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150年に渡る日米関係について(特に初期50年間)
こんにちは。 歴史がとても苦手ですが、今、インターネットで日米関係について調べていて、初めの50年間の日米関係は良好のような記述が多いのですが、どうしてそう思うのか理由が書いてなくて、色々と検索しても出てこなくて困っています。ご存知の方教えてください。
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最初の50年間は、日米の利害が一致していたから、友好的だったのです。 開国当時の日本は、富国強兵を急がなければ欧米に植民地化されると危機感を覚えていました。なかでも隣国の清や朝鮮が植民地化されれば地理上日本の防衛は不可能だと考え、イギリス、ロシア、ドイツ、フランスが清や朝鮮に進出するのを極端に恐れていました。 また、当時のアメリカは欧米の中でも植民地獲得競争に出遅れていて、国力もイギリス・フランスには適わなかったので、まだ植民地化されきっていないアジア進出を狙っていました。日本も当然狙っていたのでしょうが、開国要求をするなかで英仏ロシアも日本に接触し始めたため、各国と日本を奪い合うよりは国として認めて英仏ロシアの影響力をできるだけ抑える方が得策と判断したのでしょう。後に、フィリピンをスペインから奪ってアジア進出の拠点とし、広大な中国大陸に食い込みたいと考え始めます。 この段階で、日米にとっては清・朝鮮ができるだけ英仏ロシアといった列強に植民地化されずに、あわよくば自分たちがにとって重要な場所は植民地化したいという点で利害が一致したのです。 逆に、日清戦争、日露戦争までは日米の利害が一致したためアメリカも日本に好意的でしたが、日露戦争に日本が勝つことで、日本は中国への足がかりを得て、中国大陸に大きな利権を持つことになるので、アメリカの警戒心を買い、関係がここから暗転していったのです。
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- kodon
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1953年に黒船来航から日露戦争の勝利まで51年間はアメリカは日本に好意的に対処していたようです。その間アメリカは日本よりハワイ、やスペインとの関係に力を注ぎ日本をあまり重視していなかったようです。しかしまさか日本がロシヤに勝つなど、白人国が有色人種国に負けるなど予想外のことが世界で始めて起り、白人がどれほど驚いたか 日本人があまり知らないだけかもしれません。その時日米関係を最悪にする事を日本政府はやってしまいます。日本からロシヤとの講和条約の交渉におとずれて小村寿太郎帰国前に日本を訪れていたアメリカの鉄道王ハリマンとロシヤから得た南満州鉄道を共同経営を桂首相や井上、伊藤、渋沢栄一等が皆賛成していたにも関わらず小村の反対でハリマンとの約束を断る。それ以後はアメリカとの関係はどんどん悪くなり、日英同盟破棄から、ワシントン条約、ロンドン条約、で差別的な軍縮条約に 日本国民は反発している。今考えればアメリカの1/10しか鉄鋼の生産量 しかない日本が7割の戦力を要求しなくともよさそうなものだが、当時のマスコミは日本の工業力がアメリカの1/10などと国民には知らせていなかったようです。その後排日移民法で日本人の移民を禁止したり、移民した日本人の土地所有を禁止したり日本人を差別的に敵対する政策をとるようになります。この流れにアメリカ人中にも心配する人々がおり日本人の子供に人形を贈ろうと送ってきたのがセルドイド製の人形で全国の小学校に配られました。当時子供達がよくこのことを題材にした童謡「青い目をしたお人形」を歌っていました。しかし世界不況の影響で欧米はブロック経済になり、日本は貿易が出来なくなり、中国、満州へ 進出するがアメリカはこれに反発して最後には真珠湾攻撃までいってしまう。戦後解明されていますがアメリカの政府内に二百人以上のソ連の 工作員が潜入しマッカーシー議員が赤狩りをするまで活動していて、あの有名なハルノートはハル自身があのような文章なら戦争になるのは当たり前だと言ったそうです。ソ連の工作員はル-ズベルトにちかずき日本と戦争させることに成功し、原爆の秘密も盗み東西冷戦構造をつくりあげました。日本はソ連共産党の恐ろしさは知っていましたから治安維持法で対処しましたが、全く知らなかったのがシナの国民党の蒋介石と アメリカ政府要人でしょう。アメリカは日本を壊滅させたばかりにその後は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、湾岸戦争、イラク戦争と解決出来ないで現在に至っています。またアメリカは日本に勝って占領政策があまりにも旨くいったので、何処の国でも民主主義が最良の政策で過去の歴史に関係なく実施出来ると勘違いしているようです。冷戦は欧州では終わりましたがアジアでは終わっていません。北朝鮮、中国の二国が個人と党の独裁国でいつ攻撃されるか判らないのに日本人には危機感がなく、あるテレビのコメンテーターなどは攻められたら直ぐ降伏すればよいなどあきれた奴がいるしまつです。
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返事が遅れまして大変申し訳ありませんでした。 丁寧な回答ありがとうございました。 回答を読んでいて、大変勉強になりましたし、大変興味深いと感じました。 ありがとうございました。
- caesar-x2
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理由はですね。当時のアメリカは まだ列強には属していなくて 二級の、あるいは未開の国家だったという点で 明治日本と境遇が似ていたことと、 直接の利害対立が当時はなかったことですね。 (アメリカの)フィリピンやハワイの保護国化に 日本は余り関心を示しませんでした。 両国は友好的な貿易相手国であり続けたわけです。 また日本の初期の外交使節団がアメリカで珍しがられ、 ちょっとした日本ブームになったことも要因でしょう。 特に、文化面での好印象が、 政治外交にもプラスになったのは確かです。 それに明治日本は欧米列強を”教師”する態度が明確で いわば”良き生徒”として評価されたこともいえるでしょう。 当時、アメリカでは国内でネイティブの同化政策が進められていて、 黄色人種の教化して文明化できるという主張のお手本として 日本人が見られたわけです。 アメリカには中国人労働者も大量に流入してましたが 辮髪や言葉など中国人は中国流を捨てなかったのに対して 日本人は、頭の先からつま先まで欧米化(ギャグじゃなくて)しました。 不平等条約の修正にもアメリカが最も好意的だったのも こういった理由からでしょう。
お礼
返事が遅れまして大変申し訳ありませんでした。 丁寧な回答ありがとうございました。 その当時はとても役に立ちました。 その事実の見方によって様々に見えることがよく分かりました。 本当にありがとうございました。
お礼
返事が遅れまして大変申し訳ありませんでした。 丁寧な回答ありがとうございました。 利害関係で歴史は動くということを改めて認識できました。 ご回答を読んでいて、歴史は暗記ではなくて、人間と人間の物語だと感じました。楽しく理解できました。 ありがとうございました。