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一般常識ですが・・・。

恥ずかしいながらも、第一次世界大戦・第二次世界大戦・太平洋戦争・真珠湾攻撃などがよく理解できていません。 どんな形で始まり、どんな事が起こり、どうなったのか・・・些細な事でも教えて頂けますか??

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  • kawakawa
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回答No.5

第一次世界大戦の直接の引き金となったのは1914年にオーストリア・ハンガリー皇太子がサラエボで暗殺されたことによりますネ。 オーストリア・ハンガリー帝国はハンガリーに対して宣戦布告をして征伐したかったところなのですが,当時の国際情勢を見ますと‥ロシア帝国の庇護下にあったセルビアには手をだせなかったのですネ。 そこでフランスにも勝利した強国であるドイツ帝国の助けを得てセルビアに攻撃を加えました。 そして,ロシア帝国はセルビアを守るために戦いに参加し,ロシアと同盟関係にあったフランスも自動的に参戦したのです。 これが第一次大戦の発端です。 第一次大戦では飛行機による攻撃,塹壕線という新しい戦い方,塹壕線に対抗するための戦車の開発,塩素ガスなどの化学兵器の開発と使用,塹壕線に有利なマシンピストルの開発‥といった戦争技術の目覚しい進歩が認められ,以後の戦争の形態を変えてしまったといえます。 大きな海軍力を持たなかったドイツはUボートによる通商破壊を積極的に勧めましたが,アメリカ船籍の船を沈めたことからアメリカの参戦をも招く結果となりました。 ロシアでは戦争中に革命が起こり(1917年),世界初の共産主義国であるソビエト連邦が成立しました。 日本は連合国に属しましたが,直接の戦闘行為に参加する機会はなく,青島などのドイツ軍を捕虜として確保しただけでしたが,ロシア革命の際にはアメリカの提案により,シベリア出兵を行い満州地区に軍を進めました。 ドイツ,オーストリア,トルコは敗戦し,特にドイツはベルサイユ条約によって天文学的な賠償金を命じられ,このことが後のヒトラーによるナチスドイツ誕生の下地となったのですネ。 第二次世界大戦はベルサイユ条約によってどん底に落とされたドイツによって発端が開かれたものです。ヒトラーが政権をとったころのドイツは倒産状態であり,パン一斤を買うのにリアカーに一杯の札束が必要というような恐ろしいインフレとなっていました。 元々ドイツの領土あった地域を含め,オーストリア(ヒトラーの故郷でもあり,同じゲルマン民族国家)を併合し,ハンガリーを初めとする地域を無血で得たナチスドイツは1939年にポーランドに電撃侵攻をします。それまで弱腰であったイギリスやフランスはそれに対して宣戦布告しますが,圧倒的な強さのドイツに負け続け,一時はヨーロッパのほぼ全域~アフリカ北部までがナチスドイツ第三帝国の領土となります。ソ連との友好条約を一方的に破棄したドイツは一時はスターリングラードを陥落するかの勢いで侵攻しますが,冬の寒さと雪・氷,そして,燃料不足によって撤退を余儀なくされます。 第二次大戦ではロケット兵器(V1,V2号),レーダー,ジェット戦闘機(ドイツで末期に開発されました)といった新兵器が沢山登場しました。これらは戦後の宇宙開発などの分野に応用されていますネ。 日本は日英同盟が解消され,反対意見も多かったのですが,日独伊三国同盟を結びました。 第二次大戦までに合法的に併合された朝鮮半島や台湾は問題なかったのですが,満州(中国東北部)に出兵した日本軍は泥沼の日中戦争を始めることになります。 中国軍は後に国民党軍と八路軍(共産党)とに分かれ,三つ巴となってしまいますネ。 関東軍(日本陸軍の満州派遣部隊)は独断で多くのことを実行しますが,ソ連軍との間のノモンハン事変ではソ連軍にこっぴどくやっつけられます。 アメリカは中国やアジアへの侵略を意図していたのですが,そのためには日本が邪魔でした。そのためにハルノートという最後通告を日本に提示します。 すべての占領地からの撤退と海外領土の放棄という,当時の世界情勢からすると信じられないような内容,つまり,事実上の宣戦布告を行います。 これを拒否した日本はABCD包囲網により,食料品も工業原料も燃料もすべての輸入がとめられてしまい,ハルノートを受け入れて自滅の道を歩むか,或いは,アメリカと戦争を行なうかの選択を迫られます。 これが太平洋戦争の引き金です。 真珠湾攻撃は当時の連合艦隊参謀であった神大佐が立案した作戦で,大鑑巨砲主義が世界の常識であった時代に航空戦力の優位性を信じてたてられたものです。 本来はアメリカに対して宣戦布告を行なうと同時に攻撃を行なうはずだったのですが,当時の外務省の怠慢により(この状況は60年経っても変わっていませんネ),攻撃後に宣戦布告を行なうという結果となりました。そのためにリメンバー・パールハーバーというスローガンによりアメリカが団結して対日戦線を開く結果となりました。この真珠湾攻撃についてはイギリスもアメリカも政府首脳部は事前に察知していたということは間違いないようですが,日本に先に手を出させるということを優先したために,極秘としていたようですネ。 日米が戦争状態になったことで,日独伊三国同盟を結んでいたドイツ,イタリアも自動的にアメリカと開戦することになります。 そして,枢軸国の全てがニ方面作戦を行なうこととなり,物量に勝るアメリカが主力である連合軍が勝利を収める結果となったのですネ。 ドイツからアメリカに亡命したアインシュタインを初めとする物理学者達は原子爆弾を開発し,アメリカはソ連に対する示威行為として日本に対して2回も使用しました。 ドイツの戦争責任についてはニュールンベルグ法廷で,日本の戦争責任については東京裁判で国際的な決着を見ています。 また,戦後の賠償や謝罪についてもサンフランシスコ条約で完全に終了してしまっています。 第一次大戦から第二次大戦にかけての教訓としては‥ 敗戦国に徹底的なペナルティを与えることは,後に大きな戦争を引き起こす遠因となるため避けるべきである。 相手が小国であっても,大国のエゴによる完全な経済封鎖は窮鼠ネコを噛むの状況を引き起こすことに繋がるので慎重であるべきである。 といったところでしょうか? なお,日本軍が捕虜に対して云々といったことがよく書かれますが,ジュネーブ協定を批准していなかった日本は,それに従う理由がなかったという背景を忘れてはなりません。 様々な場所での問題行為も議論の的となりますが,信頼できる史実(マスコミの手を経ていない,直接の当事者自身による当時の記録)を見て判断すべきことです。 ごくごく簡単に述べてみました。 以上kawakawaでした

