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生物はなぜ繁殖しようとするの?
動物や植物は、なぜ他の種より優位にたって繁殖しようとするのでしょうか? 人間であれば様々な欲求を満たすことにより快楽や喜びを感じるでしょうし、苦しみや恐怖から逃れるために死を避けるでしょう。 (もっとも、これらの感覚も繁殖目的を達成するためのものであるような気がしますが・・・。) しかし、感情の無い植物、しいては細菌などであっても生存競争を勝ち抜こうとしています。 これはなぜですか? よろしくお願いします。
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No20で回答したvrtemjinです。 No25のかたに指摘を受けてしまいましたが、25の方が正しいですね。 あえて分かりやすいように書こうとして、繁栄や増殖をしようとしない、あるいはする欲求が弱い種族は絶滅した、というような書き方をしましたが、これだと増殖や繁栄をしようとしない種族がいた、とか、そもそも生命体は増殖や繁栄をしようとする意思を持っている、という風に誤解されかねない表現でした。生物学的ではない表現でした。もうしわけありません。 あれから考えたのですが、科学においては、生物がどうやって(how)進化してきたり、繁栄や増殖しようとする方向性を獲得したか、どのような(生化学的な)必然性があるのか、については答えられますが、なぜ(why)生物は進化しようとするのか、どうしてDNAが情報を伝えていくのか、そこにどんな意義があるのか、といった疑問には答えることは非常に困難です。 このスレの流れをみていると、質問者さんはwhyの疑問を投げかけ、回答者さんはhowの形で回答をしているため、両者の認識や解釈にズレが生じているように見うけられます。 How、すなわち生命が増殖、進化する生物学的な原理や理論に関してはJagar39さんをはじめとして遺伝学や進化に詳しいと思われる方々が丁寧に解説されています。 しかしながら、why、すなわち、生命が増殖、進化、繁栄する意義や、意思に関しては誰も科学的には答えられないと思います。 質問者さんはhowが知りたいのか、whyを解消したいのか、どちらなのでしょうか。 そのあたりをはっきりさせておかないとこれからどれだけ生物学に詳しい方が解説されても質問者さんの疑問ははれない様に思います。
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- ki2501
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一言で言うと、それが 「未来を創造するから」でしょう 人で説明すると、分かりやすいのですが (持論です)三大欲といわれるのですが、実は4大欲です そう、その四つ目の欲とは 「未来欲」というのでしょうか? 具体的にいうと、「ドラマの続きを来週まで待って観たい」 「某スケート天才少女がオリンピックで、金メダルをとるなら見てみたい」・・等 ・・ ・・・つまりは 未来です。 自分の生命が燃え尽きるのなら、せめてこの遺伝子が次世代を観てほしい ということでしょうか 5人組の歌を引用するわけではありませんが この地球に生まれたことが奇跡です 「その奇跡を受け継ごうとする」 そのただただ当たり前のことが 「生物は繁殖する」という理由にはなりませんか? こじつけですが、感情のない植物は感情を持てるよう・・ 細菌などは、哺乳類を目指して 何十億年後のために、今繁殖すると思います いいしつもんですね
お礼
ありがとうございます。 「睡眠欲」「食欲」「性欲」、そして貴殿の言う「未来欲」。 これらはいずれも、自分自身もしくは人間という種を維持保存するためのものだと思います。 しかし、この当たり前のことは、生命が繁殖する「原因」にはなると思いますが、「理由」とは言えないと思います。 この原因、つまり種が維持保存しようとするのはなぜか?あなたの言葉を借りれば「その奇跡を受け継いで何になる?」という点が疑問なのです。 皆様のご回答によれば、「理由は未解明だが、全ての生物には種を保存する目的がはじめから備わってる」という考え方と、「種を保存する目的があった生物も目的が無かった生物もいる。無かった生物が自然淘汰された結果、現在ある生物には種を保存する目的が備わっている」という考え方に分かれれるようです。 つまり、現在の生態系は「必然の産物」説と、「偶然の産物」説に分かれているようです。
