建国記念日(2月11日)にあたって思うこと・・・
◇質問の切っ掛けと背景
最近、年号や皇紀を余り使わず、祝祭日の由縁・謂れを知り聞く機会もめっきり減った。
気象や行事に旧暦は、日常生活の中で新暦と上手く使い分けられ併記され、かなり使われているのだが・・・
皇紀は、私の場合も、建国記念日の由来の中、昭和15年の皇紀2600年「太平洋戦争開戦」、大昔の受験勉強時に日本史の中で覚えるのに苦労した記憶・意識した位と成っています。
今更、皇紀を強調すると右翼・軍国主義の美化・国旗国歌とあわせて時代遅れだと言われそうですが?
でも、素直に考え、国を知り愛す、歴史文化伝統に誇りを持つ事と、国際化の中の日本、平和と安寧を希求する事とは、何ら矛盾しないと思います。
西暦での時系列の記録や日付け&時間管理とその中に我が国の歴史を連綿と伝える年号の併記や活用(チョッピリ、祝祭日の由来等に復活)も有為有用なのでは・・・
◇そこで、質問ですが・・・
*皇紀を使用・意識する事がありますか?
*皇紀2671年とか、年号(平成23年)は、無意味&不要と思われますか?
「ex、大化の改新・保元の乱・元禄時代・天保の改革等を西暦と皇紀の併記」
*祝祭日が由来や沿革を離れ、単なる休日・振り替え休日・連休の中に埋没しているのを、どう思われますか?
※皇紀:知識の殿堂より抜粋
皇紀とは明治五年に制定された我が国独自の日本紀元のことである。神武天皇即位の年を元年とし、毎年二月十一日が紀元節になっている。
現在、世界的に使われている西暦は、基督教の開祖であるキリストの生誕日から数えられている。日本人の我々が使用するには明らかに違和感をおぼえるが、戦後の堕落した風潮の後押しもあって、不可思議に使われ続けている。
天皇陛下が即位するたびに年号が切り替わるので繋がりが分かりづらいという意見が一部にあるものの、だからといって西洋人の暦に頼る必要はない。由緒正しき皇紀を復活させればよいではないか。しかし、戦前戦中の国家神道に反対している左派が黙ってはいないだろう。
参考として述べるが、タイでは仏歴が採用されている。西暦に五四三年足したものである。私の知人がタイに行った時、仏歴の下二桁の数字に出会って面食らったという。
敬虔な仏教徒であるタイ人は仏歴を大事にしている。異教徒の暦を無思慮に使用しない姿勢は、我が国も見習うべきである。
イスラム世界では、メッカを支配していたクライシュ族の迫害によって、開祖ムハンマドが故郷のメディナに脱出した西暦六二二年七月十六日をもってイスラム歴元年とするヘディラ紀元があり、大切にされている。ヘディラとは移住を意味し、聖遷ともいう。ヘディラ紀元は月の満ち欠けをもとにして作られた太陰暦である。
一番よい世界の在り方は、それぞれの国、民族、文化が尊重されていることだと思う。とはいえ、大航海時代以降、西洋中心の世界秩序が構築されていった歴史的経緯があるので、ある程度の妥協は致し方ないのかも知れない。つまり、通常は我が国の年号を使用し、通しに際して不便なら皇紀を使えばいい。更に世界共通で差し障りがあるなら、渋々の選択で西暦を活用しようというのである。ただし、無自覚に西暦を用いるのではなく、日本民族の誇りを見失わないことが大前提だ。