しました。 行き過ぎた地価と株価の高騰を何とかすべきという社会的な非難の声が日増しに高まって行きました。 地価の高騰に歯止めをかける地価抑制策には、直接的な土地取引の規制、土地関連税制の強化、そして金融政策と3つの手段が実施されました。直接的な土地取引の規制は、土地取引に監視区域制度を設けるなどの方法で1986年暮れから段階的に実施されています。 日本の金融政策は1989年5月末に引き締めに転じられました。本来であれば87年辺りに引き上げてしかるべきでしたが、日本が金融引締めを行なうと当時の米国経済に大きな悪影響があるとして米国からの外圧などもあり、金融引締めは89年までずれ込みます。その後、土地バブルの熱気が冷めるまで合計で5回、公定歩合が引き上げられました。 更に本格的な地価高騰の抑止策は1990年4月に導入された「総量規制」になります。総量規制とは、大蔵省銀行局からの通達として1990年3月末に出されたもので、これによって全国の金融機関は、四半期ごとの不動産業界向けの融資残高を、貸出残高全体の伸び率以下に抑えることが義務づけられました。金融機関に対して無制限だった土地担保融資の拡大を直接抑えるという意味で、総量規制が地価高騰に対して大きな歯止めとなったのです。 株式市場は1989年12月の引け値で、日経平均株価が3万8915円の史上最高値を記録しました。バラ色の幻想が社会を取り巻いた1990年の年始、その時点から株価は暴落を開始しました。 世間ではまだ土地取引は活発で、バブル景気も以前のままに続き、ジュリアナ東京が開店したり、銀座の豪遊もあたりまえ、バブルの熱気は依然として社会で当然のこととして受け止められていました。 株式市場はその後1992年8月には日経平均株価は1万4309円にまで下落。下げ率はピーク比で-63%にも達し、昭和金融恐慌の-67%、1929年のアメリカ大恐慌時の-89%にも匹敵するものとなりました。 1991年ごろの政府や日銀の日本経済に対する見解もまた楽観的なものでした。バブル景気が減速したことを政府が公式に認めたのが1992年2月になってからとなります。 1992年に宮沢喜一などがバブル景気崩壊後の金融不安を巡って、当時日銀総裁であった三重野康と歩調を合わせて東証閉鎖・日銀特融による公的資金投入というシナリオを密かに模索しました。が、大蔵省の反対により断念するに至ります。 その後、宮沢は地価や株価等の資産価格の大幅な下落から、今までの景気後退とは質が違うとし、公的資金を投入しても不良債権を 早期に処理する必要性があると公に発言しました。しかし官庁、マスコミ、経済団体、そして当の金融機関自身からの強い反対にあい実行に至りませんでした。 この事により銀行への公的資金投入による不良債権処理はタブーとなり、その後は何年にもわ たり日本の政治家は誰一人としてこの事を発言できなくなってしまいました。 株価は90年の年初から急落に転じていましたが、地価の上昇はまだ余韻が残っており、本格的な下落は1991年に入ってからです。下落のきっかけは、土地取引そのものへの規制、税制の強化、総量規制に代表される金融政策が複合的に作用したためです。しかしすでに上がるところまで上がり切っていた土地投機ブームがついに終わった、というのが本当の要因なのでしょう。 東京圏の商業地の地価は1983年初めを100とすると、ピークの1991年には341.5にも達していました。 土地や株価の資産下落(暴落)は1998年末にピーク比で-1200兆円という途方もない巨額の損失をもたらすことになりました。企業は大量の含み損を抱え、それまで投資や投機に向けていた資金を引き上げ、何はなくとも借金返済へと尽力して行きます。 借り入れによって土地投機を行っていた企業や個人は次々と返済不能に陥り、倒産の危機に直面してゆきました。株式運用に失敗して経営が立ち行かなくなった上場企業も続出しました。特に深刻だったのが、不動産や金融資産を担保に融資を行った銀行やノンバンクの融資の焦げ付きです。これが90年代後半の不良債権問題、金融機関の大型倒産につながってゆきます。 1980年代後半の日本を舞台として起こった土地と株価の投機熱は、その後長期にわたってのデフレ経済をもたらしました。国中を巻き込むような熱狂的な投機熱はいつどこでも発生すると言われ、バブルはふり返ってみた時に初めてバブルと判るとも言われます。これは現在の市場価格が常に正しいという幻想の上に経済が成立しているためです。そのためバブル期には好景気で景気が良いと解説され、その後にはバブル崩壊などと呼称されるのです。

