仏露協商とは、露仏同盟のことですよね?
露仏同盟の「発展」(?)とは、第一次世界大戦に至る欧州情勢の成立過程、と解して回答します。
ロシアは、ドイツとの対立を機にフランスに接近、1891年に「露仏同盟」を結び、ドイツと対抗しようとします。
イギリスもドイツと対立していたため、1904年に「英仏協商」を成立させました。
更にイギリスは、極東におけるロシアの南下を恐れ、1902年に「日英同盟」を結んでいましたが、日露戦争でロシアが敗北し、南下政策が失敗したため、ロシアと和解。共にドイツと対立しいていることから、1907年に「英露協商」が成立しました。
上記の、
1891年「露仏同盟」
↓
1904年「英仏協商」
↓
1907年「英露協商」
これら三つの条約から成り立った、ロシア、フランス、イギリスの友好関係を「三国協商」と言います。
それより前、1882年にドイツのビスマルクは、フランスの孤立化を狙って、フランスと対立していたイタリアを誘って、オーストリアと共に「三国同盟」を締結します。
オーストリアはやがてバルカン半島に勢力を伸ばそうとしますが、ここでロシアと対立するようになります。
この対立は、バルカン半島での戦争に発展し、ロシア側の三国協商とオーストリア側の三国同盟による第一次世界大戦へつながっていきます。
細かいところは省略しましたが、大筋の流れはこんな感じです。
この辺の国際関係は非常に複雑ですので、再度教科書やネットの検索で確認してみてください。