その他の回答 (4)

  • shoyosi
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回答No.4
noname#201556
noname#201556
回答No.3

NO.1さんの続きです。 1917年、ドイツは連合国の物資運搬を困難にするため警告なしに船舶を撃沈する無制限潜水艦戦を開始しました。それまでアメリカは他の国(或いはその地域)には干渉しないという「モンロー主義」政策でしたの第1次大戦には中立でした。 ドイツのこの無制限潜水艦戦を契機に参戦しました。このことは連合国側に大変な有利をもたらし、同盟国側には絶対的不利となりました。 また、ロシアに革命が起き、大戦から離脱しました。同盟国のオーストリア、トルコ、ルーマニアなどが相次いで降伏しました。 さらにドイツ国内に反戦運動や内部対立が激化してドイツ革命が起こりました。ドイツ皇帝はオランダに亡命、その直後に生まれたドイツ社会民主党は臨時政権(ドイツ共和国)を成立させ、連合国との間に休戦協定(1918年11月)を結びました。 その後(1919年11月)パリのベルサイユ宮殿に於いて「ベルサイユ条約」が成立して第1次世界大戦が終結しました。このとき「国際連盟」が出来ました。しかしアメリカは「モンロー主義」をたてに参加しませんでした。 1929年の「世界恐慌」まで、世界は国際協調の時代を迎えました。しかしそれはつかの間の安らぎでしかありませんでした。

  • cliomaxi
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回答No.2

真珠湾攻撃は太平洋戦争に含まれ、太平洋戦争(大東亜戦争)は第二次世界大戦に含まれます。 この話は詳しく云うと切りがないので、皆さんの回答で、少しずつってのはどうでしょうか。

noname#2605
noname#2605
回答No.1

ドイツ、オーストリア、イタリア→三国同盟を結んだ。 イギリス、フランス、ロシア  →三国協商を結んだ。 ↑2つの陣営は軍備を増強しながら対立を深めていました。 1914年、オーストリアの皇太子夫妻がバルカン半島のサラエボで、セルビアの青年に暗殺された(サラエボ事件)のをきっかけに、オーストリアがセルビアと戦争をはじめると、セルビアを助けるべくでた三国協商と、オーストリアと同盟を結ぶ三国同盟との戦争がはじまった。この戦争は同盟・協商の各国の植民地でも行われたため世界的に広がり、世界34の国が参戦した。(第一次世界大戦) すみませんー。ここまでしか知りません。

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