何度もすみません。Jagar39です。 コーヒー店の例え話は・・・失礼ながらあまり上手な例え話とは思えず、返答に困って逃げていました。 実際の生物には"店主"はおらず(いると言う人とは宗教論争になってしまうのですが)、コーヒーは自分で勝手に増えていきます。また砂糖なしのコーヒーも常に作られていたりします。 というわけで、この例え話からはあまり考察の発展性がないな・・ということでして。 No.24さんの意見を読んで疑問に思ったのですが、太陽は燃えることによって「エネルギーを産み出している」のでは? まあ質量エネルギーを熱エネルギーに変換しているだけ、というのが正しいのかもしれませんが。 モノが燃えることも「熱エネルギーを産み出している」ように私には思えます。 ま、物理は高校時代30点以上取ったことがない劣等生だったので、あまり細かい話になるとついていけませんが。 生物はエネルギーを消費するだけでなく産生もしています。消費するのは物質(タンパク質、炭水化物、無機質etc..)で、これらは存在するだけでは一般的にエネルギーを持ちませんから、生物活動とは主に物質から熱エネルギーを引き出している反応と言えるかも、です。 ま、No.24さんのように「全てはエネルギーを消費するために存在する」と言ってしまえば、生物のような複雑なものが存在する必要はさらさら無いように思ってしまうのですがね。 さて、ウイルスの話に戻ります。 ウイルスはほぼ「自分の遺伝子を複写する以外には何一つしない存在」と言っても良いと思います。実際には外殻蛋白や酵素などの非構造蛋白も合成する(細胞にさせる)のですが、これらは「細胞に感染して自己複製する」目的のためだけにあるものなので、何か物質を取り込んで消費してエネルギーを産生したりという"余計なこと"は一切しません。 ウイルスによって起きる病気も、ウイルスが細胞に感染して自己複製した結果に過ぎず、ウイルスは細胞を攻撃することによって何かを得るようなこともありません。 こういう「自己遺伝子を複製する」ためだけに存在しているようなシンプル極まりない存在のウイルスですが、その「遺伝子の複写方法」は呆れるくらい多様です。 細胞に侵入して自分の遺伝子から細胞の酵素を使ってmRNAを合成するもの、細胞の酵素を使えばいいものをわざわざ自分で酵素を持ち込むもの、細胞に侵入した自分の遺伝子がそのままmRNAになってしまうもの、自分で持ち込んだ酵素で自分の遺伝子であるRNAからわざわざもう一度RNAを合成するもの、自分の遺伝子であるRNAをDNAに変換して細胞のゲノムに組み込んでしまうもの、自分の遺伝子であるDNAからRNAを合成して、それをわざわざDNAに合成し直すもの、1本の遺伝子を最初から最後まで一度で複写するもの、遺伝子が何本もに分かれていてそれぞれを複写するもの、1本なのにわざわざ細切れで複写して後で繋ぎ合わせるもの、思いつくままに書きましたがまだまだあります。 ウイルス種の数だけ「ウイルス遺伝子の複写方法」があるわけです。 自分の遺伝子をコピーするだけ、というシンプルな目的に対してどうしてこれだけ多種多様な方法に進化するのか。 結局「コピーできさえすればなんだって良い」というわけなんじゃないでしょうかね。 進化自体はまったくのランダムで、その結果が致命的でないものはちゃんと生存しているわけです。栄えているのも片隅でひっそり生きている種もいますが、そんな立場は環境がちょっと変わっただけで大逆転するかも、なわけです。 恐竜が全盛を誇っていた時代は温暖で気温変化が少ない気候が長く続いたわけですが、その時代に「体温の恒常性を保つ」システムを持つことは「過剰品質」以外の何者でもなかったかもしれません。変温動物である爬虫類が大隆盛していたということは、恒温動物は「ムダな機能」を持つ方向に進化してしまったのでしょう。 でも、気候が変わればそのムダな機構が一転して無敵の武器になったのかも、ですね。 インフルエンザウイルスも、たまたま人類が鶏を家畜として密飼する、という条件があるからこそ大変な勢いで拡大しているわけですが、そうでなければ単にカモの体内でひっそりと生きるウイルスに過ぎず、カモが是滅すれば一緒に滅ぶしかないわけです。 たまたま8分節RNAという遺伝子構造を持つためにインフルエンザウイルスは現在「栄えて」いるわけですが、別にそれは必然でも何でもなく、単なる偶然の結果なのでしょう。 だから 「進化(遺伝子の変異)は偶然に起きる」 「進化はランダムにあらゆる方向に起きる」 「種の生存に致命的でない遺伝子は残る」 「環境の変化によって種は栄えたり衰えたり滅んだりする」 「その結果だけを見て『この進化は必然』と受け取るのは間違い」 だと思うわけです。 また、 「生物が生存しよう、繁殖しようとするのは、遺伝子であるDNAが自己複製しようとする物質だから」 というのが私の考えです。
お礼
繰り返しありがとうございます。 No25へのお礼コメントとも重複しますが、なぜDNAは「自己複製する」という目的(もしくは化学的性質)を持っているのでしょうか? 全てのDNAが当初よりそのような性質を(相対的な程度はともかく)備えていたのであれば、進化の結果は必然なものとも思えてしまいます。 コーヒー店の例え話は、疑問に対する理由を結果で示されたので、循環論法ではと言いたかっただけでした。 その後へ展開させるつもりは無かったので、無理のある話になってしまいました。 ただ、このQ&Aをご覧いただいた方の理解に少しでも貢献できればとは思います。 あまり気にしないでください・・・。
