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聖書
教えてください。この中型聖書http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9E%8B%E8%81%96%E6%9B%B8-%E6%96%B0%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3-%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3%E8%81%96%E6%9B%B8%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A/dp/4820212117/sr=8-5/qid=1170216509/ref=sr_1_5/250-9416629-9817045?ie=UTF8&s=books のどこに「許す」と「嘘をついても許される」、、、、と言う意味に捉えられる文言があるのでしょうか。今まで無宗教でした。聖書も買ってまだ3日です。よろしくお願いいたします。
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こんにちは。 「蒔いた種は刈り取らなければならない」 そのままの言葉はどの版・訳を捜しても見当たりません。 (複数の版・訳を一括検索できるソフトウェアがあります) これじゃないかと思います。 「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。 人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。」 ガラテヤ書6章7節 (新共同訳) 意味ですが、その後の10節まで読んでみればわかると思います。 9節に「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、 時が来て、実を刈り取ることになります。」とあるのが わかりやすいでしょうか。 聖書には色んな訳・版があり、それぞれによってページ数が異なります。 その時に全員が同じバージョンを使っていることは、 全員が同じ訳・バージョンを持つ授業でもない限り まれなので、ページ数ではなく、 書物の名前と区切り(章・節など)で表すのが一般的です。
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- kigurumi
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No.2です。 >「何度でも許しなさい」とイエスが言ったと書かれているんですね。 >それがわかってうれしいです。 何をかというと、マタイのところでは、「兄弟が私に対して罪をおかしたならば」ですよね。 兄弟とは誰か。 兄弟が自分に罪を犯すの罪とは何なのか? ユダヤ教で一番の罪は、10戒ですよね。 ただし、神は結ぶばかりではなく、時にはほどくこともする。 ちなみに、結ぶとは禁止のことで、解くとは許可のこと。 人間が神に罪を犯す場合と、人間が人間に対して罪を犯す場合について、違いますよね。 律法にルールが書いてあります。 人間同士の場合 どういうとき結び どういう時ほどくか について預言がされていることになっています。 で、イエスは人が人に対して嘘をついても全部許可しなさいとは言っていない。 イエスは悪に逆らうな とは言いましたが、嘘をつかれても許しなさいとは言っていない。 悪に逆らうな つまり 悪をなす人に心を煩わされるな とは言いました。 イエスが言ったとされるのに、「心が貧しい人は幸いである。 神の国は彼らのものである」 みたいなことを言ったようなのです。 心の貧しい人は幸いである とは、意地汚い人とか強欲な人のことではない。 ヨブが到達した境地が幸いってことだと思えます。 ヨブはいわれなき暴行を神から受けます。 全くの善人なのに、他の人よりひどい仕打ちを神からされます。 ヨブはとうとう神に向かいました。 今までは適度にそこそこ神を崇拝していたが、この時ばかりは神に全身全霊で問うたわけです。 究極の心が貧しい状態に陥ったので、できたわけです。 それしかなかったのです。 もう ヨブに残された手段は これしかなかったのです。 としてとうとう到達した。 だから心が貧しい人は幸いだ。 天の国はかれらのもとなる なわけです。 種をまいてせっせと苦労した者は、黒くなって実った穂を収穫してニコニコして戻ってくる。 みたいなことがユダヤ書のどこかに 詩として載っていたように記憶しています。 ただし、神は種もまかない鳥たちですら食べ物を与え、明日枯れる花たちにすら装ってくれる ましてや神はお前を愛さないわけがないだろう みたいなことがどこかに書かれていたように記憶しています。
