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月が存在しない場合、地球が球形であることは説明可能か

もしも月が存在しなかったら、地球が球体であることを説明できるでしょうか?という疑問です。 アリストテレスの『天体論』だったと思いますが、 (1)月食の影の形 (2)水平線の向こうへ遠ざかるものの見え方(下から見えなくなる) (3)南北での天体の見える角度の違い を地球が球体であることの証拠として挙げていたかと思います。 (1)については質問2798727で地球が球体であることの論拠となりえることは納得しましたが、月が存在しない場合は使えません。 (2)はそもそも水平線の彼方にあるような遠くのものを見えるのかという疑念があるんですが、そこを大目に見ても球である必然性はないように思います。放物面でもいいですし。 (3)についても、やはり南北方向での断面が円あることが言えても東西方向については言えません。 したがって、元々(2)(3)は証拠として不十分であるため、月が存在しなければ、地球が球体であることがわからないと思うのですが、どうでしょうか? 他の証拠でもいいのですが、なんとか地球が球体であることを説明する方法はありますか?

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  • tyr134
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回答No.14

私も、面白そうなのでお邪魔します。 地球が平面か球体かは、古代から論争があり、スペースシャトルに乗って肉眼で見て初めて揺るぎない事実になったんではないかなと思います。 天体が「東から昇って西に沈む」のは、誰もが認める事実でしょう。 とすれば、私たち自身が回っているか天が回っているかのどちらかでしょう。 それを証明しようと、天文学が発達しました。(もちろん、宗教的な意味合いも強くありましたが) 古代ギリシアで地球が球体だと言った初めての重要人物は、ピュタゴラスでしょう。 しかし、彼の場合は宗教的観点から「球」だと言ったようです。 その後、アナクサゴラスが「月は反射光である」と言うことを発見し、それが「月に写る地球の影」から「地球は丸い」と証明する材料となったようです。 アナクサゴラス自身は、平面派だったので皮肉な結果と言えますが。(笑) その後、ピュタゴラス主義者たちによって様々な天体観測や論理的証明の試みが行われていきました。 当時は二つの星と考えられていた「明けの明星・宵の明星」も、彼らにより一つの星と考えられるようになったようです。 そして、アリスタルコス(B.C.310~230年)は「地球を始めとした天体は太陽の周りを公転し、地球は自らの軸の周りを24時間かけて一回転する」という見解を示していたようです。 彼らは、天体を観測する事でこれらの事実を発見していったようです。(必ずしも月のみではない) ただ、観測機器の限界により多少の誤差はありましたが、論理的には彼らが築き上げたモノが今でも使われているようです。 地球が球であること(正確には大きさだったと思いますが)について、日本でも伊能忠敬が天体観測によって証明しようとしました。 その方法と言うのが、「>(3)南北での天体の見える角度の違い」であったと記憶しています。 同じ時間、同じ天体を観測し、地面からの角度の差を計り、その差によって証明しようというモノです。 ただ、この方法だと地球が大きいので「ちょっと隣町で」程度の距離では角度に差が出ません。 その事を指摘されたのが、彼が日本地図を作るきっかけだとか。 つまり、「月の影」がなくても天体観測によっていずれは証明されたと思います。 もっとも、「ユークリッド幾何学」による「空間」の概念が必要ではありますが。(って、これも古代ギリシアの発見ですね)

ringo2001
質問者

お礼

ありがとうございます。 「アナクサゴラス」、本サイトで検索すると意外なことに今回が初登場です。おめでとうアナクサゴラス! 本件は存じませんでしたので、教えていただきありがとうございます。 質問を締め切るにあたり、皆さんの一連の回答を踏まえて最終的に質問者として理解したことを以下にまとめておきます。 >(1)月食の影の形 >(2)水平線の向こうへ遠ざかるものの見え方(下から見えなくなる) >(3)南北での天体の見える角度の違い (1)が影というものに置き換えて、地球の形を全体的に把握しうるのに対し、(2)は地表が湾曲していることを局所的に知らせる。(2)だけからは地球全体が球体である仮説を立てても信頼性が乏しい。 (3)によって、北極星や南中時の太陽が見える高度が同じという条件で地表に緯度という概念を導入できる。 同緯度を辿ると同じ地点に戻ってくることができる。 またそのとき、星の日周運動と同じ方向に辿ると日数が1日多くなり、逆に辿ると日数が1日少なくなる。 このことから、少なくとも地球が緯線方向に丸まっていることがわかる。 また(3)により、緯度を変化させながら移動すると星の高度が変化すること、見えなくなる星があること、あるいは白夜や極夜などから、緯線と交わるような線の方向へも丸まっていることがわかる。 ここまでやれば、地球の表面が球のようなものあるいは少なくとも閉じていることがわかる。 あとは、時計があれば、経度を定義でき、緯線と交わる線としての経線を定義できる。その後は測量を続けることで、形状の認識をより正確なものへと逐次修正していく。

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その他の回答 (14)