No.19のJagar39再びです。 まず、この話をダーウィンの進化論によって説明しようとする方が多く見受けられますが、ダーウィンの進化論は大昔の「遺伝子」というものの存在すら判っていなかった頃の学説であり、大幅に修正されるべきものです。現に今ではほとんど原型をとどめないほどに修正されています。 例えばNo.20さんの >自らの種を繁栄させようとしなかった種やその意思の弱かった種は淘汰されてしまった は、今では明らかに間違いとされています。 遺伝子であるDNAの化学的性質はどの動物種でも同じですので、「自己複製しよう」という意味での「意思」は全ての生物で同じはずです。 全ての生物種がDNAの「自己複製する」という意思(化学的性質)によって進化しているのですが、たまたま方向性がマッチしていた種が生き残り、マッチしていなかった種は滅んだだけのことに過ぎません。 また、「進化の結果」は必然ではないでしょう。 地球上の全ての生物が、元は単一であったと考えた場合(DNAのコードがどの生物でもほぼ同じであることは、この説を強力に支持しています)、現在の地球上の生物種が星の数ほど多様化していることを「全て必然」と考えようとすると、「必然が星の数ほどある」ことになってしまい、これはもはや必然とは言えませんね。 滅んだ生物種も、始めから「間違った方向に進化した」のではなく、進化の結果たまたま新しい環境の変化に対応できなかっただけ、と考えた方が多くのことを説明できます。 ユーカリが多く自生している環境では、ユーカリを主食とする方向に進化する動物種が多くなるのは自然なことですが、その環境下で圧倒的な優位を得るために、ユーカリから栄養を摂る効率をとことん上げる種が現れました。つまりユーカリを「骨までしゃぶる」わけです。 でも、その種は「ユーカリを消化する」方向に特化しすぎたため、いつのまにか「ユーカリ以外は食えない」種に進化してしまいました。 すると環境が変わってその地域からユーカリが減ると、今度は圧倒的に不利になり、ユーカリがなくなると絶滅するしかなくなるわけです。 一方、「ユーカリを主食とする動物種を補食する」方向に進化するのもありでしょう。でも、ユーカリがなくなればその動物種も不利になるのは同じです。 でも、この環境下でユーカリとは関係ない植物を主食としたり、あるいはその動物を補食する方向に進化した動物種は、ユーカリが豊富な時代は片隅で細々と生きているしかないのですが、ユーカリがなくなったとたん、今度は圧倒的に有利になります。 ですから、生物というのは必然によって進化するのではなく、元々「ありとあらゆる方向に」進化する性質を持っているのでしょう。そして環境が変わるたびにどれかが栄え、どれかが滅ぶわけです。 つまり、もしかしたら本当は「種の保存」すらどうでも良い問題なのかもしれません。何が滅びようと、何か一種が残りさえすれば大元のDNAにとっては、「自己複製」を続けることができるわけですから。 無数に枝分かれした進化系統樹の末端にいる現在のDNAは、それぞれが自己複製を目的として進化を続けているわけですが、DNAレベルで考えれば「種の保存」と「自己の保存」は同じことです。同じ種であれば個体差によらず塩基配列はほとんど同じですから。たまたま生じた1塩基の変異が、その個体に関しては致死的に働くこともあり、圧倒的に有利に働くこともありますが、ほとんどは何も影響を与えない変異です。 話をウイルスに移すと、インフルエンザウイルスの変異が激しい、という事実は増殖に有利な「必然的な進化」に見えますが、実はそんなことはあまり関係なかったりします。 インフルエンザウイルスの変異が激しいのは8分節のRNAという遺伝子構造に由来するのですが、そんなことは自然宿主であるカモの間で増殖している間は、有利でも不利でもなく何の必然性もありません。 "たまたま"このウイルスを極めて効率的に増殖させてしまう鶏という動物種がいて、これもたまたま人間という特殊な種が現れてこの鶏を家畜にした。その結果、鶏は極めて密集した状態で飼われるようになったため、ここにウイルスが入ると桁違いに増殖効率が良くなってしまうわけです。 その結果、「高病原性鳥インフルエンザ」というウイルスが出現してしまうわけですが、これはいわば「狂い咲き」です。感染した動物を速やかに全て殺してしまう進化など、ウイルスにとっては不利な進化以外の何者でもありません。 また、ここで桁違いな増殖を繰り返した結果、人間という別の動物種に感染する能力を持ったウイルスまで出現したわけです。 このように、8分節RNAという遺伝子構造が有利に働いたように見えるのは、人間と文明の存在があるからで、本来のカモの間で感染するウイルスにとっては、別に何の有利不利な要素もない構造です。 