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モディリアーニは、生涯で何枚絵が売れたの??
私はモディリアーニの描く肖像画がすごく好きです。 彼は生きている間はあんまり裕福じゃなかったみたいですが、 その生涯を通して絵はあまり売れなかったんでしょうか? あと、エゴン・シーレについても当時売れっ子だったのか知りたいです。 どうか教えてください。
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二人とも自らの才能に食い潰され、夭逝した画家ですね。 二人とも、画商に売り込むとか時代に媚びるということを全く出来ない野生動物みたいな天才ですから、売れる時はごっそり売れる、売れない時はさっぱり売れなかったようです。 売れる時・・・それはパトロン、つまり経済的な支援をするファンがついた時です。 ちなみに、モディリアーニにはポーランドの詩人ズボロウスキー、シーレにはウイーンの実業家アウグスト・レーデラー、酒場店主フランツ・ハウアーというパトロンがいました。 ズボロウスキーのモディリアーニへの心酔、献身ぶりや、ハウアーの豪快な人物像など、やはり大天才の周りにくっついてくる人たちは一味も二味も違います。是非モディリアーニやシーレの生涯について描かれた本を読まれて下さい!! さて、何枚売れたか・・・。 枚数まではわかりませんが、ゴッホ(1枚)よりは売れたはずです。
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- Obich
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「ピカソとモディリアーニの時代」を見に行って解説書籍を購入してきたので、その中の記述から抜粋です。存命中に売れた枚数や金額を正確に記述している文章には出会えませんでしたが、以下調べた内容など。 画商ロジェ・デュティユール(1873-1956)は、キュビズムの萌芽が見えた1908年には積極的な蒐集活動を開始し、更にモディリアーニ(1884-1920)の作品も1918年から蒐集していたそうです。 「(デュティユールは)購入したマティスを売ってモディリアーニを買い求め、結果としてフランスの公立美術館では最大のモディリアーニのコレクションを築くことになりました。」とあります。 「デュティユールはまず1918年にモディリアーニの≪若い女の顔≫を購入することから始めたが」「彼が購入した作品の大部分は1918年から1925年に集中しており」「専門家の中にはデュティユールはこの画家(モディリアーニ)の最高1割の作品を所蔵しているという者もいる」 以上の記述から、存命中にも少なからぬ数の絵が売れたことが推測されます。 貧困の原因を示唆する文章としては、健康上の問題、モンマルトルの芸術家集団(パリ派)との交友や過度の飲酒、生母との複雑な関係などが若干書かれています。 よって、単純に「絵が売れなかったから貧乏だった」という訳ではないようです。
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非常に細やかな回答をありがとうございます! とても参考になりました。 モディリアーニの絵は当時多少認められていたようですね、 本当にありがとうございます!!
お礼
野生動物みたいな天才だったんですか… nekororinさんの回答を読んでもっと二人のことを知りたいと意欲がわいてきました! その生涯について書かれた本を読んでみます! 興味をそそられる回答をありがとうございます!!