>精神疾患者はカミングアウトすべきか否か
○その人の病状、症状にも違いがありケースバイケースだと思います。例えば「うつ」と言えば最近はある程度許される傾向になりつつあり、会社等でも「産業医」兼「心理カウンセラー」等を置く会社も増えつつあります。その一方では、「統合失調症」等はかなりの温度差があり、なかなか就労等とまではいかず、のけもの扱いにされているのが現状ではないでしょうか・・・。
○告白した時のメリット(就労した時)
(1)自分の心身に無理をせず就労が可能。
(2)昼食時の服薬も隠れて飲む必要がなく堂々と服薬できる。
(3)調子が悪い時は理由を言えば理解され休養できる。
(4)診察日は、有給で取れたり(6ヶ月以上勤務の時)、堂々と休暇を貰える。
(5)安心して仕事が可能。(廻りの理解?が得られる)
(6)再発しにくい。
この様な感じでしょうか?
○告白した時のデメリット(就労した時)
(1)給料が上がらない。
(2)昇進はなかなか期待出来ない。
(3)過保護にされる仕事の面で差をつけられる。(他の人より単純なものに)
(4)仲間はずれにされる。(一概には言えませんが・・・)
(5)廻りの理解(?)が得られているつもりが実際には理解されていない。
(6)「知的障害」と一緒にされ誤解されやすい。
○私の場合は以前の職業とは畑違いの生産加工場に勤務し、工場長のみにカミングアウト(境界例)しましたが、そんなに「無理をしなくて良い」等と言われ自分では、「全然無理等していなかったのですが・・・」ある意味で気を使われ過ぎて過保護にされ幸いにも再発はなかったので良い面もありましたが、十分に自分の能力を発揮出来なかった面もありました・・・。
○いずれにせよカミングアウトしても偏見がない世の中になって欲しいものですが、現実はなかなかそう簡単にはいかないのが現状だと思います。
○又就労以外の自分の友達関係や廻りの人達との関係においては、特に自分からカミングアオウトしなくてもよろしいと思います・・・がこれも将来は偏見のない世の中になって欲しいものです。(願望です)
補足
ご回答ありがとうございます。 職場というある意味より高尚なメンタルティの意識レベルが意図的にも無意識的にも防衛として低くならざるを得ない社会では、より繊細的な問題は敬遠されがちです。 このような問題を考えるにあたり、個人的な経験上忘れることができないのですが、昔勤めてた会社が技術関係だったのですが、圧倒的な男性社員の中に女性が数人いました。男性と同じ仕事をしていたわけですが肉体的にもきつい時期が続いたらしく、精神疾患者となり彼女たちは会社側に告白しました。が、ご回答いただいたデメリットの中のすべてを被っていました。彼女たちはいわゆる一流大学を卒業しその一流企業に就職したわけですが(そういう肩書きも病という自然な摂理には勝てないのだなあと感慨深かったのですが)、ひとりはそのうち辞め、ひとりは陰口を叩かれながらも登社していました。が、やはりしんどいしんどいと毎日口にしていましたね。それがまた周囲の反感を買ったようで・・・。 となればやはり病人としても、ドロップアウト事後の対人関係の作り方という課題が新たにあるわけです。病気を盾にしてはならないしかといって自己卑下したり不平を表せば「病人のくせに」と言わしめてしまう。こうなったのも女性なのに徹夜を続けさせた会社にも原因はあるだろうと主張すれば「男女平等を訴えているのは女たちだろう」と男性側に見当違いの抗弁を与えてしまう。もちろんそのような男性ばかりではありませんが、まだ鬱病がこれだけ社会的に認知されていない時代でしたから彼女たちも辛かったと思います。 質問は広義の範疇ですが、狭義にみると、たとえば境界例などは、よりプライベートな人間関係間での告白というのは難しい問題だと思います。特にこれが恋愛関係であれば恋愛という主観と、介護として扱うべきであるという客観が混同されてしまう危険があります。このような場合も「相手を見て」という相対性を自覚させられる。 消極的な姿勢で自己防衛しつつ、相手との関係においてこの問題を回避するか、それとも積極的にポリシーやイデオロギーに立ち向かう姿勢を持って告白するべきか、というこれまた凄まじい葛藤と選択を迫られるわけです。 この病特有の「衝動性」において関係性を保つことで失敗に至るケースが必然的(とくに重症ならば)境界例にとっては二重の悲哀となってしまうわけで、鬱病などとは違い、確かに境界例や統合失調症などの病症は理解を得るのが難しいのが現状でしょう。 とくにこの病は社会的、顕在的には病気として表れにくい。逆に親密度という刺激に対して症状は顕在化されまた変化すると思うのですが、公的な交渉と同様、私的にもそれが求められるのですからさらに心理的な負荷になってしまいます。 優れた知性と創造性は境界例の特徴であり「職場では誰よりも貴重な戦力になる」と専門家では認められています。精神疾患は悪い影響しか及ぼさないというステレオタイプをもう少し社会の方で鑑みなければならないかと思います。「病気の責任の大部分を、患者が背負わされている」という専門家の意見は不幸ながら現状です。 まぁ世の仕事や職場が一貫して功利主義というのはこれはもう普遍的なことでしょうから、理想論を言ってみても仕方がないかもしれませんが、それでも精神疾患がこれほどまで社会問題化されているということは陰に陽に、また患者の訴え(葛藤や勇気の結果)がようやく社会に届いたということかもしれません。 (長くなってしまったので補足欄に書き込ませていただきました)