逆に天然痘ウイルスは、極めて精密で変異の少ない自己複製機能を得る方向に進化しました。それは「人間」という宿主に特化してその間でひっそりと生きるには都合が良かったわけですが、たまたま宿主の人間に"悪さ"をするウイルスだったことでヒトから敵視され、防圧しようという意志を持たれてしまいました。そしてたまたまヒトがその能力をもっていたわけです。 そのとき、この「変異しない」という性質は、ヒトから見て防圧に極めて都合が良かったため、結局絶滅に追い込まれました。 でもそれはヒトというウイルスにとっては「環境要因」が変わったためであり、その進化はある意味「必然」だったわけです。 このように両極端な形質の両方がその種にとって「必然」と見えると言うことは、それは「偶然の結果」を見ているに過ぎないからなのではないでしょうか。 ある単一の動物種の「進化の結果」だけを見ると、現にその種は適応しているわけですから「必然」に見えるのは当然です。あらゆる動物種を見ると、その種の数だけ進化の方向性が違うわけで、それぞれを見ると全てが必然に見えると言うことは、実は1つ1つは必然ではなく偶然の産物に過ぎないのだと思います。
お礼
繰り返しありがとうございます。 生物には種を保存する目的などなく、また、生存競争に勝ってきた環境優位性は偶然備えられたと言う捉え方ですね。 たしかに、必然に見えるのは偶然の結果だけを見ているからとも言えます。 ただ、二点ほど疑問があります。 まず、なぜDNAは「自己複製する」という目的(もしくは化学的性質)を持っているのでしょうか? これも、自己複製する目的(性質)を持つ物質と持たない物質が当初はあったが、そのような性質を持たない物質が自然と滅亡しただけなのでしょうか? もう一つは、「生物には元々ありとあらゆる方向に進化する性質がある」とのことですが、なぜそのような性質を持つに至ったのでしょうか? これも、進化する性質を持つ生物と持たない生物が当初はあったが、そのような性質を持たない生物が自然と滅亡しただけなのでしょうか? もし、そのような性質を持たない一部の物質(生物)が自然と滅亡したのではなく、全ての物質(生物)が当初よりそのような性質を(相対的な程度はともかく)備えていたのであれば、進化の結果は必然なものとも思えてしまいます。 また、もしこれが偶然の結果なのであれば、生物には元々あらゆる方向に「進化」する性質があったとは限らず、「退化」する性質があった生物や「現状維持」する性質があった生物もいなくてはならないと思います。 様々な種(動物や植物を問わず)に今までになかったような環境の変化を与えた場合、全ての種が生存競争に有利な方に変化(つまり進化)しようとする(←前提が間違っているかもしれませんが)のは、偶然と言えるのでしょうか? 40億年と言う年月の中で淘汰された結果と考えれば偶然とも言えますが、中には不利な方向に変化(つまり退化)する種がいても良い気がします。
- aah21910
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面白そうな話をされているので、ただの自論ですが、意見を聞いてもらってよろしいでしょうか? そもそも、生物と物質を分けて考えないで、元素は同じものでできていることだし、長い時間をかけて、たまたま高度な生物というものができたと思ってください。 まず宇宙の元にはとてつもなく大きなエネルギーがあり、それが爆発してはどんどん拡張していると考えます。理由はわかりませんが大きなエネルギーが発生しそのエネルギーを消費するために宇宙は生まれたと思うのです。 太陽はなぜ燃えているのですか?莫大なエネルギーを消費するためです。物はな燃えるのですかエネルギーを消費するためです。生物はなぜ食べるのですか?エネルギーを消費するためです。人はなぜ生きるのですか?エネルギーを消費するためです。生物が生きるということすべてが化学反応なのです。物が燃えるのと同じです。 生物はただエネルギーを消費するため、いいかえるとエネルギーがそこにあったために、たまたま起こった化学反応です。 エネルギーを使うために発生したのです。 種が滅んだとしても、そんなことは宇宙にとって関係ありません。そこにエネルギーと環境さえあれば、また他の種が発生します。 ぼくの思い伝わりましたでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 エネルギーを消費するために、すべてのものは存在すると言う捉え方ですか? たしかに、生物が絶滅すればエネルギー消費効率は下がるかもしれませんね。 ただ、生物が存在することによってエネルギーは「消費」されているのでしょうか? 私は別の形態の「変換」されているだけのようにも思えます。 また、エネルギーを消費する”ために”宇宙(や生物)が生まれたかは疑問です。 エネルギーは消費されないといけないのでしょうか?
