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我々は"放浪(者)"に何故憧れるのですか?

民族性の違いとかに興味を持っているのですが、適当なカテゴリーが見当たりません。やむなくこのカテゴリーで質問させていただきます。 "さすらい"の用心棒とか、我々日本人は、"さすらい"とか"放浪"というものにカッコよさを感じたり、憧れたりしますが、これは日本人特有なんでしょうか?また、"流れ者"となると、カッコよさはありませんが、悲哀の中に何か共感する感情が湧きおこります。何故なんでしょう? この感情は歴史的にはいつ頃発生したのでしょうか? 文学ではいつ頃、これについて語られたのかご存知の方いますか?

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  • lookfor
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回答No.2

こんばんわ。 私にも、強烈な憧れがあります。 家族からも、会社からも、法律や約束ごとからも、"逃れたい"という気持ちですね。 現代人のほとんどの人が心のどこかにそういう部分があるのではないでしょうか? ヨーロッパには、住むところを持たず、放浪を続けるジプシーがいますね。また、日本にも、古くから「サンカ」という山の民がいましたし、現在も存在されるようです。私は、その「サンカ」に興味を持ちまして、色々と研究いたしました。柳田国男民族学や小説では、五木寛さんの「風の王国」で紹介されています。 椋鳩十さんも小説で書かれていて、当時、随分受けたらしいです。 差別的な扱いをする著書も多いので、要注意ですが、一度、こうしたジャンルを読まれたらどうでしょう。「風の王国」では、明治になって、国家が全ての国民に戸籍を持つことを制度化したため、随分差別を受けられたらしいのです。しかし、誰にも迷惑をかけず、互助精神で山々を駆け巡る民族が、現在も、この日本に存在するとすれば、ロマンを感じます。 また、山頭火をご存知でしょうか? 放浪の俳人です。 でも、自由の代償は大きく、寂しい人生だったのだろうことは、想像に難くありません。 わずかな自由を求めて、人は、野に出かけ、登山をし、あるいは、旅をし、喧騒から逃れようといたしますね。ストレス解消のみならず、遠い、民族のDNAでしょうか? 明治時代以前にも、文献的には、きっと、そうした民のことを書いたものもあるのでしょうが、未熟なため、それ以上のことは知りません。 ご参考に。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。そうですね、時間が出来たら「サンカ」のことを研究してみたいですね。

その他の回答 (4)

  • aoaoao
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回答No.5

No.4です。 スナフキンとは北欧出身の作家が書いた物語ムーミンシリーズに登場する吟遊詩人のキャラクターのことです。 日本でも有名ですので、名前は知らなくても絵やアニメなど見たことはないでしょうか? スナフキンは定住をしませんが、とても人気のあるキャラクターで、主人公ムーミンも憧れる存在です。 この物語がヨーロッパで多くの人々に受け入れられ、スナフキンが人気だということは、 放浪者に憧れる事が日本人特有ではないという、わかりやすい例になるかと思い、書きました。

  • aoaoao
  • ベストアンサー率41% (94/228)
回答No.4

スナフキンなどもいますし、別に日本人特有という感じはしません。 定住生活する人間が、そうでない人に魅力を感じるということだと思います。 自分に無いものを羨む心理だと思います。 歴史的に言えば、人間が農業を始めた辺りから、あるのではないでしょうか。

0123gokudo
質問者

補足

スナフキンのこと知らないのですが、それは何でしょうか?

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

日本人は農耕民族ですから、「放浪」ではなく「定着」が基本的な生活スタイルということになるでしょう。 定着は生命の保存につながることになります。 保存というのは現状の維持が前提になるわけですが、元来死ぬべき運命にあるものを保存するにはそれなりのエネルギーを必要とします。 そのエネルギーの発露の過程において喜怒哀楽を体験することができるわけですが、本質的にはこれらも労力の結果に他なりません。 実際的には人は常に安定したいという欲求も無意識の内に抱えています。 安定とは、つまり死を意味しますが、これは人体を構成している元素に全てを帰すことであり、その意味で物質的(肉体的)には安定と言えるわけです。 精神は肉体に付随していますから、肉体が滅びると(本人の意識としての)精神も滅びます。 放浪は、基本的に生活の否定という要素があります。 生活の不安定はすなわち死、つまり肉体(及び精神)の安定を意味します。 生への欲求(保存)と死への欲求(安定)の拮抗が取れているからこそ人は生き続けます。 ただ、拮抗が取れているということは、元来人間というものが不安定であることの証明でもあります。 「放浪」は、この拮抗している(緊迫している)状態から抜け出して、安定のベクトルを目指す意思に他なりません。 遊牧民族であれば、「移動」により放浪に近い生活体験ができるわけで、憧れなどと生温いことを言ってはおられないわけですが、農耕民族にとっては泡沫の夢を見させてくれる絶好の対象として成立し得るということなのでしょう。 専門家では有りませんので歴史的根拠はありませんが、 どのような場合であれ、定着を余儀なくされた時点でこのような感情は兆すのではないかと推測します。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。やはり、定着に起因するのですかねえ。

noname#45918
noname#45918
回答No.1

人間は、アフリカで猿から進化し、世界に広がっていきました。 それは移動の歴史です。 より良い場所に行く、敵から逃げる、どちらもその先には可能性があります。 泣いている赤ん坊をあやすとき、一番いいのは歩くときと同じリズムで優しく揺らすことという実験結果もあるそうです。 移動は、人間の進化の歴史の中で遺伝子に刻まれた本能です。

0123gokudo
質問者

補足

しかし、移動の後は必ず定着しますね。未来永劫に移動し続ける民族というのはいないようにみえます。「定着」も人間の進化の歴史の中で遺伝子に刻まれた本能なんでしょうかね?とすると、ジプシーやサンカは定着に憧れているのかも知れませんね。

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