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中国史研究における「日記」の位置づけ
日本史を研究する上では、古代から現代に至るまで「日記」の価値は正史以上のものがあるように思います。 土佐日記、紫式部日記、宇下人言、木戸日記など枚挙に暇がありません。 このように多数の日記が存在すること、日記だからウソが少ない(?)と見られることが、資料価値の高さかと思っています。 翻って、中国史では日記の存在や価値についてはあまり目にしません。 日記自体が少ないのか(習慣の違い?)、あっても価値がないものが多いのか、歴史研究者の価値観が異なっているのか、先学のお教えを乞う次第です。 また、史料価値の高い代表的な日記があれば列挙いただけると幸いです。 併せて、西洋史ではどうなのかも気になるところです。 よろしくお願いいたします。
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提灯記事ですか・・・。 四庫全書の史部の目録をご覧になったことがあるのかどうか、存じませんが、もしご覧になっていないのでしたら、一度ご覧になっていただいた方が良いかもしれませんね。史に属するものだけで、560部二万数千巻あまりあります。御用学者のクズ記事ばかりかどうかはさておいて、圧倒的なボリュームがあることは否定できないのではないかと思います。史官以外の歴史家の記録も入っています。 ご存じの通り、正史と呼ばれるものは、次の王朝が編纂することもご存じですよね。 土佐日記などの日記文学関しては、記録としての価値は基本的にありません。この点は、日記とはついていても、記録の正確さや、裏事情を求める質問の趣旨とは別のものです。これは、中国の四庫分類では、史にさえ入れないかもしれません。 日記と名のつく記録で、よく知られているのは、下の他には清代が多いと思います。 古代中世にどの程度あったのか、私は知りません。南宋時代のものでも見た記憶はあります。ただし、古い時代のものは、「文集」としてまとめてしまうので、ある人のものが内容的に日記でも「日記」という形になっていないことが多いと思います。 ○○記、○○録として残されているものでしたら、大量にあるのではないでしょうか。たとえば、玄奘の書いた『大唐西域記』は正確無比な旅行記ですが、こういう地誌に分類されるもの、歳時記は行事関係、見聞記、回想録などを含めると、庶民の生活などを知ることが出来ます。 生々しさと正確さが欲しいのでしたら、 http://www.ebookjapan.jp/shop/title.asp?titleid=1392 こんなのもありますが、これも日記ではありません。という私達の考える日記に比較的近いもの、雑記、雑纂、筆録、筆集などは、まとめて文集に収めてしまっていることが多いと思います。 もし、確認してみたいのでしたら、漢籍目録で調べてみてください。私が知らないだけでそれなりに日記類、あるいは日記に準ずる記録は出てくるのではないかと思います。
土佐日記や紫式部日記は、日記文学と言われるものですよね。日本の日記は、公家が家伝として作ったのが起源ですから、ちょっと中国とは違いますね。なお、日本人の日記好きは世界的にもかなり有名だそうです。 皇帝自身の日記ではありませんが、皇帝の日常は、起居官という役人が記録しています。 起居注冊という書物があります。 これも大切な研究対象です。 http://www.npm.gov.tw/ja/collection/selections_02.htm;jsessionid=C4976C0DC5513E581D2D93D9431C86D4?catno=11&docno=666&fp=true 清代では、政治家なども日記をつけていて、研究対象として重要視されています。 清代末期の学者の日記。 ・・・劉鉄雲辛丑日記 曽国藩の日記。 ・・・曽文正公手書日記 史官が充実してる分、日本の中世のように公家の日記で歴史の闇を埋め合わせるというような意味での重要性は確かにないかもしれませんね。もちろん、正史に記されない裏の部分の研究には使われているようですけどね。
お礼
起居注官ですか、なるほど、いわば番記者ですね。 このような官制/史料があるとは知りませんでした。一般向けの中国史/清史の解説書などでは見たことがありませんでした。 これを手掛かりに色々と探してみたいと思います。 ありがとうございました。 ただ、史官が充実していたにしても、提灯記事(少なくもマズくない記事)が殆どでしょうから、検証の意味でも日記など民間の史料は大切だと思いますが、どうだったんでしょうか? また、挙げていただいたのは何れも清代ですが、古代・中世の日記の例があればどなたかお教えいただけないでしょうか?