- ベストアンサー
南無阿弥陀仏より南無妙法蓮華経が優れているのですか?
こんばんは。友人が「南無阿弥陀仏より南無妙法蓮華経のほうが優れている」と言います。理由は解りやすく言うと「神道、仏教、キリストなどの全ての神を呼ぶから」らしいのですが..... 私は....う~ん...(言ってる事が?ですし、かなり無茶な話だと思うのです)です。納得がいかないのです。 日蓮宗と浄土宗は共に仏教で、昔から在るものに優劣などあるのでしょうか..... ちなみに私自身は無宗教で宗教に無知なのですが、何か友人がこの様に 話すのには何か根拠があるのでしょうか? カテゴリー違いでしたらすいません。 私も無知故にお見苦しい文章かもしれませんが、宜しくお願い致します。
- みんなの回答 (18)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
このご質問、スルーするつもりでしたが『法華経』の専門家として述べさせていただきます。 ご質問は“浄土思想”と“法華思想”の優劣ではなくて、「“念仏”をとなえるより“題目”をとなえるほうが優れているのか?」ということですね。 この回答は“諸経の王”である『法華経』にあります。 以下、ごく簡単に述べますと・・・ 同じ念仏でも天台宗と浄土宗、浄土真宗等ではとなえる意味合いが違います。 1 阿弥陀如来を念じることによって極楽往生する。 2 念仏することによって、この世を極楽浄土にする。 3 念仏することによって、じつはこの世がすでに極楽浄土であると自覚する。 って、とこです(あくまでも簡単に言えばデス!)。 題目をとなえるのは 1 となえることによって『法華経』全品を読んだことになる。 2 となえることによって『法華経』を理解したことになる。 3 となえることによって『法華経』を実践したことになる。 4 となえることによって『法華経』の経力にあやかる。 って、とこです(だから簡単にいえばデスよ!)。 さて、同じ『法華経』でも天台宗と日蓮宗では解釈が違うんです。いろいろ解釈は出来ますし、人それぞれ受取り方も違うのですが、題目をとなえることによって“>神道、仏教、キリストなどの全ての神を呼ぶから”と解釈できるかどうかというと、かなり無理があると思われます(『法華経』の精神からすれば「絶対に間違っている」ともいえません)。 しかしながら、題目をとなえることによって神道、仏教、キリストなどの全ての神を呼ぶとしても、この世は極楽浄土だとする念仏より優れているとするのはHERIKUTSUとしか思えません。方便ですかね。人心を迷わせてはいけませんよね。 そもそも、日蓮系新興宗教は法華経中の“『法華経』だけが絶対に正しい(しつこいようですが簡単にいえばデスって!)”とする部分を殊更強く引用して他教を邪道と否定しますので、「言ワズモガナ」というところでしょう。 前置きが長くなりましたが本題に入ります。 『法華経 方便品』の諸法実相とは「どのような“法(おしえ)”も、皆すべて真実の相である」ということです。 これは突き詰めれば「すべての存在、教えは、みな“仏”そのものである」ということです。 つまり優劣を付けるのは執着(しゅうじゃく)であり、念仏も題目も平等と心得るのが『法華経』の精神です。 『法華経』を処依とする者は、この点を十分に心得ておかなければ成りません。 また改めて詳しい解釈をしましょうネ!議論の場でもありませんし。 それではゴキゲンヨウ!!! (^^)v
その他の回答 (17)
南無阿弥陀仏は阿弥陀さまに任せなさいと言う意味で 南無妙法蓮華経は法華経(お経)に任せなさいという意味ですから どちらに任せるかは本人の選択では。
- 10pph
- ベストアンサー率19% (50/252)
