- 締切済み
紫式部日記の消息文部分の箇所
紫式部日記の消息文と呼ばれる部分の具体的な箇所がわかりません。 章節に分けたときの何節~何節までのことを言うのでしょうか? お願いいたします!
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- shiremono
- ベストアンサー率70% (187/267)
回答No.2
素人ですが、手元の本に書いてあることをお答えします。 章、節の分け方もわかりません。 いわゆる 「消息文」 は、寛弘六年正月元日~三日の記事の後、 「この次に、人のかたちを語りきこえさせば」 から、寛弘六年某月の 「十一日の晩、御堂へわたらせ給ふ」 の手前、「何せむとにか侍らむ。」 まで、とみなすことが、一般的なのだそうです。 「消息文」 がおわる箇所については諸説一致していますが、はじまりについては、 「大納言の君は、いとささやかに」 や 「齋院に、中將の君といふ人侍るなり」 から、とする説もあるそうです。 参考URLのオンラインテキストで、 「この次に」 などでページ検索をすると、すぐにその箇所が出てきます。 参考図書 : 『日本古典文学大系 19』 (池田龜鑑 秋山虔 1958年)
- ANASTASIAK
- ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.1