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山口県 福島県 不仲説

友達から山口県と福島県は不仲だから、福島ナンバーの車で山口には行きたくないといっていたことを覚えています。でも理由をわすれてしまいました。ご存知の方教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • take000
  • ベストアンサー率55% (25/45)
回答No.5

江戸時代末期の政争や戦争によるものですね。 長州藩(島根県や山口県)は江戸幕府と会津藩(福島県)によって滅亡寸前まで追い込まれました。 一方の会津藩は、その後に逆転され敗戦します。 その折の戦いで長州藩兵等から非人道的な行為を受けたという記録もあります。 双方に多大な恨み辛みがあるから、いまだに不仲状態が続いているようです。 また、土佐(高知県)や薩摩(鹿児島)のとっても会津は敷居が高い土地のようです。

R33GOO
質問者

お礼

ありがとうございます。

その他の回答 (14)

  • hazu01_01
  • ベストアンサー率31% (341/1067)
回答No.15

 会津と長州はそういうものでしょう。  会津と鹿児島はどうでしょう?長州に対してほどではないように思います。実際、鹿児島とは人的交流もそれなりに行っています。  明治時代、かなりの鹿児島出身の人物が福島県のために働いています。警察や教員の出身を見ると良くわかります。  戦後も鹿児島県から多くの先生方が派遣されてきたようです。その関係で昭和末期から平成初期にかけて福島県から鹿児島県に先生方を毎年何人か派遣していました。  山口県とはほんとに没交渉でした。

  • npf-ojiya
  • ベストアンサー率38% (231/595)
回答No.14

長州からすれば、会津中将が京都守護職に就いてから孝明帝崩御までに会津に飲まされ続けた煮え湯の恨みが残ってる訳ですし、会津は会津で官軍であったはずなのに賊軍の汚名を受け会津戦争では徹底的にやられ、さらに一藩流罪に等しい仕打ちを受けては恨みを抱くのは無理からぬところでしょう。 昔から言われる「勝てば官軍負ければ賊軍」なんです。 でもですね、 会津からすれば長州は元から敵なわけですからそれはそれで良いんです。 長州と同じか、もしかすると長州以上に憎しみを持っているのが薩摩なんですよ。 会津と手を組んで京から長州を追い出し、第1次長州征伐までやっておきながら、時代の流れを読んだのかあっさり長州と同盟を結び会津追討の先頭になっては会津の、薩摩に対する憎しみも相当強いものがあるんですよ。

回答No.13

山口出身の者です。 理由は既に説明されている通りです。 が、こんなことを言うと怒られそうですが会津が山口を一方的に恨んでいる、という気がします。 やられたほうは恨みをずっと忘れない、という感じでしょうか。 会社の同僚の奥さんと会ったときに、「どこの出身ですか?」と聞かれ、彼女が会津出身だと知っていたのでちょっとふざけて「長州ですよ。」と答えたところ、いかに会津の恨みが深いかしばらく語られたことがあります。

回答No.12

理由はもうすでに書かれていますので割愛しますが、補足情報を。 1つのエピソードですが、(かなり前の話ですが)ある会合で、長州の都だった萩市長が、「これからは協力して、前を向いて進んでいこう」と話したのに対して、会津若松市長が「あの時の恨みは忘れない」として、和解を拒否したという話があります。 拒否した市長の前の市長は、萩との和解に前向きな姿勢を示した途端に選挙で落選しました。対立は、相当根深いものです。 しかし、会津の気持ちも戦争の事実を知るとわかります。 白虎隊の悲劇はよく知られていますが、悲劇を通り越して、無情な仕打ちを新政府軍が会津に対して行っているからなんです。 それは「戦死した藩士の埋葬を禁止した」ことです。 2年ほど許さなかったそうですよ。 生き残った藩士からすると、藩を守るために戦って亡くなった戦友を、庶民からすると、顔見知りの侍やその子供たち(白虎隊は15歳~17歳程度でしたしね)を、墓を作ることもできず、腐って白骨化する姿を見るしかなかったんです。この話を聞かされて育てば、現代でも怒りや嫌悪感が湧いてくるのではないでしょうか?(ちなみに、新政府軍側の遺体は、会津の人たちの手で埋葬されています) あと、経済的にも新政府は会津に対して厳しい仕打ちをしています。 会津藩を廃止したあと、明治に入って、新政府は会津松平家の再興を許します。しかし、認めた土地は、青森の当時不毛の地だった斗南(今のむつ市などのあたり)でした。 会津藩の石高23万石に対して、斗南藩の石高は名目3万石、実質3000石でした。23億稼いでいた会社の売り上げが3000万円に落ちたようなものです。移住した藩士は、飢えや寒さで多数なくなっています。 これらのわだかまりがまだ会津に残っているので、しばらく和解は無理かも知れませんね。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.11

余談ですが 以前、郡山(福島県)に滞在した際、戊辰の恨みについて聞いてみたら、「二本松と三春みたいなのは、ここらにはありません」と言われました。 三春藩が西軍へ寝返ったせいでひどい目にあった二本松では、まだ恨みが残っているかもしれません。