#5の質問について 鎌倉新興宗教の法然、親鸞、日蓮とも鎌倉幕府の迫害を受けています。 この3人以前の宗派は外国からの導入ですが、浄土系と日蓮系は日本で派生した宗派です。 これらの鎌倉新興宗教が広まる前は真言宗や天台宗などが主流であり、幕府の高官の多くもそれらの信者でしたから。 現在では、仏教の主流は日蓮系の宗派です。 現代の新興宗教である創価学会・立正佼成会などもほとんどが日蓮の流れをくむものが多いのが特徴です。
お礼
再度の回答ありがとうございます。 >鎌倉新興宗教の法然、親鸞、日蓮とも鎌倉幕府の迫害を受けています。 やはりいつの時代も新しい宗教は弾圧されるのですね。 なぜ現代の新興宗教は日蓮系が多いのか不思議です。 ありがとうございました。
- 10pph
- ベストアンサー率19% (50/252)
釈尊が説いた「浄土経」と「法華経」の年代を比べると「法華経」が晩年に説いた教えであり、最期に説いた物が「真理」であるという考えに基づいているからではないでしょうか?。 教典は釈尊の時代でも、浄土宗も日蓮宗も鎌倉時代にできた宗派であり、当時の視点で見ればともに「新興宗教」ではあります。
お礼
ご回答ありがとうございます! >教典は釈尊の時代でも、浄土宗も日蓮宗も鎌倉時代にできた宗派であり、当時の視点で見ればともに「新興宗教」ではあります。 そう見るとなにか不思議です...。現代での新興宗教と言うと、あまりいいイメージはありませんからね...。当時はすぐに受け入れられていたのですかね.... 一番不思議だったのが南無妙法蓮華経の中になぜかキリストや神道まで、出てきてしまった友人の言葉だったのですが(友人はこの言葉さえ唱えれば、神道の神もつくから神社に行く必要は無い、と言い切ってました)全く違う宗教が合体する事なんてありえないですよね。。 ありがとうございました。
>「神道、仏教、キリストなどの全ての神を呼ぶから」 当方は無神論者らしいので(宗旨が「南無阿弥陀仏」のせいもあります)、神を呼ぶこと皆無です。 仏教は拝神の宗教でなく知恵(悟り)の宗教だ、とも思ってます。 それで無神論者呼ばわりされても、一向に平気です。
お礼
ご回答ありがとうございます! 私は神、仏は肯定もしませんし否定もしませんね...。 でも鳥居を蹴ってみろ、と言われたら出来ないので心の奥底は 解りませんが...。^^; 知恵の宗教、そうかもしれませんね。 ありがとうございました。
- notnot
- ベストアンサー率47% (4900/10358)
イスラム教徒は他の宗教は不完全か間違っていると思っていますし、キリスト教カソリックも現在は他宗教とも協調していますが、過去には他派を異端として火あぶりにしたりしてます。 ご友人は日蓮宗なのでしょうから日蓮宗が最高だと思うのは当然です。彼自身の中には根拠があるんでしょうけど、日蓮宗徒以外にはそれが見えません。 宗教・宗派の中にも他宗教や他派に寛容な宗教・宗派と寛容でないものがありますね。
お礼
早速のご回答ありがとうございます! そうですね、やはり自分が信じている物が最高だと思うのは当然だと思います。でも私はそれをおしつけてくる人はあまり好きではありませんね....(好きな人なんていないか...)^^; 宗教で戦争など起きないといいですよね。日本人は色々な宗教に対して寛大(これは神道の多神の影響でしょうかね....)で、私はいい事だと思います。(宗教観が無さすぎて良くないと言う方もいると思いますが。)海外よりは宗教で争う事が少ない様に思えます。 友人は日蓮宗、と言うより、魔除け、おまじないの様な感覚で 唱えている感じですね。 ありがとうございました。
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
