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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:六郷の渡し、矢口の渡しについて)
江戸時代の関所と渡しについて
このQ&Aのポイント
- 江戸時代、“渡し”は関所の役目も兼ねていたと聞きます。
- 六郷の渡しは、川崎から江戸へ入る時、不審者を江戸に入れぬよう厳しかったと聞きます。
- 多摩川には“六郷渡し”“矢口渡し”“平間渡し”“丸子渡し”などがあり、手形が要らない場所もありましたが、怪しい団体でも比較的簡単に渡れた場所は不明です。
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六郷の渡しでも、当初は厳しかったようですがその後はけっこうゆるくなって行楽客が渡ることも容易になったようですね。 でも、六郷と丸子は主に物流に使われていたようなので、お忍び道中だったら他の渡しのほうが良いかも。こちらのサイトでは矢口や平間は行楽のために黙認されていたのでは…という説も書かれています。忠臣蔵の一行も平間の渡しを渡ったのだとか。 http://www.photo-make.co.jp/hm_2/ma_16_10.html 私は矢口と平間の間あたりに住んでますので個人的に矢口が舞台だと嬉しいなあとか思っちゃいました^^ 歴史に詳しいわけじゃないんですけど… http://www.geocities.jp/kikuuj/kyudo/watashi9/tama-watashi9.htm
お礼
早速ご回答いただき有難うございました^^六郷は、メインの渡しというイメージがあったんですが、物流中心だったんですね!なるほど~。 そして、“矢口の渡し”と“六郷の渡し”で迷っていました。矢口は、歌舞伎でも“精霊矢口渡”なる演目もありますし、響きが好きなんですよね^^。渡った後は川崎宿に入り、川崎大師に寄ると言う設定なので平間だとちょっと遠回りかな?と思うので矢口にしてみようかな?と思いました。そして、今でも矢口の渡駅は健在ですし、商店街が好きです^^うん。やぐっつあんに決めようかな(笑)どうもありがとうございました。