  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.10

不仲説については説明され尽くしています。 私は山口県に三年間住んだことがあります。 その時、不仲説を聞きましたが、内容は逆で山口県人が福島に行く時は要注意だったと思います。 だって、恨みのあるのは旧会津藩の出身者の方が大きいでしょうから。  山口県の萩にはお城があります。 江戸時代、ここでは毎年の正月に定例行事がありました。 藩士たちが一同に会し、『殿、いよいよ今年こそは、でございますか?』と詰め寄る。 毛利の殿様はやおらこう答える。 『待て、待てと申すに。 今年は待つのじゃ。』 関が原の戦いで徳川軍に味方したにも拘らず、石高を百万石から僅か29万石に減らされ、領地も長州一国にされた。 さらに築城も地の利に恵まれない辺境の萩に限定されている。  このように徳川家への恨みは深く、毎年正月には上に記述したような幕府への恨みを確認する儀式を行うのが慣わしであった。 彼らは260年の長きに亘って綿々と続け、遂に倒幕を果たすのです。 長州人の執念深さをこの辺りに伺うことはできます。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B7%9E%E8%97%A9
R33GOO
質問者

お礼

回答有難うございます。 よく思い返したら山口の出身の友達でした。だから福島にいきたくないというのが正しかったです。すみませんでした。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.9

「理由」については既に他の方が書いているとおりですが、「友達から山口県と福島県は不仲だから、福島ナンバーの車で山口には行きたくない」と言った話は「ジョーク」に近いと思います。 実際、遠く離れた福島県と山口県の直接の交流はほとんどありません。例えば、位置関係を少しずらして、宮城県と愛媛県の交流がどのくらいあるかを想像すれば分かるでしょう。たまにニュースで「萩市と会津若松市が恩讐を超えて文化交流」なんて話がありますが、これも「面白いからニュースにしている」程度のことです。 ちなみに、福島市には「福島製作所」という会社があります。この会社の親会社は昔から「宇部興産機械」という山口県の会社です。ビジネス上は何も問題は起きていないようです。現実社会ではそんなものです。 また、 「以前鹿児島出身の方に聞きましたが、ほんの20年ぐらい前まででも「福島から嫁をもらうな」と言っている年寄りが結構居たそうです。」 九州の南端にある鹿児島県に、里帰りするのも容易でない福島県から嫁ぐ女性がどのくらい実在すると思いますか? 例えば、JR会津若松駅から鹿児島市の中心駅であるJR鹿児島中央駅まで行こうとすれば…ヤフーの路線探索で http://transit.yahoo.co.jp/search?p=%bc%af%bb%f9%c5%e7%c3%e6%b1%fb&from=%b2%f1%c4%c5%bc%e3%be%be&sort=0&num=0&htmb=result&kb=DEP&chrg=&air=&yymm=200701&dd=9&hh=6&m1=01&m2=01 会津若松を朝の6時台に出て、鹿児島中央に着くのは14時、片道4万円です。私が親だったら、「そんな遠くには嫁に行くな」と娘に言いますよ。

R33GOO
質問者

お礼

ありがとうございます。片道4マンはきついですね

noname#24295
noname#24295
回答No.8

すでに説明は十分されていますが、余談のエピソードを。 軍歌「抜刀隊」を一度ネットで検索して、聴くか歌詞を見てください。 会津藩士の警視庁抜刀隊構成員の薩摩・西郷隆盛への怨念・恨みつらみがよく伝わる軍歌です。

R33GOO
質問者

お礼

一度検索してみます。有難うございます。

  • jfk26
  • ベストアンサー率68% (3287/4771)
回答No.7

戊辰戦争の会津での戦いが大元でしょうね。 薩長軍は会津では相当な残虐行為(同じ日本人同士とは思えないくらい)をしたので恨まれたようです。 といっても#3の方の言われるようにこのときはどちらかといえば薩摩の方が主力でした。 そして今度は薩摩との西南戦争のときは、政府軍は旧会津の武士たちを多数配下に入れました、彼らはあの時の仇とばかり勇猛に戦ったそうです。 ですから山口と福島もそうですが、鹿児島と福島の方がその傾向はより強いようです。 以前鹿児島出身の方に聞きましたが、ほんの20年ぐらい前まででも「福島から嫁をもらうな」と言っている年寄りが結構居たそうです。

R33GOO
質問者

お礼

ありがとうございます!

回答No.6

会津地方のお年寄りにとっては「前の戦争」は「戊辰戦争」だと言うほどだったという話を聞いたことがあります。 また、全国知事会でも山口県と福島県の場所を近くにしないように気をつかった....という話さえあったと聞きます。 原因は、他の回答にあるように戊辰戦争で長州に会津が負けたこと、さらにその後青森に転封になり苦労したということが加わって恨みが酷くなった、ということだったと思います。 何年か前に山口県知事と福島県知事が話し合って和解した、という記事を読んだ記憶があります。

R33GOO
質問者

お礼

ありがとうございます。

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