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統合失調症とはどう考えたらいいのか

統合失調症(旧名精神分裂病)に関して、よくわからないことがあります。学術的結論がおそらく出ていないか、検討もされていないようなことではないかと思います。かなり哲学的というか、文学的になってしまいます。 幼児期の、自我形成時期に感じるといわれる 「なぜ自分は自分なのか」 「この番組は自分のためにやっているのではないか」 「親は自分の前でだけ親の演技をしていて、そうでないときは違う姿になっているのではないか?」 「むこうから人が来て丁度転んだ、でもそれは自分に見せるためにわざとやっているんではないか?」 などという、関係妄想的な思考を経験して、次第に社会的感覚にそれが圧倒されていき、大人としての社会生活を営む力をつける、というような流れがあるのではないでしょうか。 片や、統合失調症の関係妄想的な症状が、この幼児期の思考と何か似たところがあるように思いました。これは、一種の幼児帰り的な傾向も絡んでいると考えられないでしょうか。いままで、概説的な紹介文しか読んだことがないので、知らないのですが、もしかしたらそういう学術的説明もあるのでしょうか。

みんなの回答

回答No.2

ちなみに 統合失調症は主体性が分裂した状態です。

noname#41852
質問者

お礼

よくわかりません。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.1

「>学術的説明」に関する知識はありませんが、私見でよければ述べてみます。 統合失調症の原因は、確か現代科学でも解明されていなかったと思います。 ドーパミンなどの脳内科学物質の代謝異常も一因らしいですが、なぜ、どのようにしてそれが引き起こされるのか、という点については以前不明ということなのでしょう。 ある刺激に対して、ある脳内化学物質が、ある神経細胞間を移動することによって様々な心理現象になるわけですが、なぜそのような回路が選択されるのか、という点に関してもやはり解明はされていないように思います。 この点に関して、帰納的解決を求めることは責められないはずで、 「>哲学的というか、文学的に」仮説を立てることはむしろ有効なようにも思います。 私たちは、どのようなものであっても外界の刺激を一旦取り入れざるを得ませんが、ある程度の取捨も同時に行っていると思います。 一種の振り分け作業ですが、この機能が弱まると、通常流れないような刺激反応物質が通常流れないような神経回路に流れてしまうのではないでしょうか。 一旦その誤った回路が通ってしまうと、それが修復されるまでは誤った物質が誤った回路を通過する、つまり、誤った反応が繰り返される、ということになるのだろうと思います。 本質的には『生命力の弱体化』が何らかの関連性を持っているのでしょう。 生命力という言葉は抽象的ですが、心理が脳内活動の顕現であるのと同時に、心理が脳内活動に影響を及ぼせることもまた確かではないかという気が私はしています。 無論、本当に重大な影響を及ぼすことができるのは主に無意識的な作用だと思いますが、我々の意志がその無意識を左右することも可能だろうという考えもまたあります。 (無意識のことなので、その因果関係を証明するのは難しいことでしょうが) つまり、生命力は意志によっても(全てでは無論ないが)何らかの影響は蒙る。 と考えます。 やや脱線した感もありますが、 小児期には新しい神経回路が盛んに形成されるといいます。 つまり未舗装の神経回路が残存しているということでもあるでしょう。 統合失調症が先に述べたように、刺激の振り分け機能不全による神経物質の回路逸脱によるものと推定すれば、舗装する以前の旧道を走っているようなものですから、その意味では「>似たところがある」と解釈するのは案外妥当なことなのかもしれません。  

noname#41852
質問者

お礼

生物学医学的に解明できたことは、おっしゃるようにドーパミンなど脳内化学物質の運搬に関するものとかですね。ただ、たとえば夢の脳波が解明されても、夢それ自体の意味合いとか、内容について決して解明されない。それと同様のことがこの分野(精神疾患)にも当てはまります。 主体の弱体化、それはいい表現ですえん。そうすると確かにいろいろ通常でないことが起こりえるのでしょう。未舗装の道路、明治の黎明期の旧道があらわれる。。。イメージできますね。 意思によって人間性や無意識を変革できるというお考えは、非常に共感いたします。

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