お礼
有難うございました。
- 1katyan
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蒔いた種は刈り取らなければならない しらないなあ~責任を取りなさいという感じの意味ですよね? そんな言葉はないでしょう。悔い改めるといのは責任をとるというものでもないからね。 あとねコリント12章を読んでください。これが基準です。 そしてHPのhttp://www5.ocn.ne.jp/~ikemoto7/kate823.htmを読んでください その後の感想を聞かせてね? 後は頭の理解というものではないです。紙に書いた文章でこのような事ですよね。なんて言えないです。生きている限り許すなんて簡単なものでもないですね。まず自分自身がその事に対して悪意をいだかない または心の奥底にあるものをとりだすんだけどまだborozaさんは聖書に触れたばかり 難しく考えると何もできなくなりますよ まあお互いに許し愛し合いましょう こんな感じです まあ読めば難しい言葉やわからない事がありますけど 基本は愛というもの、そして私たちを見守り助けてくれる神様 まずいいなあ~と思う聖書の言葉を心に目をとめてください 基本はヨハネ3:16です ゆっくり、あせらず、まだ読み始めたばかり、ゆっくりと 聖書を味わってくださいね 後三浦綾子さんの新約聖書入門 旧約聖書入門 簡単に聖書の事をまとめて書いてあります。ぜひ読んでくださいね http://www.mm-labo.com/ambookreview/asin/4334700659.html
お礼
有難うございました。
- 1katyan
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うそをついても許される という言葉はないですね。 ただしその前に悔い改めや間違いを犯したときときずいたとき 神様のもとに帰りましょう。そうすれば許されるという言葉はありますね http://kuzunoha.xrea.jp/bible/bible_talk.htm#prodigal_son あと聖書を一人で読むのは難しいですよね HPから世の光と言う番組がありますから 聞いてください http://pba-net.com/ もしわからないことあれば質問してね
補足
answer有難うございます。それと世の光のホームページがわかってうれしいです。「感謝」します。、、、、、、、、「許す」は聖書での意味は、だいたいこんな意味でよろしいのでしょうか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「本の紹介2.『ゆるすということ』(ジェラルド・ジャンポルスキー著、 サンマーク出版、税込530円) 岩井俊憲 プロローグ ・他人をゆるせないとき、それはいままで目を背けてきたあなた自身を 見ているときかもしれない。 ・心安らかに生きる。ただそれだけを目標にしてもいい。 ・あなたを幸せにするのは、あなた。 読者の皆さんへ ・ゆるしとはあらゆる人のなかに神の光を見ること。たとえ何をした人 だとしても。・幸せな結婚はまずゆるしあうことから。 第1章 なぜ不幸になるのだろう? ○虹の向こうに黄金の宝物を探しているせいで自分自身が虹であり宝 物であることがわからなくなってしまう。こんな簡単なことに、なぜ 気づかないのだろう。・ゆるさないと決めれば苦しみを味わうだけ。・ 裁くのをやめる。それだけで、幸せになれる。 ・ゆるしは癒しの特効薬。 第2章 「ゆるし」ってなに? ○「いかに生きるべきか」とお説教するのをやめ、ただ愛し、ただゆる せば、みんなと穏やかにつきあえる。 ・ゆるしとは、後悔をすべて手放すこと。 ・愛とゆるしは奇跡をもたらす。 ・「ゆるそう」という心が、ゆるしへの鍵。 