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多摩川沿いの地名について
東京の世田谷区・大田区と神奈川の川崎市は多摩川を挟んで隣どうしの位置にありますよね. で,川の両側に同じ地名があるのが気になるんですよね. 例えば,瀬田,二子,丸子,等々力,野毛・・・ 何でこのような地名が付いているのか,歴史的な背景とかが分かる人,是非教えて下さい. 別に急がないので,暇なときにでも回答お願いします.
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- shoyosi
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回答No.2
現代は、川はきちんと、堤防があり、整備されていますが、明治時代までは、蛇行が普通で、流れはしょっちゅう変わっていました。そのため、それらに沿ってある集落は川によって分断されたりすることはよくありました。これらも、そういった物と思います。また、当時は新たに、台地を開き、人口が過剰な村を分村して、新田村を作り、名前に元の村の名前を冠することもありました。片一方と高さが違う場合はこの可能性が大です。個別のものについて、知りたければ、現在は、角川書店と平凡社から県別の詳しい地名辞典が出ていますので、参照してください。
noname#1019
回答No.1
確か明治時代になって「県」が制定される以前は、「武蔵の国」は現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部(川崎、横浜など)を含んでいたと思います。ですから当時は多摩川は国の境ではなかったために、両岸に同じ地名が残っているのだと思います。
質問者
お礼
回答ありがとうございます. 言われてみればそうですよね. 私も多分そうじゃないかと思います.
お礼
回答ありがとうございました. とても分かりやすく,合点のいくものでした.