- ga111
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>>残る(生存する)ことを目的とするのはなぜか? >そうです、これが疑問でした。 やっと話が見えてきました。そういうことですよね。 >しかし、皆様からのご回答を読んでいるうちに、そもそも残ろうとする目的など持っていないのでは?無いものを探すから答えが出ないのでは?残ろうとしているように人間に見えるだけなのでは?と思うようになってきました。 それとも、理由が解明されていないだけで、やはりこのような目的は持っているのでしょうか? 間違ったことをいっている方がいるようですが、実は、その目的だけなんです。残る、種を繁栄させる、その目的、目的、目的、目的、目的、目的。ヒトがいかに高尚な思考ができようと、残念ながら、残るということに関しては、ネズミやカラス、ウイルスと一緒です。 >他の方へのコメントと重複する部分もあり恐縮ですが、生存競争に結果的に勝ってきた現在の生物が備える環境適合性(優位性)は、「必然」と備えはじめたのではなく「偶然」に備えはじめただけのようにも思えてきました。 違います。自然選択説によると、「偶然」によってランダムに遺伝的変異が始まり、有利な(めったに起こらないのだが)変異が固定される(より多く生き残る)と考えます。これは必然だろうというのが、ダーウィンの進化論。ランダムに起こった不利な変異はもちろん淘汰、除去されます。 たとえ話は誤解を招きやすいので、解説は避けます。 質問者さんの問題は、ダーウィンの進化論によって一部答えがあるのだが、未解明の部分がほとんどということです。以下も参考になるかもしれません。ちなみに「驚くべき仮説」はむしろ当たり前じゃんという専門家が多いようです。 http://www.geocities.co.jp/HeartLand/2989/tamsii.html DNAに魂はあるか フランシス・クリック 講談社 私の言う「驚くべき仮説」とは、あなたーつまりあなたの喜怒哀楽や記憶や希望、自己意識と自由意志などーが無数の神経細胞の集まりと、それに関連する分子の働き以上の何者でもないという仮説である。
お礼
繰り返しありがとうございます。 理由の大半は未解明であるものの、生物には残り種を繁栄させる目的がやはりあると言う捉え方ですね。 つまり、生存競争に勝ってきた生物が備える環境優位性は、必然と備えたと言うことですね。 ダーウィンの進化論はぜひ読んでみようと思います。 とても参考になりました。
- moritan2
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> 「なぜ、多くの種に繁殖して自らの種を繁栄させようという流れがあるの?」 > 「なぜ、それが本能やら遺伝子やらにプログラムされているの?」 > これらの私の疑問については、「理由は解明されていない」のではなく > 「理由は存在しない」ということでしょうか? > つまり、「多くの種に見受けられる繁殖して自らの種を繁栄させようという流れ」や > 「それが本能やら遺伝子やらにプログラムされている」のは”必然”ではなく”偶然”ということでしょうか? > そのような性質を偶然備えた生物だけが、自然淘汰されずに済んだということなのでしょうか? 基本的にはそのとおりだと思います。ただし、合理的な複製システムを偶然獲得できたものだけが生き残れる、ということを考えると、現在の時点で生物があたかも設計されたかのように良く出来た構造を獲得しているのは、ある意味では必然ともいえます。ここらへんの偶然か必然かの話は言葉のアヤの問題なので深入りはしませんが。 > 「現在、このお店にあるコーヒーには全部砂糖が入っているけど、それはなぜ?」 > という店主に対する疑問に対しては、 > 「砂糖は理由があって入れたのではなく、一部のコーヒーに偶然入ってしまっただけ。 > もちろん、お客さんに買ってもらうために砂糖を入れたわけではない。 > そして、砂糖が入っていなかったコーヒーは甘くないので、お客さんに売れず自然淘汰された。 > その結果、砂糖が入っていたコーヒーだけが売れ続け現在に至っている。」 > と言うことでしょうか? 当然の結論ですね。
お礼
繰り返しありがとうございます。 「必然」か「偶然」かは用語の定義の問題もありますし、適用範囲の問題もありますので、私の言いたかったことを汲み取っていただければ助かります。 ”現在の視点”から見れば、生き残っている生物が優位なシステムを備えているのは「必然」ですが、”システムを備えた時点(生物が誕生した時点)”で見た場合は「偶然」備えていたに過ぎないということを言いたかったのです。
- ga111
- ベストアンサー率26% (247/916)