nazeka2014
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ひじょ~~~にわかりやすかったです!

その他の回答 (3)

  • hekiyu
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回答No.4

”日本のバブル経済は何年から何年までで”    ↑ 1986~1991年までと言われています。 ”なぜバブル経済になったのでしょう”     ↑ これはプラザ合意にまで遡ります。 日米貿易摩擦の為、日本を円高にしろ、という 圧力が米国を中心に高まり、プラザ合意で 大幅な円高になりました。  240円→150円 この為、輸出が困難になり、今まで輸出で儲けた 金が土地や株に流れ込んだのです。 更に、日本の輸出を減らす為に、内需拡大政策を とりました。 公共事業投資をバカスカやるとともに、企業の大幅減税、 所得税減税、物品税廃止をやり、余った金が やはり土地と株に流れ込みました。 つまり、日米貿易摩擦が原因であったのです。 中国は、日本のこの失敗を学習して、元高に 抵抗しています。 尚、バブルそのものは問題ありません。 結構なことですらあります。 問題は、それが破裂したことです。 つまり、穏やかに景気を減速させていけばよいものを、 急激にブレーキを掛けたため、破裂してしまった のです。 どうして破裂したかといえば、総量規制と公定歩合引き上げが 重なったためです。 どうして重なったのかといえば、米国に気兼ねした日銀が タイミングを逸したからだと言われています。 日本と同様、米国と貿易摩擦を起こしていたドイツも バブル的経済になりました。 しかし、 米国に気兼ねをしなかったドイツは、穏やかな 景気減速に成功しています。 日本が気兼ねをせざるを得ない理由はご存知でしょう。

  • at9_am
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回答No.2

なんだか、バブル経済がはじけたきっかけを一生懸命(でも土地だけで株はないね)説明している方がいますね。 バブル経済は、何らかの制度が導入された日のように、ある日を境にすることはできませんから幅のある話ですが、一般的には、1986年ころから始まったといわれています。 なぜバブル経済が発生するかのメカニズムは、こんな感じです。 ・将来1万円貰える券があります。つまり、本質的には1万円の価値しかありません。 ・市場では1万2千円で取引されており、近い将来に2万円で取引されると予想されています。 ・今買って2万円で売れば、8千円の儲けです。  → 買いたい人が増えます=需要が増えるので値上がりします ・↑の結果、1万4千円になりました。やっぱり上がるじゃないか、ということでまた需要が増え、値上がりします。 ・・・というのを、人類は史上何度か経験しました。このように、実態とかけ離れた資産価格の高騰をバブルと呼ぶことがあります(潰れなければバブルではないというのは暴論です)。他の例としては、チューリップバブルや南海泡沫会社事件などを参照してください。 日本において資産バブルが生じた原因はいくつかありましたが、そのうちの一つは巨大な資産市場の発生です。 1980年代後半、つまり今から25年~30年前は、現在80歳の人が50代です。つまり、バブル期は現在最も資産を持っている世代が、最も資産を形成する時期にあたります。 そのため、巨大な資産市場が形成されました。例えば住宅に対する需要が非常に高くなったため、住宅バブルともいうべき土地バブルが起こっています。この土地バブルは、土地を担保とする企業活動の増大を後押しするなど、様々な方面に波及しました。 また、この資産の一部は株に向かい、株式市場は高騰しました。 ・・・と、ここまでは良いんです。 先の例で、もしみんながふと「あれ、やっぱりこれって1万円じゃね?」と気が付いたらお終いなんです。 或いは借金でも際限なく売って買ってを続けることができればそれでいいんです。でも、借りることができない程の額になったらお終いなんです。 日本の場合は後者でした。 その後には巨額の借金を背負った人や企業と、焦げ付いた多額の貸付金を持っている銀行が残りました。いわゆる不良債権問題というのは、この銀行側の処理であり、その解決には小泉政権まで10年かかりました。

