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元始、女性は実に太陽であった。
婦人解放運動の宣言として、平塚らいてうが発行した文芸雑誌『青鞜』に掲載された一文「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。」をご存じの方も多いと思います。 ところで、この「元始、女性は実に太陽であった」というのは具体的に誰かを差しているのでしょうか? 私は“卑弥呼”だと勝手に思っていたのですが、具体的な人ではなく“人は女性がから生まれてくる。ということは誰にとっても女性は太陽のような存在だ”ということを言う人がいました。 「元始」の意味の取り方によって変わってくるのかもしれませんが、平塚らいてうは何をもってこの言葉を使ったのでしょうか??
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具体的には天照大御神であったと聞いたことがあります。 その一文を考えると、実際は天照そのものを差したというよりも 原始の社会では女性を太陽神とした=女性がそれほど輝き人の上にも立つこともできる世界 ってことを差しているのではないかと思います。 卑弥呼もその代表として実在した人物なのかもしれませんが。 要はそのような世界を 最重要な太陽神を女性に置いた日本の古代の信仰を通して指摘したのでは。
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なぜ婦人解放運動の宣言でこの一文を掲載したのか。 そう考えると、この一文の意味がわかってきませんか? 女性は元始、自らが輝く存在だった。これが太陽というわけです。 その後、「いまや女性は月である」という一文があります。 男性という太陽に照らされることでしか、輝くことの出来ない女性の様子を月に例えたのです。 ですから、この場合の女性は特定の人ではなく、女性全般をあらわしていると思います。
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ご回答ありがとうございます。 >この場合の女性は特定の人ではなく、女性全般をあらわしていると思います。 平塚らいてう氏の一文は全て読みました。 それを読んだ上で「元始、女性は実に太陽であった。」というのは具体的にいつの時代の誰を差しているのか?とうことを疑問に思い、質問させていただきました。 もちろん女性全般という考え方もあると思いますが、少なくとも「元始」と言っている以上、今の時代(当時)をさしていたわけではないと思います。
- komes
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原始宗教では太陽神を信じる事が多かったのと、女性を豊饒をもたらす存在として崇敬する事が多くみられます。 火を太陽の変身として崇敬する拝火教もあります。 これらの宗教にあっては女性は聖なるもので、従って太陽と同列にあるべきものとされる事がおおかったのです。 原始時代女性を神としその統治に従った例はおおくあります。 平塚さんの表現は特定の人を指すものではなく「そのような崇拝の認識が普遍的に存在していた」と解釈されるとおもいます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >宗教にあっては女性は聖なるもので、従って太陽と同列にあるべきものとされる事がおおかった なるほどそういった理由もあるんですね。 けっこうこの「元始、女性は実に太陽であった。」という言葉の意味って深いんですね。いろいろ勉強になります。 ありがとうございます(^^)
- kaZho_em
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天照大神ですね。 天照は女神にして太陽神です。
お礼
ご回答ありがとうございます(^^) 天照大神の名前はどうにか知っていたものの具体にどういう人物かまでは知らなかったのでウィキペディアで調べました。 なるほど納得です。 ありがとうございます!
お礼
ご回答ありがとうございます。 >最重要な太陽神を女性に置いた日本の古代の信仰を通して指摘したのでは。 みなさんの意見を総合的に判断すると、dancingfantaさんのこの一文に集約されているような気がします。 みなさまがたのご回答でいろいろなことを知ることができ非常に感謝しております。m(_ _)m ありがとうございます。