- ベストアンサー
なぜ人を殺してはいけないか?
禁止事項に「公序良俗に反する内容」がありますが、大丈夫でしょう。 「そもそも、なぜ人を殺してはいけないのか?」 これについて皆さんの哲学的な考えを知りたいのです。 ちなみに私は17歳です。 べつに殺人願望などありませんので、勘違いのなさらないようお願いします。
- みんなの回答 (19)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
この質問の問題は、二重の意味で主語が無い事です。 まずあなたは人を殺す気が無いと言いながら、なぜと聞いてくる。 この質問だと人を殺す行為者が意図的に隠されています。何かが誰かという人を殺したよ、という訳で、主語がありません。 これなら二者の関係性は何とでも決められるし、そういう意味では何とでも答えられる訳です。 殺される者が近親者だと設定すれば感情論で、もっと普遍的な人なる物と設定すれば倫理、宗教と人の数だけ答えがあります。 さらに、「いけない」 というのは禁止であり、禁止にはそれをする人、つまり禁止者がいるという事です。 でもこの質問では禁止者が誰なのか隠されて、主語がありません。 誰かが止めたよ、という訳です。 これなら行為者と禁止者の関係性は何とでも決められるわけで、やはり人の数だけ答えがあります。 この質問に答えが無いのは、回答者がどんな行為者と禁止者を設定しても、質問者は別の主語をつけて別の関係性を持ち出せば否定できる、後出しじゃんけんだからです。 質問者は行為者と禁止者を意図的に隠す事で、どんな答えも出来るし、どんな否定も出来るという不平等な関係を作ってる訳です。 でもそこが面白い所で、質問者に答えようとする内に、だんだん自分の問題になってきて、命の価値、自分の生きる意味など、人生について考えるきっかけになってくれます。 こういう質問に対して、自分に問い続ける行為自体が、自分というものを作るんだと思います。 だからこの質問は個人的に好きです。
その他の回答 (18)
自己の整合性はどう保たれるのだろうね それは私ではないなんていったりして 自己分裂かい?って
戦争好きな民族に答えさせたら面白いね.
- mijinco
- ベストアンサー率25% (87/346)
哲学的な考えでいうと、殺された方が哲学できなくなってしまうからです。
お礼
なかなか興味深いですね。
- heisenberg
- ベストアンサー率23% (591/2556)
簡単な話です。 「他人のものを奪ってはいけない」・・・。 それだけです。
- zk43
- ベストアンサー率53% (253/470)
前にも同じ質問があり、たくさん回答が寄せられていました。 私は物事を判断するのは理屈ではないと思っています。法律で殺人は 犯罪だとありますが、人は法律に反するから殺人をしないというのでは なく、逆に殺人は悪であるから法律に犯罪であると規定されているのだ と思います。 宗教にしても、殺人が悪であるということが先にあって、教義にされて いるのだと思います。 なので、私は殺人は悪であるという絶対的な感覚が最底辺の基礎にある のだと思っています。しかし、人は常に正常な状態でいられるわけでは ないので、その戒めとして宗教などがあるのかなと思っています。 最近ではこういう自明のことを言葉で理屈づけて説明しなければなら ない時代になってしまった、と誰か識者が言ってました。 老子風にいえば、大道廃れて仁義ありみたいな感じでしょうか。 以上は全くの私見で、専門家でもないのでご容赦を。
- spitzer3
- ベストアンサー率9% (3/32)
たぶん、自分が人を殺すのを良いと思って、他の人を殺すと、それを見た人が殺すのはいいことなんだと思って、それを見た人が殺しに走るため、生きるためには他の人を殺さないようにする方がいいと感じるんだと思います。 殺すことはだめだと、他の人に主張すれば、他の人は、殺すのをよそうと思うわけです。 それで、平和な世界へ一歩前進します。
こんにちは それは、人間としてのモラル、常識・・では、回答ににらないので、哲学的に回答してみると。 仏教で不殺生の戒律があり、それは小さな生き物、虫とかですよね、これを殺してはいけないという戒律が、あります。 日本では、無視されているけど、仏教国のアジア、チベットでは厳密に守られている。で、ここが、由来になっているものと。 逆にお聞きしたいのだけど、なぜ、そんな疑問を持つのですか?? よければ教えて、その方が、回答者が、その趣旨にそった回答をしやすいので。 以上
- fx21
- ベストアンサー率20% (5/25)
人は、創造性を持った知的生命体です、人の精神的本体は生まれ変わりながら進化して行くと考えます。人として生きる目的を考えるなら、社会の中で学習し自らの精神的本体を進化させることを目的に生きていると考えます。人を殺すと言うことは、人が進化する環境・・今世での人生・・を奪うことであり、これは悪い事であると考えます。
「汝の欲せざるところ、他人に施すなかれ」 キリストや孔子が言っていることで、誰でも納得できる世界的な常識です。 普通の人は死にたくないので、当然殺してはいけないということになります。 では、死にたい人がいた場合、殺してはいけないのか。ここが問題でしょう。 いろいろなケースがあり、一概に言えませんが、きっと殺すという選択より、殺さないほうが後々よい結果になることが多いのではないでしょうか。 ちょっと計り知れませんが、先人の知恵でそういう結果が出ているのだと思います。 だから、「人を殺してはいけない」と。 哲学的な考えではないかもしれませんが。
- maymattmi
- ベストアンサー率28% (9/32)
なぜ人を殺してはいけないか? という着眼点から、なぜ人は命を受けこの世に生まれてきたかを先に考えてはいかがでしょう。”殺す”の前に必ず、生まれてくるが請じてます。 つまり、この世に”生”ある人は、何らかの使命があって生まれてきてると思います。例え、生まれつきの障害やまた、病気や不慮の事故により短命で終わったとしても。 それは、人の命を故意に終わらせない限りは、人間では理解できない世界があるのではないでしょうか? これだけ、科学が発達しても機械で人間を(感情などすべてを)作る事は未だできない。っという話を聞いたことがあります。 食物を入れて、便をだす。つまり内臓機能ですら、東京ドーム5個分のスペースにあらゆる機械を設置しても完璧にはできないとか。。。 それくらい、人間という生き物が物体的には解明しがたく、また、神秘であるということではないでしょうか。。。 哲学的にとのご要望でしたが、あえて、人間を哲学で語ること自体がどうなのかと投げかけたいと思います。 宗教的にっと言う意味でもないですが、目に見えない世界があるのも事実な気が私はします。 なぜなら、”生”受けたものの使命は、誰にもわからないからです。 ただ、生まれるということ自体が既に、使命を持ってるつまり、その使命を果たすまで人は生き、悩み、喜び、怒り、感謝し、行動し、考え、など様々なことを勉強や仕事などを通して行うのではないでしょうか? そして、人間としての使命を終えた時、この世での”生”が終わるのが大自然の摂理なのではないでしょうか? そうなると、”殺す”はあきらかに、その摂理に反した事ではないでしょうか。。。もちろん自殺もです。 何があっても人である限り行き続ける事自体が既に使命であると私は考えます。 現在妊娠中のため、日々神秘を感じて過ごしてます(o^o^o)
お礼
ご回答ありがとうございます。 元気なお子さんの誕生をお祈りしております。
- 1
- 2
お礼
たいへん興味深く読ませていただきました。 ありがとうございました。