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野望やプライドは年とともに収束しますか。
できれば、今もなおプライドが高い中年男性と自己分析している方か、若い時はプライドが高かった中年男性にお聞きしたいです。 単純に他人からは結構傍迷惑なプライドは、 年とともに消えていくモノでしょうか? ○○になりたかったがなれなくて、もしくは大きな野望があったが達成せず、つまり成功せずに終わった感のする自分を省みて…野望はやがて絶望に変わると思うのですが、どのように克服しましたか。絶望は消えるものでしょうか。それとも、もうどうでもいいやって気持ちで野望にピリオドが打たれましたか。 若気の至りか心境を知りたいです。 よろしくお願いいたします。 自分の父親を見ていると、プライドが高いと思うのです。学生運動とか論理武装を熱心にしていましたし「俺は何かを変えてやるんだ!!」といったような意識があったと思いますが、今は年をとったのか、母親からは「丸くなった」といわれており、本人は「長生きしたいな」くらいのことしか言いません。プライドは消えるものでしょうか。恥ずかしながら自分も、自己分析はできているつもりが、社会人となった今でも素で「俺は何かを変えてやるんだ!!」的な意欲が消えません。 何か返答願います。
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結論(といっても管見ですが)から言えば、年とともに収束するプライドはプライドに値しない変形した虚栄心だと思います。もっとも、質問者さんの使用されている「収束」という意味が判然とはしませんが…。 お父様についてお書きなので一言。 学生運動ははやり病に似ています。人生経験の少ない大学生が、潔癖な正義感から社会悪に社会階層として立ち向かうとき、それが社会的に容認されている方法を使用する場合、学生運動は一定の成果を得ます。えてして巧妙に立ち回ることの出来ない純情な学生は、一部の既存左翼にそのエネルギーを利用されたり、あるいは一知半解的な革命理論を自己流にアレンジして先鋭化し、行き着くところ「内ゲバ」がせいぜいといった結末が現実でした。学生運動がはやり病であると書いたのは、質問者さんの仰るように、時が来れば(すなわち「卒業」)その殆ど大部分が社会に吸収され組織の一員となり、日本の高度経済成長をもたらす企業戦士-24時間闘えます-になったという現実があるからです。 理論武装は(「論理武装」ではありません)、革命のバイブルたるマルクス・レーニンの著作を一冊でも多く読み、議論の場で論敵を知識で圧倒するためのものです。言い換えれば自分に自信のない学生が、自分の存在を大きく見せるために、虎の威ならぬマルクス(やレーニン他)の威を借りる謂い、ということになります(簡単に表現ししまい、我ながら聊か穿ちすぎ、という気もしますが)。「他者を理論で圧倒する」とは、知的コンプレックスの塊である貧弱な知性の持ち主の学生が、自己の存在を肯定的にアピールするのにうってつけの方法です。一部の、本当に理論武装した学生でその知識を使い社会に還元しようという人間がアカデミズムに残ったのみです(でも、その多くは実は実社会では使いもにならない(?))。 人間は年をとれば「丸く」なります。それはこの世で苦労して磨耗し角が取れたというより、長年の経験で人間同士の触れ合いから学び、人は頭の中で考えている程は変わらないということが実感として了解されているからです。「丸い」は極端なことは言わなくなるの意味でしょう。 プライドは「自尊心」です。歳を取ったからと磨耗するものではありません。もし、磨耗してしまったなら、それは「理想」が「現実」に歩み寄った姿なのでしょう。そういった生き方もあると思います。もっともお父上がそうだというものではありませんが…。
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- mmky
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「野望やプライドは年とともに収束しますか。」については、難しいんでしょうねとかいいようがないですね。 #4さんのご指摘のように収束するどころか発散しているような方も多いですね。だいたい、世にいわれる成功者と呼ばれるかたに、収束せず発散ぎみが多いですね。一流と呼ばれるかたも収束せず発散ぎみが多いようですね。一方、人生のとじで失敗したり、悲しい思いをしたり、大病したなどの経験がある方々は収束しているお方が多いように見受けられます。確かにそのような人たちにも実現したい望みはあるのですが、野望とは呼ばれないですね。「野」の部分がないようにみえますね。だから成功するのでしょうね。望みに「野」つく方は年とともに嫌われることは確かに事実です。野望がゆえに不遇な老人は多いですね。大望はあるが稲穂のように頭をたれるお方もいますね。なにが原因でそのように年齢とともになるのかは、わかりませんが、気持ちの持ちようであることだけはわかりますね。謙虚になれるかどうかが分かれ目なんでしょうね。年を重ねる間に謙虚になれる何らかの経験をしたかしないか、によるのかもしれませんね。
- ANASTASIAK
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収束しない。 姉歯の問題で国会に参考人招致もされた「総研」のあのジジイを 見ればわかる。
プライドが高い(高かった)かどうかは分かりませんが 10代~20代はどちらかといえば「生意気」だとよく言われました。 40代になった今も「保守的」だとか「大人しい」と言われることはありませんが 自分の中では「変わった」「丸くなった」と思います。 (上で書いたことと矛盾するようですが) 自分の本質はあまり変わっていないと思います。ただし > 他人からは結構傍迷惑なプライド 無駄に他人から迷惑がられるような、つまり無駄なギラツキは抑えるぐらいの 技は会得した、もしくは会得しつつあります。 年々「無駄な」あるいは「無意味に思える」ようなこだわりは 捨てるようになってきました。 それは、年齢によるものかもしれません。 40歳過ぎると、人生の半分過ぎたという実感が出てきます。 若い頃は太く短く生きたい、さっさと死にたいなんて思ってましたが 若い頃抱いていた様々な野望や欲望はほとんど達成出来ていない、というか 全部達成しようと思ったら何百年も必要だ、なんてことに今更気づいて 野望を収束させる、というよりは実現可能なレベルまで削減しないと 夢ばかりでかいまま何も出来ずに死んでしまうな、と思うわけです。 それに加えて、人間、年をとったって学ぶことはたくさんありますから 考え方はどんどん変わっていきますよ。 そうじゃないと人生つまらないと思いますし。 子供も生んでも母性に目覚めない女性とか「どうよ?」と思うでしょう?
- konagoo
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いわゆる団塊の世代のかつての活動は失敗・・・・・ 一般から見てその理想のたどり着いた先があさま山荘・・・・ あれだけ大学で暴れた連中が一般企業で管理職・・・ 彼らが野心をもって突き進もうとした革命思想からすれば 当時の彼らが最もなりたくなかった人間になっているのでは ないでしょうか こんなものはプライドだの野望とは似て否なるものでしょう 本当のプライドには絶望はありません。野望にはその達成までピリオドはうてません。 答えは年と共に消えるものではありません。 ま、体力、精神力の衰えによって情熱を失うことはあるでしょうが