第3章 「ゆるさない」ということ ○副作用がある薬を、あえて使う人はいないだろう。しかし、たいてい の場合、私たちは心に浮かべる思いを吟味しないし、思いが肉体を毒し かねないことに気づかない。・ゆるさないと考え、怒りや憎しみにしが みついているとき、人は自分がとらわれの身であることに気づけない。 ・他人をゆるすことは、自分をゆるす第一歩。 ・ゆるすと免疫力が高まる。 第4章 ゆるさない20の理由 ○私たちはいつも選ばなければならない。愛に従うか、エゴに従うか。 ・ゆるせば、つらい過去から自由になる。 ・完全にゆるすか、まったくゆるさないか、道は2つに1つ。 ・ゆるすためには、怒りと苦しみのすべてを神様にゆだねること。 第5章 ゆるせない理由を取りのぞく ○心に浮かべる思いは、選択できる。 ・ゆるせば、思うぞんぶん愛することができる。 ・犠牲者としてふるまうのをやめれば、簡単にゆるせる。 ・ゆるすとは、一度や二度ではなくゆるし続けること。 第6章 ゆるしは奇跡を起こす ○ゆるしは幸せに続く道。そして、苦痛を消すいちばんの近道。 ・神へのいちばんの近道は、ゆるすこと。 ・ゆるしは過去の傷を消す消しゴム。 ・死につつある人にとってだけでなく、遺される人にとっても最も大切 なプロセスは、ゆるしかもしれない。 第7章 ゆるすためのステップ ○心の安らぎだけを目標にしよう、他人を変えたり罰したりせずに。・ 穏やかさと優しさは、ゆるしのきょうだいだ。 ・ゆるせば、人生の重荷がうんと軽くなる。 ・ゆるしには、早すぎることも遅すぎることもない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー それと聖書に「蒔いた種は刈り取らなければならない」 と書いてあるそうですが、すばり、何ページに書いてありますでしょうか。教えていただけませんか。それと意味も教えてください。
- kigurumi
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「何度でも許しなさい」とイエスが言ったと書かれていたのは記憶していますが、イエスが「嘘をついても許される」と言ったというのは記憶に無いです。 http://tokyo.catholic.jp/text/senkyoshiboku/hint/2005/text0911.htm 十戒というものがあります。 「隣人に偽証してはならない」とあります。 十戒は直接神が自分の指で書いたとされております。 従って神は隣人に対して偽証してはならないとはっきりと述べていることになっています。 ところで隣人とは誰でしょうね。 良き隣人についてはイエスは明確に述べています。 ところで、敵に対しては偽証してもかまわない と解釈すれば、ブッシュの偽証は敵を貶めるためにやったものなので、宗教上では罪にはならない。 ブッシュは自分はもっとも聖書に忠実な信者だと述べています。 確かに。。。。 さて、十戒はエジプトの死者の書からきているようですが、イエスが言ったとされる許しはどこから来ているのか。 クムラン宗団が規律(思想)がそうだったと思えます。 どこの箇所に書いてあったか探しましたが、今回見つけることはできませんでした。 尚、これから聖書を読むのであれば、注意が必要です。 シラ書(シラの子イエスの知恵の書)は恐らく前190年か180年頃に書かれたものと思われます。 その孫息子はそれをヘブラル語からギリシャ語に翻訳しました。 その際に注意書きにこうある。 「それゆえ、みなさんの素直な心と注意深さをもってこの書を読んでほしい。 われわれは熱心に翻訳したのであるが、ある語句は訳はうまいものではないかもしれないが、そのような箇所はご容赦ねがいたい。 【というのも、本来ヘブル語で表現されているものは、他の言語に翻訳されると、それと正確に同じ意味をもたなくなってしまうからである。 この書ばかりでなく、律法の書それ自体と預言者の書および残りの書でさえも、原著で読むときとは少なからず相違してくるのである。】」 ヘブル語をギリシャ語に翻訳するとき、ギリシャ語には無い語句がある。 メシア 油を注がれた人、聖別された人 が本来の意味だが、ギリシャ語に置き換えられた時、救世主の意味を持つキリストになってしまった。 もっとも誤訳たる一つが、「義のために迫害された人は幸いだ。なぜなら天国は彼らのものである」です。 完全なる誤訳です。 