>理由として「そうでなければ、残らなかっただろうから」とありますが、であれば、残ることに意味・意義・目的・必要性など何かの理由があるということになりますよね? 目的は残ること自体です。残る(生存する)ことを目的とするのはなぜか?(たぶんこれがコアとなる質問でしょう)これは原始生命がなぜでき、残ることを意図したのか?に帰着します。これは未解明です。しかし、いろいろな状況証拠から、現在まで生存できた生物はきわめて生存競争に強かったということです(例、カラス、人間、ゴキブリ)。たぶん、あいまいさのある質問の答えが未解明の部分と答えられる部分の混合になっているのではないかと想像します。 循環論法的なことは#2さんの答えを質問者さんが理解できなかった(しようとしなかった)時点からずっと始まっています。 たとえば、ウイルスは半生物ということになっていますが、遺伝情報の維持、繁栄という面ではまったく生物的です。いちばん簡単な種のウイルスの遺伝情報を人工的に試験管内で有機合成しても、それは適当な環境に置けば機械的にウイルスの遺伝情報の維持、繁栄を(あたかも意図するかのように)開始、継続します。よって、それは人間の精神活動におけるような意味・意義・目的・必要性に「由来しない」盲目的部分があるのは明らかです。 >>>ほとんどの科学者の態度は、原始生命がなぜできたのか?にたいして直接答えを与える仕事をしていません。生存競争に勝てるようになっているメカニズムは何か?(なぜ、がんや病気にひとがならないようシステムがあるか?も同類)ということに答えようとする仕事がほとんどです。
お礼
再度ありがとうございます。 >残る(生存する)ことを目的とするのはなぜか? >たぶんこれがコアとなる質問でしょう そうです、これが疑問でした。 しかし、皆様からのご回答を読んでいるうちに、そもそも残ろうとする目的など持っていないのでは?無いものを探すから答えが出ないのでは?残ろうとしているように人間に見えるだけなのでは?と思うようになってきました。 それとも、理由が解明されていないだけで、やはりこのような目的は持っているのでしょうか? 他の方へのコメントと重複する部分もあり恐縮ですが、生存競争に結果的に勝ってきた現在の生物が備える環境適合性(優位性)は、「必然」と備えはじめたのではなく「偶然」に備えはじめただけのようにも思えてきました。 つまり、残ろうとする(理由は不明の)目的を達成するために優位性を備えたのではなく、たまたま優位性が備わっていたから残ったに過ぎないのではということです。 No16お礼欄で言うところの、「現在、このお店にあるコーヒーには全部砂糖が入っているけど、それはなぜ?」という店主に対する疑問に対しては、「砂糖は理由があって入れたのではなく、一部のコーヒーに偶然入ってしまっただけ。もちろん、お客さんに買ってもらうために砂糖を入れたわけではない。そして、砂糖が入っていなかったコーヒーは甘くないので、お客さんに売れず自然淘汰された。その結果、砂糖が入っていたコーヒーだけが売れ続け現在に至っている。」と考えれば、理由が見つからないことにも納得がいきます。
- vrtemjin
- ベストアンサー率39% (28/71)
質問者さんと回答者さんの会話を読んでいると質問者さんはなんか根本的に生物学について勘違いをしているように思えますが…… とりあえず答えてみます。 「なぜ多くの種は繁殖して自らの種を繁栄させようという流れがあるのでしょう?」 A.繁栄しようとしなかった種が滅びた結果、偶然繁栄しようとした生き物だけが生き残ったからです。 生物が地球上に出現してから何億年もたっていますから、その間にはさまざまな種が生まれたと思います。そして、そのうち自らの種を繁栄させようとしなかった種やその意思の弱かった種は淘汰されてしまったため、現存する種には自らの種を繁栄させようとする流れが見えているだけです。 (2)「それが本能やら遺伝子やらにプログラムされているのはどうしてなのでしょう?」 A.本能やら遺伝子やらに生き延びようというプログラムをされなかった種は何万(億?)年も前に滅びたから、たまたま現在生き残っている生き物の本能やら遺伝子やらには生き延びようとするプログラムがされているだけです。 そもそも遺伝子に増殖しようとするプログラムが無ければ増殖しないんだから一代限りで死んでしまい滅んでしまいます。当然増えませんから現代人である質問者さんがそんな種に出会うのは至難でしょう。 (3)「地球上に生物が存在する意義はなんでしょう?」 科学的には無いです。これはむしろ哲学や個々人の感性の問題です。あなたが○○○だと思ったら、あなたにとっての「地球上に生物が存在する意義」は○○○ということになります。10人いれば10通りの意義があるとは思いますが普遍的な正解とかはありえません。 (4)「地球にたくさんの生物がいる必要があるのか?」「地球上の生物が上手くまわる必要があるのか?」 A.必要があるとかないとかではなく、偶然増殖しようとする性質を持った存在(生き物)が生まれ、現在でもたまたま生き残ったため、地球上に生き物がたくさんいて上手くまわっているように見えるだけです。生物が滅びようがさらに増殖しようが地球の天文的性質にはなんの影響も与えないでしょう。 なお、なぜ生物が生まれたかは以下のように言われています。 大昔、生き物がいなかったころ、地球はさまざまな有機物質でいっぱいでした。その有機物質は温度とか雷とかの影響でつぎつぎと構造が変化する性質があります。。そんな化学物質のほとんどはすぐ壊れてしまったでしょうけど偶然、周りの物質を利用して自分と同じ物質をつくる性質を持った化学物質ができます(ここまでは実験的に証明されてるそうです)。現代では異常プリオンなんかがそんな化学物質の一種ですね。 そしてそんな物質が少しずつ変化していくうちにたまたま単細胞生物を単純化したような構造になります。この構造は増殖に有利だったためそんな物質がどんどん増えていきます。これを便宜的に原始細胞と呼びましょう。 そしてある原始細胞は偶然増殖しにくい構造に変化して滅びてしまい、ある原始細胞は増殖しやすい構造に変化し、増えていきます。