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江戸時代、2藩にまたがる訴訟。

例えば、備中国のA村と備後国B村とが何らかの争い事で決着が付かない場合、どのようにして解決したのですか。 それぞれの藩と藩とが交渉して、それでも決着が付かないときは、大坂町奉行所へ訴訟するのですか。 大坂町奉行所から遠く離れた藩での具体例があれば教えてください。 大坂まで出かける日数・費用が大変だと思って質問しました。 よろしくお願いします。

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  • tanuki4u
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回答No.6

http://bud.beppu-u.ac.jp/xoops/modules/xoonips/download.php/bs00205.pdf?file_id=2263 豊後の国ではこんな事件が起こっている 年来の入会地の問題を巡見使が来た機会に解決しようとして、揉めたため幕府評定所に上申されたようです。 ※ ここでも天領の百姓が幕府の威光を背景に藩領の百姓に対して優位に立っていたらしい。 西国(領域は不明)に関しては大名家の監視も含めて日田代官の権限が強かったようです。 大坂町奉行は関係なく、江戸の勘定奉行(日田代官の上司)に上申して、幕府評定所の案件になったようだ。 藩同士の場合、御親戚同志の根回しがあったかと思われます。 ※ 大名当主の押し込めの場合、家来が大名当人の御親戚(個別の大名だったり、旗本など幕府直臣)に根回しをして、穏便に済ますようにしたそうでう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E5%90%9B%E6%8A%BC%E8%BE%BC 笠谷和比古『主君「押込」の構造―近世大名と家臣団』 < ちょい古めですが、御親戚への根回しとかでている。

kouki-koureisya
質問者

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再度のご回答ありがとうございます。 やはり実例に限りますね。手に取るように分かります。 幕府評定所の吟味は、書類重視のいい加減なものと思っていましたが、関係者多数を呼びつけるのですね。 それも、村役だけでなく、何十人という一般の百姓が九州から江戸まで出向いているので過酷な負担を強いられたことがよく分かりました。 留守家族に救助米を支給するなど藩の出費も大ですね。 ご親切な回答にいつも感謝しています。

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回答No.7

こんにちは。 遅くなりましたが・・・。 >>私は、兵庫県の真ん中あたりの村の「地方史」の本をもらって読んだのですが、村同士の争いの事例がいっぱい出てきます。 田んぼの用水、立木や芝刈り、舟運などで大坂奉行所へ訴えた例もあり、こんな些細なことで大坂まで行くのかと思いました。 庶民の訴訟は基本的には町奉行の職務です。 町奉行は民事、刑事の両方の権限を持っていました。 確かに、田んぼの水取り、とか、入り合いの山林なども境界争いは頻繁に起こっています。 これらの裁断は町奉行所が双方の意見を聞き、場合によっては、現地調査をして裁決を下しました。 これは余談ですが、 町奉行所は民事、刑事の権限があると述べましたが、江戸に関しては火付盗賊改ができてからは、いわゆる、強力犯を捕えたり裁いたりするのは火付盗賊改の職務へと移行し、町奉行所の役務は主に民事のみとなりました。 とは言っても、 享保16年(1731)、無宿の伝兵衛という者が火付の罪で江戸市中引き回しのうえ、火炙りの刑を火付盗賊改から言い渡されました。 しかし、この伝兵衛にはアリバイがある、とのうわさが同心の耳に入り、同心は当時町奉行であった大岡越前守に上申しました。 大岡越前守は、ひそかに証拠集めを指示し、ついには、裁判のやり直しをして「無罪」をいいわたしたのです。 当時は1審制だったのですが、再審まで断行して無罪を言い渡した大岡越前守は一躍江戸中で有名になったのです。

kouki-koureisya
質問者

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再度のご回答ありがとうございます。 >庶民の訴訟は基本的には町奉行の職務です。 それで、私が例に挙げた姫路藩と旗本領の領民の争いも、お互いの役人同士ではケリがつかず、大坂町奉行の裁決を仰いだのですね。 よく解りました。 一審のお裁きが覆ったという大岡越前守の話は面白かったです。

回答No.5

こんにちは。 >>それぞれの藩と藩とが交渉して、それでも決着が付かないときは、大坂町奉行所へ訴訟するのですか。 江戸の各藩邸へ連絡をして、江戸家老が「評定所」へ訴えました。 評定所の役目としては以下のようになります。 (1)藩と藩の争いの裁定。 (2)原告と被告がそれぞれ管轄違いの場合の裁定。 例えば、町奉行所配下の同心と寺社奉行配下の同心とのもめごと・・など。 (3)武士と庶民の争いの裁定。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%95%E5%AE%9A%E6%89%80 >>大坂町奉行所から遠く離れた藩での具体例があれば教えてください。 適当かどうかは解りませんが、かの有名な忠臣蔵では、 大石内蔵助は、吉良の首を取ってから、泉岳寺で亡き主君に報告をし、評定所に自首したのです。 つまり、藩と藩の争いなのだ・・・と主張したのです。 評定所に自首したことで、町奉行所や大目付(大名を取り締まる役)は一切手を出すことができなくなってしまったのです。 評定所には牢はありませんので、大石らは座敷で待機していました。 評定所では直ちに老中へ報告がなされ、老中も5代将軍綱吉も大石の記した「討ち入り口上書」を読み、「あっぱれである」と褒めたたえました。しかし、御側用人の柳沢吉保は「人情だけで政ごとはできない」と強く反対をし、湯島聖堂(学問所)の林信篤が温情論を唱え、柳沢お抱えの荻生徂徠が厳罰論を戦わせ、結局、綱吉はその中間を採って、赤穂の浪士を武士として処遇することとし、翌年の2月に全員切腹。 ご存じとは思いますが、武士にとって切腹は名誉なことで、浪士(浪人)を武士と認めたことに意義がありました。