  • DCI4
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回答No.1

★回答 バブルとははじけたから バブルと言うのが正解ではないか うまく経済を制御すれば 景気が過熱しただけ ソフトランディングである。 ・・・・・・おわり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ★回答  そのように 言う 理由 解説 資産価格もバブル期と言われる 日経平均255  1989年12月25日  38957円 基準点 で見ればあきらか。 現在は縮小して バブル価格ではない。 他の国の増減比率と比べれば明らかである。 よって  当時はじけさしたから  バブルとさわいでるだけで バブル価格じゃないよ。 以下URLを ブラウザーに入れ ヤフーファイナンスのチャートで先進国 統合チャート(日本 イギリス アメリカ ドイツ) 株価指数を代表値として 確認すれば 明らかだ。 株価は代表的資産価格で 他資産と相関が高く 連動してる。 日経平均255  1989年12月25日  38957円 基準点 でみる。 日本の資産価格は半分になり 各国の資産価格は 3倍~5倍になった。 http://finance.yahoo.com/charts?s=%5EN225#symbol=^n225;range=19890731,20130902;compare=^dji+^ftse+^gdaxi;indicator=dividend+ud+volume;charttype=area;crosshair=on;ohlcvalues=0;logscale=off;source=undefined; 【20年デフレ構造とバブルの 抜本的原因以下だ】 1989年 日銀 三重野が ソフトランディングせず 金利を上げ バブルをはじけさしてからずずずーっと 同じ問題だ。 日本人の美徳を守るのに必要な政策だった・・・・とか  とんでも理論だった。 ※1989年12月 三重野氏は就任直後から急激な金融引き締めに踏み切る。 12月に公定歩合(当時の政策金利)を3.75%から4.25%に引き上げた。 その後、90年3月に5.25%、8月には6%に引き上げる。 当時悪いことに 土地税制をいじくり  土地部分の借り入れの損益通算を認めないとして 民間の経済活動に大打撃を与えたのである。 (馬鹿マスコミが平成の鬼平と言って賞賛してたのである) 財務省(旧大蔵)を中心とする官僚機構+日銀 が崩壊理由である。 脈々と続く 既得権益による 非科学的な 仕組み作りをやめさせることが重要である。 当時はこんな感じだったのだ 『土地がこんなに高くなってはどうにもならない。 いくら都心の官舎に安く住めると羨ましがられても、 いつまでも住めるわけではない。大蔵官僚とチヤホヤされても、 30年余り働いて退職しても、家一軒どころかマンションだって買えない しかし、これも日本経済の強さの顕れなのだから...』 とか思っていたのだ ↑大蔵省関係者談抜粋 ※現在 多くの人はマクロ的に考えない 今の目先の 自分の業界のことしか考えないのである。 ※若いやつは気が付かないだけだ 小学校からずずっーとデフレ ●そして現在は 消費税が必要だと デフレ期に言ってる。 財務省(旧大蔵)を中心とする官僚機構 に変わったのだ。 やってることは同じ。 今は ま逆なだけ。 間違い方も 類似性 相関性あり。 (マスコミは2013年10月 消費税しないと 国債 株 暴落だ 必要だと賞賛してたのである) (以前は 馬鹿マスコミが平成の鬼平と言って賞賛してたのである) ・・・・・・・・・・・・・・おわり・・・・・・・・・・・・・・・

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