  • Tori_30
  • ベストアンサー率27% (653/2415)
回答No.4

水平線が円弧を描いていること、がそのスタートになるとは思うのですが・・・。(なんかコロンブスが『だから世界は丸いはずなんだ』みたいに思ってたっていう話を聞いたような・・・?) 水平線が丸く見えるなら少なくとも平面ではない事は証明出来ると思います。そして、どの方角を向いても水平線が同じように丸いなら、幾何学的に大地が球の一部である事を類推出来るとは思うのですが・・・。(ただ、証明は出来ないかも?もしかして向こうが見えてないだけ、って事も考えられるし・・・) う~ん。分かりませんね。月食がなくても(月が存在しなくても)地球が丸いことを証明できそうな気もするのですが・・・。う~ん。 ただ、とりあえず全方角に満遍なく地球を一周できれば事実は示せるわけで・・・。でもその考えってのは結果論的なものになってしまいますしねぇ・・・。

ringo2001
質問者

補足

回答ありがとうございます。 水平線が円弧を描いて見えるというのは、私は錯覚じゃないかと思っています。海沿いの街によく出張するのでいつも確かめるんですが、円弧に見えると自信を持って言えません。 ちなみにある場所で円弧に見えることからすぐに大地が球体であることは言えません。平らな円板でもいいし、放物面の頂点の場所に立っても円弧に見えます。どんな場所でも同じ円弧に見えれば確かに球体だとは言えると思いますが、球が大きい場合には水平線の見える角度が水平方向0度と近いので、人間の目でははっきりわからなくなります。 あと地球1周についてなんですが、ちょっと別な観点から思うところがあります。話は飛んで私が小学4年のプールの時間。25メートル泳のタイムを計っていたんですが、私は運動全般が苦手で、それでも一生懸命に夢中で泳いでいました。ずいぶん時間がかかったと思います。手が向こう岸に着きました。え、泳げたのか。と思って立ち上がるとなんか変です。なんと私は少しずつ左に回転して、スタートと同じ側の岸に到着したのです!! 私はもちろんまっすぐに泳いだつもりなのに… 目をつぶっていたからわからなかったんですね。 でもこの経験から次のように考えます。 地球を1周することは不可能だ。(極めて難しい。) 例えば私がまっすぐ歩いていたつもりだったのにただ単に山手線に沿って1周して戻ってきても、きっと誰も私が地球を1周したとは認めてくれないでしょう。じゃあ、もうちょっとまっすぐ歩くように今度は慎重に歩きます。で、結果半径100キロメートルの円周を歩いて戻ってきてしまいました。やはり地球1周とは認められないでしょう。もっと精密にまっすぐ歩くように心がけ、半径6000キロメートルの円周を歩いて戻ってきました。今度はどうですか?地球1周と認めてくれますか?それともやっぱりズルして曲がって帰ってきたと思いますか?ちなみに地球の半径は大体6400キロメートルです。まっすぐ歩くというのはぴったり地球の中心を通る断面の円周を歩くことです。つまり半径6400キロメートルの円周上を歩くこと。それ以外はズル。これって本当ですか? でも半径6000キロメートルを許すなら半径1キロメートルを許さない理由もない。こうして地球を1周するとはどういうことかよくわからなくなってしまいました…

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回答No.3

(2)は言えると思いますよ。 人が真っ直ぐ立って直線的に見たら青空が見えるわけですから 歪曲しているわけです。それが360度ほとんど同じなら地球は ほとんど球体に近くなるのではないでしょうか。

ringo2001
質問者

補足

水平方向を見たら、水平線よりほんのわずかに上が見えているという意味でしょうか? そんなの気がつかないくらい水平線は水平方向に近いところにあると思うんです。前に計算したことがありますが、その角度はほんのわずかです。 地球が丸いはずという先入観で考えるとそう言えるかもしれませんが、平らであることを疑わない社会では水平線が水平方向よりちょっと下なんて絶対に気がつきようがないくらいのものだと思うんです。 ちなみに、大地が例えば1辺5キロメートル以上あるような正方形の形だった場合、その中心から見渡すと、その水平線(大地の見える縁のライン)は普通の地球の水平線と実際の水平方向0度とのわずかな隙間の中に入ってしまいます。水平方向0度と正方形の縁のラインと普通の地球の水平線のどれを見ても普通の人間には区別できないんじゃないかと思います。ですから水平線の形から大地の形を見極めるのは無理があるんじゃないかと思うんです。

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  • taunamlz
  • ベストアンサー率20% (175/843)
回答No.2

世界中で同時刻に太陽の位置を測定し、太陽の位置を比べれば球であることは証明できると思います。(同一の星でも同じ事が出来ると思います。) また、正確な地図を書くために測量し、その地図を書く事が出来れば球である事がわかると思います。

ringo2001
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね… 例えば同時刻っていうのはどうやったらわかるんですか? どうやったらみんな一斉に太陽の位置を測定できますか?

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  • Tasuke22
  • ベストアンサー率33% (1799/5383)
回答No.1

前提条件にいつの時代ってあるのでしょうか? 今はスペースシャトルで肉眼で球で見える時代なので、 何の疑問なのかちょと理解できませんでした。

ringo2001
質問者

補足

月が存在しなかった場合の科学史への影響を込みで考えたいと思っています。 スペースシャトルに乗って地球を離れてみて初めて「え!地球ってほんとは丸かったの??学校では放物面説が有力だって習ったのにぃ」みたいなセリフを乗組員が言うような世界はありなのか? 地球が丸いという仮定なしにスペースシャトルを飛ばすテクノロジーができるか? というところまで考えたいんです。 スペースシャトルの例は科学が進みすぎていて私としてはあんまりスッキリしません。地球が丸いという仮定なしに、ちゃんと物理学がスペースシャトルを作り出して航行させられるレベルまでいくという確証が欲しいです。 逆に月が存在しないことでそこまでテクノロジーを進化させなければ地球の形がわからないのだろうか?と。この質問はそういう趣旨の質問です。

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