kouki-koureisya
質問者

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ご回答ありがとうございます。 江戸家老は、訴訟に関する任務もあったのですね。なるほど! 国元から江戸まで出かけるのは甚だ非効率ですからね。 私は、兵庫県の真ん中あたりの村の「地方史」の本をもらって読んだのですが、村同士の争いの事例がいっぱい出てきます。 田んぼの用水、立木や芝刈り、舟運などで大坂奉行所へ訴えた例もあり、こんな些細なことで大坂まで行くのかと思いました。 極端な例では、薪や芝の話で両藩の領主では決着が付かず、大坂奉行所へ訴え、足掛け4年の訴訟となった例があります。 お裁きが下りるまでの村人の出張費(日当・宿賃)や村の打ち合わせの費用などで、一方の村(姫路藩8ケ村)の出費はなんと推計で銀36貫(=540両)です。 他方は3千石の旗本領です。 大坂の近くでもこんなに大変なので、四国・中国地方の藩ならどうなるのかと思いました。 大石内蔵助が評定所へ自首したのは、そのような狙いがあったのですか! 大変参考になりました。

  • tanuki4u
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回答No.4

http://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/Archives/NenpyoFrame?TITLE=%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3&RANGE_START=1596&RANGE_END=1967 魚沼郡津南地方の信越国境山論,幕府評定所の裁許により越後側の勝訴となる([3]450) 幕府評定所,寛文期以前にはじまる頸城方面の信越国境山論を裁定する([3]441) 領域裁判 蒲原郡矢川上流15か村,竹野町堰をめぐり,下流の竹野町村を江戸評定所に訴える。同7年2月和解する([5]299 水利権 長岡船道の米穀運送と上前の特権をめぐり,長岡船道と蔵王領船持の紛争が起こる。同年12年6月,評定所で判決下りる([5]419) たぶん通行権裁判

kouki-koureisya
質問者

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いろんな事例を教えて下さってありがとうございます。 公事宿を扱った小説で得た知識ですが、庄屋・名主らが村を代表して、多額の出張旅費を持って江戸へ向かったそうです。 #5の方の回答から、江戸藩邸が引き受ける訴訟も多くあったと思いますが、村人の場合は越後から江戸へ向かうとなると、多額の出費ですね。 これらの事例では、江戸藩邸が関わったのか、それとも村人の負担で訴訟したのか、気になります。

  • tanuki4u
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回答No.3

A藩 B藩 両方の問題の場合 江戸表で行います。 大坂町奉行は大坂町奉行の所轄領域のみでの権限しかありません。 実例 越後国流作場 http://ryusakuba-bandai.com/imamukashi.html 「以来新潟町と沼垂町とでその帰属を争 ったが幕府評定所の採決により、当時親藩大名であった長岡藩の領する新潟町のもの となった。」 ここには、沼垂町の説明がないが、沼垂町は新発田藩溝口家(外様) そもそも信濃川の氾濫によって沼垂町(つまり信濃川の右岸)地域の土地が削られてできた土地であり、地理的には沼垂町のものである。 ※ 新潟町が「向島」と呼んだ経緯もそのへんの事情。 親藩に所属する新潟町と外様に所属する沼垂町の争いのため、親藩有利に裁決された。 これは長く沼垂町の遺恨となった話であり、地元の小学校では、幕府による贔屓裁判であったと教えられた。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 村と村の争いということで、田んぼの水争いや山の立木の盗伐を想定して質問したのですが、2藩にまたがる争いだと江戸表まで行くのですね。 私は、wikiの「大坂町奉行」で 「摂津・河内・和泉・播州の四ヵ国の訴訟だけでなく、大坂が全国各地からの物資が流入する拠点であるという性格から西日本の各地からも訴訟が持ち込まれた」と説明されているので、西日本の村同士の訴訟は大坂奉行所扱いかと思って質問しました。 「大坂町奉行」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E7%94%BA%E5%A5%89%E8%A1%8C

  • jkpawapuro
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回答No.2

領域問題以外は、基本的にはA藩で起きたことはA藩が裁く、B藩で起きたことはB藩が裁きます。 A藩で殺人を起こしてB藩に逃げ込めば、A藩が主体的に裁くことはできません。 B藩に捕縛依頼を出して引き渡しを願うか、刺客を送るかくらいです。 なお奉行所は幕領を管理する組織で、藩同士の諍いを裁く権限はありません。 領域問題以外は原則としては幕府の預かり知らぬことですが、もし幕府が仲裁するなら老中決済が必要となるでしょう。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 奉行所は幕領を管理する組織で、藩同士の諍いを裁く権限はないのですね。 よく解りました。

noname#180728
noname#180728
回答No.1

通常は評定所で裁くことになると思う。 構成は町奉行、勘定奉行、寺社奉行に老中1名が加わり、これに目付、大目付を加えて審理を行う。 審理の結果を将軍が認めて結審。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 西日本の村同士のもめ事が、まさか江戸までいくとは思いもよりませんでした。