また増殖しやすくても壊れやすい原始細胞は破壊されて滅び、壊されにくい構造になった原始細胞は増えます。これを何万年だか何億年だか繰り返した結果、単細胞生物が生まれ、そして進化していった結果、多細胞生物が生まれ、現在に至ります。 つまり大昔、偶然増殖するような性質を持った化学物質が変異を繰り返しながら増殖した結果、増殖しようとする性質と壊されにくい(死ににくい)性質を併せ持った化学物質が生物になったわけです。 つまり現在の地球上では増殖しようとする性質を化学的に持っているものだけが生き残ったから地球上のあらゆる生物は生き残り繁栄しようとするものばかりなのです。偶然突然変異などで生き残ったり繁栄しようとしなかったりしない生き物が生まれてもすぐ滅ぶでしょう。 生物の進化する機能や人間の感情も偶然生み出された結果、たまたま生存に有利だったため、残っている機能というだけです。
お礼
ありがとうございます。 疑問点それぞれへのご回答、参考になります。 後半の原始生物誕生の話もありがとうございました。 他の方へのコメントと重複する部分もあり恐縮ですが、 「繁栄しようとした生き物」「生き延びようというプログラムがされた種」が存在した(する)ことは、”必然”ではなく”偶然”だったということでしょうか? そのような性質を偶然備えた生物だけが、自然淘汰されずに済んだということなのでしょうか? No16お礼欄で言うところの、「現在、このお店にあるコーヒーには全部砂糖が入っているけど、それはなぜ?」という店主に対する疑問に対しては、「砂糖は理由があって入れたのではなく、一部のコーヒーに偶然入ってしまっただけ。もちろん、お客さんに買ってもらうために砂糖を入れたわけではない。そして、砂糖が入っていなかったコーヒーは甘くないので、お客さんに売れず自然淘汰された。その結果、砂糖が入っていたコーヒーだけが売れ続け現在に至っている。」と言うことでしょうか? (例えが下手ですいません。店主を生物をコーヒー、環境適合性を砂糖、地球をお客、創造主(←便宜上)を店主に置き換えてみました。)
補足
最後の部分を訂正します。すいません。 店主を生物をコーヒー ↓ 生物をコーヒー
質問者さんの疑問は植物や最近にまで及んでいる普遍的なもののようですので、動物行動学などからでは答えは出ないのではないかと思います。 質問者さんの疑問が解消されるかどうかは判りませんが(そもそも自然界の最大の謎ですらあるような)、多分最も根本的な答えは、「核酸(DNAまたはRNA)という化学物質が、自己複製する性質を持っているから」なのではないでしょうか。 DNAは、塩基が相補的結合(AにはTが、CにはGが結合する)して2本鎖を構成する物質である、ということは、このDNAは本質的に「自己複製するために存在する物質」なのです。 ここでちょっと細かいツッコミを入れますが、No.5さんの >ミクロの単位ではRNA(リボ核酸)が自身の転写を取る事は分かっています は"あまり"正しくありません。RNAが自身を転写するためにはRNA依存型RNA合成酵素というものが必要なのですが、これは「細胞」は持っていません。ウイルスだけがこの酵素を持ちます。 したがってRNAの複製は、現在の生物ではウイルスのみが行います。 ちなみにDNAの複写もDNA合成酵素が必要です。 話を戻して、DNAが自身の複製を作ることのみのために存在する物質であるならば、その「自己複製」を行うための戦略の結果が、現在の多様な生物系、ということになるでしょう。 つまり、自己複製を行うための戦略は、現在の生物種の数だけあったということになります。 誤解されやすいのは、「サルから人間に進化した」のではなく、「サルと人間は共通の祖先からそれぞれ進化した」わけですから、現在生き残っているということは、共に戦略として正しかったわけです。それどころかウイルスだって細菌だって、長い長い年月を経て現在の形態に進化してきているわけですから、これも正しかったわけです。将来のことはさておきますが。 ウイルスのように、コピーそのものは他人(他の細胞)に作らせることにすれば、自身の遺伝子は限りなくコンパクトで済みますし、最低限自活できるだけの機能を持てば細菌のような単細胞生物の形態になると。 でもこれだとダイナミックな環境の変化には対応しきれない可能性があるので、「恒常性」というものを備える方向性に進化したものもいた。 ちなみにまた細かいツッコミを入れれば、No.12さんの細菌が薬剤耐性を獲得する方法ですが、そんなに長い世代数はかかりません。 最短の場合、「1回も世代交代をせずに」獲得した薬剤耐性遺伝子を拡散することすらできます。プラスミドというゲノムとは別のオプションみたいな遺伝子があって、それは「分裂」しなくても隣に接した細菌同士で受け渡しができる、というシステムによるものです。 細菌は専門外なので、専門家からはツッコミが入る表現かもしれませんが。(専門はウイルスです) 雌雄による交配ですが、これは環境の変化などに対して「種として」生き残るためには、遺伝子の多様性を確保する必要があります。全個体が同じ遺伝子セットしか持たないと、1個体が耐えることができない環境は全個体が耐えることができず、その種は絶滅するわけですから。 それで「2個体によって遺伝子をシャッフルして組み替える」仕組みができたわけです。 同じ種だと見た目にはどれだけ異なっても遺伝子レベルで見れば99%が同じですから(それどころか人とサルですらほとんど同じ)、遺伝子レベルで見れば「種の保存」と「個の保身」は同じものです。個体の生存はもちろん種の保存に直結しますから、種の保存に反しない個体の生存本能は保存されて当然です。 というわけで、そもそも理由などなく「自己複製する物質」であるDNAがひたすら自己複製し続け、その過程で獲得した「遺伝子の保存」に有利な形質が「生存本能」とか「繁殖の欲求」という形になっているような気がします。
