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記憶しない方法
世界には、なんでも記憶してしまう人々がいます。 わたしが、常に気になるのは、記憶する方法もさることながら、記憶しない方法です。 なんでも記憶してしまうのはとても優れた能力ですが、例えば、誰かに怒られた記憶や、誰かに嫌がらせを受けた記憶など、私たちがすぐに忘れてしまう記憶でも忘れられないのではとてもつらいと思うのです。 だからきっと、超人的な記憶力を持つ人は、記憶しない方法も知っていると思うのです。その方法がどのようなものなのかを教えてください。
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- nisekant
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わかりにくくてすいません 正常な人間の手段は海馬を取り除くしかないでしょう。短期記憶に関わるらしいですから、以前の記憶は残ります。以後のことが記憶できなくなる? 記憶とは感情の度合いに関係します。 記憶力の凄い人はサヴァン症候群の一部にも見られる?そうです。 記憶力が優れている生物=繁栄に結びつく訳ではありません。我々の能力は生きるためにあるのです(ハンディキャップ原理は除く)。いや、生物を生かすことの出来た能力が継承されてきた(大雑把な意見ですが)。 記憶力に加担する人間は危うさを招きます。いや、違うな?
- 783kaiketu
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昔から言われたことですが、 「見ざる」「言わざる」「聞かざる」です。 しかし、お話しのように、思い出を消す方法ですかー。 一般的には、いじめられた記憶であれば、心の中で 「俺は強い。にくい○○○を、殴り倒したと、心の中で 何回も叫んで、何回も殴り倒しましょう。」そうすると いつしか、強いあなたと、殴り倒した記憶が覆いかぶさって、 前の記憶は薄まります。」しかし、変に強い意識が残りますね。 この弊害は、何年も同じことを繰り返し主張していると、 主張と真実がわからなくなることだと言われています。 しかし、どうしましょう。頭の中は動いてますね。 うーん。もう寝てしまうのが良いでしょう。 しかし、夢の中にも記憶は出てきますね。 後は、時間が解決でしょうか。 以上
- sonsin
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●記憶は不思議な働きですね。 私の体験をお伝えしたいと思います。ドイツから帰国の飛行機の中で、7ヶ国語を話せるインドのラマ僧に会いました。 新しい国語を学ぶには、彼は他の国語を忘れるそうです。 忘れるにはどうするのですかと聞くと、「赤ちゃんの気持ちになるのですよ。」と答え、続けて「その国の人に、目にした物を指差して、何かというしぐさをして、出てきた言葉を鸚鵡返しに発言するのです。」 「合ってれば相手は笑ってうなづき、発した褒める言葉を口写しに発音してみると、間違ってれば正しい発音をしてくれます。 そうして単語の数を増やして行けば、3日で日常会話はできるようになります。」 「言葉を覚えるのは記憶力より忘却力なのですね。」というと、「そうです。 新しい国語を覚える早道は、その国に入ってから赤ちゃんの気持ちで、耳を皿にして聞いた言葉をすぐ口にするのです。」 ●ドイツの諺で、「遅く覚えたことは遅く忘れる。 早く覚えたことは早く忘れる。」とあり、優等生よりは劣等生のほうが、社会できちんとした仕事をするケースが多いのも、うなずけたことがありました。 ●将棋の棋士は、昔の棋譜をすべてそらんじていますし、シングルのゴルファーは、コースでのすべてのショットを覚えています。 私の専門分野の営業では、交渉の経過をこまかいところまで記憶しています。 どうやら繰返しの回数が貢献しているように思います。 英語でも20回以上繰り返せば、記憶にとどまりますし、奥さんが旦那さまより昔のを良く覚え、とっちめ力が強いのも反芻の回数が多いからでしょう。
- hakobulu
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人は、おそらく環境から受けたあらゆる刺激を全て記憶として格納しているでしょう。 いわゆる無意識によって人はよく行動したり思考したりしますが、それらの源泉は、「思い出せはしないがどこかに格納されている記憶」しか考えられないからです。 たとえば、「好みのタイプ」なども、幼い頃の(思い出せはしないが脳のどこかに確かに格納されている)記憶が元になっていると考えられます。 そして、制御が難しい分、私たちは無意識に強い影響を受けます。 人は外界から(無論、内面からも)多様な刺激を受けます。 そして、それが記憶され、将来的な感情や思考の源泉になるのでしょう。 その結果として、ひとつの色によって特殊な感情が湧いたり、ある音楽で泣きたい気持ちになったりするのだと思います。 つまり、記憶というものもまた多様だということです。 私の考えでは「なんでも記憶してしまう人」というのは、恐らくいないのではないかと思います。 ただ、「他の人であれば考えられないような記憶ができる人」はいるでしょう。 しかし、そういう人は「他の人であれば記憶しているのが当たり前のあることを記憶できない人」ではないかと私は推測します。 つまり、本来つながるべき平均的神経回路の一部が途切れて、その分が、他の回路を人並み以上に強化する材料として使われているように思うのです。 「>超人的な記憶力を持つ人は、記憶しない方法も知っている」わけではなく、 『超人的な記憶力を持つ人は、ある何かに対する通常の記憶力を持てない人でもある』 という捉え方をするのが正解ではないか、と考えます。 つまり、本質的には、何を記憶して何を記憶しない、といったような『選択』は不可能でしょう。 ただ、一般人にも当てはまることですが、 他のことにエネルギーを集中し続けることによって、その記憶が結果的に無意識の奥深くに(完全ではないにしろ)後退していく、という現象は想定可能ではないかと思われます。
自分がおぼえたことをテストしますよね。そして間違えた問題は覚えてないということになる。 そして私達はその正しい答えを見てみると「ああ~!」と、後悔の念が広がります。 なので、記憶は全てされています。思い出す、ということは記憶しているということなのです。自分の頭の中の小さな引き出しに小さく小さくなって入っているだけなのです。だから思い出しづらい。 記憶の海馬って知ってますよね。小脳の近くにある。 覚えたい言葉などは海馬に分別されてしまうのです。「必要である」か「必要でない」か。記憶に残りやすい人は海馬を扱うのがうまい人です。何回も見たりして、海馬に「必要」と教え込む。 どんなものが海馬に「必要」と認識されるのでしょうか? それは「生きていく上で一番大切」というようなものです。 「熱いヤカンにふれると火傷する」のと、 「π=3.14159265358979323846264338327950288419716939937510582097494459230781640628620899」では、どちらが大切でしょうか。勿論前者ですw なので、前者よりも後者のほうが覚えづらいでしょう?そういうことです。 記憶は、地球人みんな優れているのです。忘れているわけではないです。思い出しづらいだけ。 いろんなことを覚えられる人は、「忘れよう忘れよう」と思うと、やっぱり忘れられないようです。本で見たことがあります。 ということで私の結論は「ない」です。 自信もさほどありません。