どっちも似たようなもんでしょう。釈尊の教えは広大で深いため、ちゃんと教えを継いでいるといえる弟子は天台大師智と弘法大師空海の二人だそうです。彼らは霊能力もあったのですが、それ以降の仏弟子は、霊能力が無いので難しい釈尊の教えがわからず、イージな「○○を唱えれば救われる」って方向にいってしまい、「葬式仏教」といわれるように、教えを堕落させてしまったようです。 だれでも、「極悪な死刑囚が○○と唱えれば救われる」なんて言われれば不当だと思うでしょう?キリスト教でも、「懺悔すれば罪は無くなる」なんて考え方があるようで、アメリカでは、自分の妻と子供たちをピストルで皆殺しにして、その後、別人になって再婚して暮らしていたキリスト教徒がいました。犯行現場に残した手紙が懺悔のつもりだったのでしょうね。最終的にはTV公開捜査番組がきっかけで逮捕されましたけど。 ただ、戦国時代に釈尊の難しい教えを無知な農民に教えられなかったのも無理ないといえます。とりあえず「戦乱に苦しむ人々の心だけでも救いたい」という気持ちで「○○を唱えれば救われる」としたのでしょうね。 >>日蓮宗と浄土宗は共に仏教で、昔から在るものに優劣などあるのでしょうか..... ありますね。仏教に限らず宗教は「教え(悟り)」の広さ、深さ、高さと、実践力としての「人々を救済する力」という尺度があると思います。こういう尺度でみれば、どちらもキリスト教に負けているのは自明ではないでしょうか?
お礼
早速のご回答ありがとうございます! どちらも似た様なものですか....。一応南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の意味合い的な物は調べたのですが、やはり友人の言う様な根拠には辿り着きませんでした。 「神道、仏教、キリストなどの全ての神を呼ぶから」と言う言葉はやはり根拠は無いですよね?神道、キリストの神を全て呼ぶなんて、勝手のいい話ですよね。(どこで聞いたのか不思議です) 例にあげてくださっているキリスト教の話ではないですけど「唱えれば、(キリスト教でしたら懺悔すれば)救われる、幸せになれる」的な考えで友人は題目を唱えてる様です。(日蓮宗とは何か、を突き詰める考えは無い感じです) >ただ、戦国時代に釈尊の難しい教えを無知な農民に教えられなかったのも無理ないといえます。とりあえず「戦乱に苦しむ人々の心だけでも救いたい」という気持ちで「○○を唱えれば救われる」としたのでしょうね。 この時代の人たちにとってはこれが救いになっていたのですかね...。友人も同じく唱えていれば災いから逃れると思っているのでしょうか...。 少し話はそれました。^^私は信仰心は無いのですが、宗教を取り巻く人間の心理にとても興味はありますね。 ありがとうございました!
- kaoru2919
- ベストアンサー率28% (14/49)
私は、どちらが優れているということはないと思います。ようは、仏典のどこを信じるか、どこをとるか、だと思います。仏教と一口でいっても、たとえば、浄土宗、浄土真宗は阿弥陀仏を本尊におき、主要経典は浄土三部経です。日蓮宗は久遠実成本師釈迦牟尼仏を本尊におき、所依の経典は法華三部経です。宗派によって、本尊が違い、大切にする経典も違います。 数ある経典、仏の中から、開祖たちが「これだ!」と思ったものが使われているように思えます(すごく簡単な言い方ですが) なので、おのおの信じるものを、おのおのが選び、信じればいいかと思います。(すいません、いい加減なレスで)
お礼
早速のご回答ありがとうございます! >私は、どちらが優れているということはないと思います。ようは、仏典のどこを信じるか、どこをとるか、だと思います。 そうですよね。「信じる者は救われる」と言う言葉が在る様に、自分が信じて信仰すれば良いのですよね。ただ友人の優劣論が疑問に思ったもので...。 仏教と言っても色々な宗派があり、調べれば調べるほど解らなくなりますね^^;仏教に限らず、宗教全てに言える事ですが...。 ありがとうございました!
- 1
- 2
お礼
ご回答ありがとうございます。お礼遅れて申し訳ありません。 そうですね、何を信じるかは本人次第ですからね。 ありがとうございました。