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江戸時代の祭りについて

こんにちわ。 いきなりですが本題です。 江戸時代の町民の祭りには武家は参加してはいけないと聞いた事があるんですが、本当ですか? また、その頃の祭りや縁日等全般に武士やその家族は関わってはいけないんでしょうか? よろしければ回答よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • komes
  • ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.1

祭りは庶民の娯楽となっていました。 従って遊興に類する事は武士階級に無縁のものとされたのです。 この為遊里への立ち寄りは禁制で皆武士の身分を隠して遊ぶしかありませんでした。 平和が続いた後世ではこの禁制はゆるみましたが表向きは存在しました。 従って祭りには関係することはありませんでした。 武士に許されたのは能、能舞い、謡いなど武ばったものでした。

da-na
質問者

お礼

よくわかりました! 早くてわかりやすい回答をありがとうございました☆

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その他の回答 (1)

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.2

例外かも知れませんが、山王日枝神社の祭りは将軍上覧の祭りでした。 御輿行列が江戸城内に入るのを許され、大奥の女中どもの楽しみでした。  行列はおかぐら、太鼓、榊、騎馬神主、榊、神馬、小旗、一番御輿・・・計二十二の御輿が続く本格的なものといわれています。 敷地のなかに神社のある武家屋敷の中には、例日に裏門から庶民の参拝を許したものも多く、八千石の旗本生駒氏の金毘羅さまが最初で、有馬屋敷内の水天宮の縁日は大変な混雑で、賽銭や役人の売る御札などたいそうな実入りがあったと、「遊歴雑記」に書かれているそうです。 従って武士と祭りは無縁ではないのですが、江戸は喧嘩祭りといわれるほど荒いところもあったので、二本差しは遠慮したことは考えられます。

da-na
質問者

お礼

お礼が遅くなってしまって申し訳ありません! とても参考になりました。 やはり祭りにおいても身分によって別れてきてしまうんですね。 詳しい回答をありがとうございました!

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