お礼
ありがとうございます。 かなり専門的な内容で、私には理解が追いつかない部分もありますが参考になります。 他の方へのコメントと重複する部分もあり恐縮ですが、 核酸という化学物質に自己複製する性質があるのは、「必然」ではなく「偶然」と考えればよろしいでしょうか? つまり、生物が自己複製を行うための戦略を持つに至ったのは、拡散の持つ性質が偶然である以上、これまた偶然と言うことでしょうか? No16お礼欄で言うところの、「現在、このお店にあるコーヒーには全部砂糖が入っているけど、それはなぜ?」という店主に対する疑問に対しては、「砂糖は理由があって入れたのではなく、一部のコーヒーに偶然入ってしまっただけ。もちろん、お客さんに買ってもらうために砂糖を入れたわけではない。そして、砂糖が入っていなかったコーヒーは甘くないので、お客さんに売れず自然淘汰された。その結果、砂糖が入っていたコーヒーだけが売れ続け現在に至っている。」と言うことでしょうか? (例えが下手ですいません。店主を生物をコーヒー、環境適合性を砂糖、地球をお客、創造主(←便宜上)を店主に置き換えてみました。)
補足
最後の部分を訂正します。すいません。 店主を生物をコーヒー ↓ 生物をコーヒー
- taronbe
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たぶん質問者さんの疑問は、少し動物行動学について勉強してみれば、答えを探しやすくなると思います。とりあえずリチャード・ドーキンスの著書「利己的な遺伝子」と「盲目の時計職人」がわかりやすいので読んでみてはいかがでしょうか。 「盲目の時計職人」とは進化の担い手で、無意識的、自動的、盲目的でありながら無作為ではない自然淘汰の象徴です。 昔は「種を保存する本能」というのが存在すると信じられていたわけです。ところが生物の振る舞いをよくよく観察すると、これに矛盾するような出来事が次々と発見されていきました。 代表的な例がライオンの子殺しです。ライオンの群れでリーダーが交代すると、新しいリーダーが群れにいる授乳中の子供を全て殺してしまうという現象です。 滅亡を避け、繁栄を目指す流れがあるのなら、同じ種の子供を殺すことが普遍的に起こるのはおかしいのではないでしょうか?
お礼
何度もありがとうございます。 教えていただきた書籍は、読む機会があったら是非読んでみたいと思います。 他の方へのコメントと重複して恐縮ですが、 「なぜ、多くの種に繁殖して自らの種を繁栄させようという流れがあるの?」 「なぜ、それが本能やら遺伝子やらにプログラムされているの?」 これらの私の疑問については、「理由は解明されていない」のではなく「理由は存在しない」ということでしょうか? つまり、「多くの種に見受けられる繁殖して自らの種を繁栄させようという流れ」や「それが本能やら遺伝子やらにプログラムされている」のは”必然”ではなく”偶然”ということでしょうか? そのような性質を偶然備えた生物だけが、自然淘汰されずに済んだということなのでしょうか? No16お礼欄で言うところの、「現在、このお店にあるコーヒーには全部砂糖が入っているけど、それはなぜ?」という店主に対する疑問に対しては、「砂糖は理由があって入れたのではなく、一部のコーヒーに偶然入ってしまっただけ。もちろん、お客さんに買ってもらうために砂糖を入れたわけではない。そして、砂糖が入っていなかったコーヒーは甘くないので、お客さんに売れず自然淘汰された。その結果、砂糖が入っていたコーヒーだけが売れ続け現在に至っている。」と言うことでしょうか? (例えが下手ですいません。店主を生物をコーヒー、環境適合性を砂糖、地球をお客、創造主(←便宜上)を店主に置き換えてみました。) ただ、ライオンの例で言えば、ライオンが授乳できる子供の数に限りがあるとすれば、より(種の保存につながる)環境適合性の強い自分の子供をメスに育てさせるために、現存している子供を殺すと言うことは考えられませんか? この例の詳細を知らないので、見当違いかもしれませんが・・・。
補足
最後の部分を訂正します。すいません。 店主を生物をコーヒー ↓ 生物をコーヒー
お礼
何度もありがとうございます。 私の疑問点を明確にしていただいた気がします。 私が疑問なのはWhy(理由)の部分です。 もちろん、How(原因)の部分にも興味がありますし、それを検討することによってWhyの部分の理解にもつながると思います。 もしかしたら、はじめからWhyなど存在しないのかもしれませんね。 でもその場合は、Whyが不明なのではなく不存在であることが判明すれば疑問は解消します。 結局、私の疑問は現在の科学では解明できないと言うのが結論なのかもしれません。 皆様に頂いたご回答を私なりに整理してみると、 ・種を保存・繁栄しようとする目的が「全ての生物にある」「一部の生物にはあった」「どのの生物にもない」 ・上記の目的があった場合、「偶然その目的が備わった(つまり理由はない)」「何らかの理由により必然的に備わった」 に分かれると思います。