「迫害されればされるほど天国に行ける、迫害されることは神が喜ぶことだ」など勘違いして、人の迷惑も顧みず布教活動にいそしみ目の前でドアをバタンと閉じられるたびほくそえむなど誤訳による弊害の結果です。 このようにイエスが言った言葉の本来の意味をちゃんと翻訳していない箇所がいくつもあるようです。 その誤訳がキリスト教の教義になっています。 従って自分の倫理と照らし合わせておかしい と感じたところは、誤訳ではないか と疑った方がいいと思います。 では本来の意味は誰が知っているのか。 教会は知りません。 何故ならギリシャ語からできた聖書しか知らないので。 何故なら誤訳だと知っていたら、とっくに教義を根本から見直してただちに変更していたはずですから。 いまだに誤訳の教義を教えているので、彼らは本来のイエスの言った言葉の意味を知らないわけです。 そして誤訳をイエスが言った言葉だと信者に教えている。 この場合 知らないので故意に嘘をついて信者を貶めようとしているわけじゃない。 ヘブル語は物の本質をあらわす言語だそうです。 そしてギリシャ語はそのヘブル語のレベルからすると、落第生で嘘つきですらなく、明らかに愚者なのだそうです。 イエスがギリシャ人でギリシャ語で布教していたのなら、問題は無い、、、 ああ、あります。 何故なら彼も完全にヘブル語を間違えて翻訳していたことになるので。 彼は(というか聖書作家は)ヘブル語 もしくはアラム語話者だったと思えます。 では、本来の意味は?となるとヘブル語で考えればいいわけです。 ただし、現代ヘブル語ではなく古代ヘブル語 及び ラビ文学に精通する必要がありそうです。 私は古代ヘブル語は知りませんし、ラビ文学も知りません。 しかし、ラビ文学に関しての本は出ているので、イエスの言葉と比較していけば、イエスの言葉がどこから来ているのか見えてきます。 恐らくイエスの言葉全部がイエス以前に書かれた内容だと思います。 ということで、イエスの言葉は、ユダヤ教で伝承されている内容のどこがソースかを調べると、イエスが言ったと書かれている内容の本来の意味が見えてくるようです。 だからといって、キリスト教の解釈全て間違いといっているわけではありません。 が、間違いが多すぎる。 ユダヤ教とは全く別の宗教なら、ユダヤ書(一般に旧約聖書と呼ばれるもの)を使うべきではないし、そこから引用してイエスの言葉を理解しようなど考える必要も無いはずです。 ユダヤ書を使うからには、本来の意味は何か ギリシャ語ではなくヘブル語から探して信者に正しい解釈をするべきだと思います。 誤訳を「イエスはこういった」など嘘をついてしまっては、、、、 イエスは隣人 つまり 仲間を許しなさいと言った? 偽証する人は仲間じゃない 敵ですよね。 神は隣人には偽証するなと言いましたが、敵に関しては言及していない。 では信者同士が敵なのか。 それとも愚者同士が引き起こした悲劇なのか。 隣人とはキリスト教では敵という意味なのか。 ということで、、、、がんばって古代を探求してみてください。
お礼
有難うございました。
補足
>「何度でも許しなさい」とイエスが言ったと書かれていたのは記憶し>ていますが answer有難うございます、、、、、、「何度でも許しなさい」とイエスが言ったと書かれているんですね。、、、、、、それがわかってうれしいです。「感謝」いたします。具体的に何ページかはわからないのですね。
新約聖書のどこかにイエスの弟子が罪をゆるすことができるようになったということが載っているとおもいます。
お礼
有難うございました。
補足
新約聖書のほうですね。 >イエスの弟子が罪をゆるすことができるようになった 有難うございます。感謝いたします。具体的に何ページかはわからないのですね。
お礼
有難うございました。
補足
>ガラテヤ書6章7節 間違いないですね。(^・^) >たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、 >時が来て、実を刈り取ることになります。 いい言葉ですね。 >聖書には色んな訳・版があり、それぞれによってページ数が異なります。 >書物の名前と区切り(章・節など)で表すのが一般的です。 そうですか。今度からこのようなことが書かれているのはどの書名や(章・節)ですか。ときけば、より、いいのですね。)^o^( 本当に助かりました。有難うございました。 感謝、感謝です。(^^♪