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吉備真備と神社広峯
今現在、吉備真備と神社に関して調べています。その中で、彼が遣唐使から帰った年に兵庫県姫路市の広峯神社が建立されています。こ神社の神様は帰朝の途中でどこかから持ってきたのですか? その辺りの史料や、いきさつをご存じの方は教えてください。
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神社の沿革・由緒というものは、古い神社になるほど神話を自分の都合のよいように解釈しているものが多いようです。 そこで、綿密な取材をされる司馬遼太郎氏の歴史小説「播磨灘物語」には、どのように書いてあるか調べてみました。 司馬氏は、姫路に縁のある人で「播磨灘物語」を執筆されるときに何度か広峰神社を取材されています。 神社の由来についての小説の一部ですが、吉備真備の名は出てきません。 「播州平野は、上代、秦氏といわれる渡来人がひらいた野で、奈良朝以後の日本史の感覚ではえたいの知れぬものが遺っている。広峰宮の祭神もそうである。 牛頭天王といわれる。日本の神名では素戔嗚尊となっているが、要するに韓神であろう。最初にこの野を田園にした秦氏が信仰していたものらしく・・」 ところで、広峰神社の古文書によれば、吉備真備によって白幣山(今の神社のちょっと北の山)に大社殿が創祀されたのがはじまりとされ・・・」とあります。司馬氏は、この古文書を当然ご覧になったと思いますが、採り上げておりません。 www.lib.kobe-u.ac.jp/products/hiromine/ ご質問の「神様は帰朝の途中でどこかから持ってきたのですか」については、広峰神社は多分認めていないと思いますが、吉備真備が備後から勧請奉祀したそうです www.fuchu.or.jp/~eguma/rekisi.htm 広峰神社のある山の南山麓一帯を今は「白国」と呼んでいますが、 『播磨国風土記』餝磨の郡に「新羅訓とよぶわけは、昔、新羅の国の人が来朝したとき、この村に宿った。だから新羅訓とよぶ。」とあります。 司馬氏が『播磨灘物語』で「要するに韓神であろう」と書かれたことは、風土記を参考に、この地域一帯には広峰神社ができるもっと前から、半島からの渡来人が居住していたからでしょう。
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広峯神社の「御柱祭」から探っては如何でしょうか。此の祭りは現在11/15日に行なわれますが、方位から見直します。参考URLにある円暦と言う暦盤を使って見ますと、11/15日の方位は中国に向かいます。 また其の逆方位には以下関係性は不明ですが、和歌山市内に向かい、聖天宮と大屋津姫神社、次に美里町の十三神社--龍神村--大塔山1122m--戸屋倉山530m--熊野灘に至ります。 次に旧暦時代の例祭日は10/15日に行っていた可能性がありますので、10/15日の方位に進んで見れば朝鮮半島に向かいます。また10/15日の逆方位には貝塚市の水間観音があります。 こうして暦と方位、関係先のご祭神が一致する所があれば色んな事が分かって来るものです。
- sudacyu
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広峰神社は、播磨の渡来人社会とのつながりが深く、吉備真備以前から信仰の場となっていた物に、吉備地方の土着の神・播磨の陰陽師の強い影響もあって、そのルーツがわからないほどです。 京都の葵祭で知られる八坂神社は、広峰神社から分祀したと言われていますが、平安の首都であった京都にある八坂神社の側では、当然(?)そのような記録はありません。広峰神社のほうにそのような伝承が残っているだけです。 参考までに。
- tiuhti
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面白そうな話題なので、ネットでちょっと調べてみました。 広峯神社と吉備真備を結びつけるのは、14世紀中頃の「峯相記」と18世紀前半から中頃の「播磨鑑」(播磨鏡ではない)という史料からきているようです。(参考URL) 吉備真備の時代からは、14世紀にしろ18世紀にしろ、間が空き過ぎている為、これはそれぞれの時代にそういう言い伝えがあったという根拠にはなっても、本当に吉備真備と関係があったという前提に立つのは、ちょっと難しいかと思います。(ウソだと決め付ける根拠もないが、真実と考えて論を進めるわけにもいかない。) 尚、牛頭天王信仰は、平安末期から江戸時代ぐらいまでかなり盛んだったもので、現在素盞鳴命が祭神になっていても、それは明治時代の神仏分離の影響で、元々は牛頭天王として信仰されていた神が素盞鳴命に読み替えられた例がたくさんあるので、現在の祭神がどうなっているかは、あまり関係はないと思います。
- tatsumi01
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ウィキペディァ(必ずしも信頼できないそうですが)によると http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%AF%E7%A5%9E%E7%A4%BE 祭神は素戔嗚尊・五十猛命となっています。 吉備真備の上奏により建立されたそうですが、祭神は出雲大社の系統ですね。