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スーダン問題
ダルフール紛争についてお聞きしたいのですが、ダルフール地域は元々非アラブ人(フール人)の地域でしたよね?そこにアラブ人がやってきて、水だの土地だのを争い始め、アラブ人が持ってきたイスラム教を非アラブ人にむりやり押し付け、内戦勃発でしょうか?間違っていたならすいません。そしてジャンじゃウィ-ドという民兵をなぜスーダン政府は支持しているのでしょうか?紛争の一から教えてください
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2番です。 >スーダン政府はアラブ人に肩入れしましたよね?それはなぜでしょうか? スーダンでは、アラブ系が支配民族ですから、政府を構成する人達がアラブ系だからです。 >この頃は非アラブ人の宗教はイスラム教ではなかったのでしょうか? スーダン南部の人は、キリスト教徒で、ダルフォールの人達は精霊信仰の伝統的宗教です。 そのため、ジハードの対象とされました。 >イスラム原理主義が南部のキリスト教の人々を無理やり改宗との事でしたが、ちょっとよく解らないので、最初からの宗教の経緯を教えていただきたいです。 現在のスーダンは、昔から現在の国境であったわけではありません。 イスラムのスーダンは、イギリス支配以前は、スーダン南部や西部を支配していませんでした。 現在の国境は、イギリス支配時にイギリスとフランスなどのヨーロッパ諸国間で決められた国境なのです。 ヨーロッパ諸国が引いた国境線は、現地の人達を無視した国境のため、宗教、文化、民族が分断される事となってしまいました。 スーダンも、北部のコーカソイド(白人)と、南部のコンゴイド(黒人)が混在する事態となってしまいました。 ヨーロッパ諸国は、キリスト教の布教を黒人地域で積極的に行ったため、南部の黒人たちにキリスト教が広がり、南部はキリスト教圏となります。 アフリカ諸国の独立時には、ヨーロッパ諸国の引いた国境線によって独立したため、スーダンでも南部キリスト教徒地区と西部伝統宗教地区がスーダンに組み込まれて独立します。 イスラム教穏健派が勢力を握っている間は問題なかったのですが、パレスチナ問題などで、イスラム原理主義が台頭しますと、スーダンは原理主義勢力が政権を握ります。 スーダンの原理主義は、マフディー運動の影響から、ジハードを最優先する原理主義であるため、南部キリスト教徒にも、イスラム法の適用を強制し、拒否した者をジハードの対象としたため、内戦に突入してゆきます。 (イスラムへの改宗を強制したのではなく、イスラム法の適用を強制したのです。) イスラムの占領地では、イスラムへの改宗を喜びません。 それは、非イスラム教徒にかける人頭税が、とれなくなるからです。 これは推測ですが、スーダン政府は、イスラムへの改宗を南部で試みたのではなく、キリスト教徒である事を理由に、イスラム法に従い重税を課したため、反乱が起こったのだと思われます。
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- nacam
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スーダンは、イスラム原理主義の国になっています。 スーダンのイスラム原理主義の中心となっているのは、マフディー運動の系統に属するイスラム原理主義運動です。 マフディー運動は、そもそもスーダンがエジプト(エジプトを支配するイギリスの間接統治)に対抗して始まった運動で、反エジプト、反イギリスの立場でジハードを宣言し、独立を一時成し遂げますが、その後指導者マフディーの死後エジプト、イギリス軍により崩壊します。 マフディーの考え方は、「ジハード」を最優先するもので、「ジハードに反する者のみならず、ジハードに参加しない者も、ジハードの対象とする」というものでした。 イスラム教徒に課せられたメッカ巡礼や礼拝以上にジハードが強調されています。 スーダン独立後しばらくは、穏健派が政権を握っていましたが、マフディー派が政権を握ってから、非イスラム教徒にもイスラム法を適用しようとし、南部のキリスト教黒人勢力と内戦に入ります。 南部キリスト教徒たちは、ケニアなどに本拠地を置き、20年にわたり抵抗を続け、数年前に和解すると、スーダンの目がダルフォールに向けられます。 ダルフォールの後ろ盾のチャドや中央アフリカが内戦状況で、支援できないため、ダルフォールでは惨劇が広がっています。 これは、マフディー運動の視点からしますと、ジハード(アメリカなどへの)に参加しない事(非イスラム教徒であっても)は、ジハードの対象となるという事に、まさしく合致する事なのです。 民兵組織は、略奪などの利益を得られますし、政権としては、国内統合のために都合が良いわけです。 南部スーダンの場合は、隣国ケニアやエチオピアなどが、比較的安定していたため、西欧諸国も支援できましたし、情報の入手もできましたが、ダルフォールの場合、隣国チャドの反政府組織の地域に隣接し、支援どころか情報も極めて限られたものになってしまっています。
- cozyskt
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補足
ありがとうございます、とても複雑ですね。ここら辺の話は。補足なのですが、スーダン政府はアラブ人と非アラブ人が水だの農産物だの土地だので争っているとき、アラブ人に肩入れしましたよね?それはなぜでしょうか?そして非アラブ人(フール人)が民族浄化されていきましたよね??また、この頃は非アラブ人の宗教はイスラム教ではなかったのでしょうか?回答者さんがかかれた、イスラム原理主義が南部のキリスト教の人々を無理やり改宗との事でしたが、ちょっとよく解らないので、最初からの宗教の経緯を教えていただきたいです。