- 締切済み
ちょっとしたことでも自分が知らないことを知っているひとを凄い!と思ってしまいます。
自分が知らないことを知っている人は「すごい!」って 思うのですが、自分が知っていることを知らない人を 「なんでこれがわからないんだろう?」って思ってしまう 時があります。 例)人をすごいと思う場合 ・野菜をきることがうまくできないとき、包丁の握り方や 動かし方、コツなどを丁寧に無駄なく、応用が利くように 基本をしっかり説明してくれる人など ・自分がもっていない知識を持っている人 (自分がテレビの配線ができないのを電気屋さんが 簡単にする。=職業なので当然といえば当然ですが) 例)人に対して「どうしてわからないんだろう?」って思う場合 ・たとえば、「早起きするといい」と人から聞いていたがずっとできなかった。 けど、いざやってみると、食事もゆっくりとれるし気持ちにゆとりができて、 日中を活動的にすごせることをしった。 人に進めてみたけど、するするといってしない。 「どうしてわからないんだろう?どうして実際にしないんだろう?」 とか思ってしまいます。 ・仕事で整理整頓をしたほうが、書類を捜す時間が少ないし情報が整理できて 処理がスムーズにすすむよ、といっても、整理整頓をするより、探す時間を 浪費することを選ぶ人にたいして。 ・言われた仕事はすぐに片付けるようにしよう、そうしたら、急な仕事が入っても 手を開けていたら、その仕事にすぐに取り掛かれるから、あわてなくてもいいし 先方を待たせることもないよ、といっても、目の前にあるちょっとした雑用や仕事を、 ある時間、だらだらかけてする人にたいして 自分が知っていることを知らない人がいる時、心のどこかでは、 見下してしまっている自分に罪悪感を感じる時があります。 つい最近まで、自分もしらなかったくせに、とか、 自分も知らないことだらけのくせに、とか。 私って考え方が偏っているのでしょうか?
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質問者さまはお若いですか? お若いうちはそういうものです。 なんでも人よりできるということは「素晴らしい」と思うものです。 でもよく考えてみると、質問者さまの分析のように、誰だって得意分野 とか職業とかはできるものだし、できない人から見たら出来る人はすごい、というだけのことなのです。 私も20歳くらいまでは優越感や劣等感を持っていました。 が、だんだん、人間は皆同じようなものだと悟ってきたんです。 「出来ない人から見たら出来る人がすごく見えるもの」 「誰だって始める時は同じように素人」 年齢とともに、自分がスーパーマンではないという限界を悟るようになって、人を見下すこともなくなりますし、人も自分も対等に見ることができるようになると思いますよ。
- precog
- ベストアンサー率22% (966/4314)
偏ってますけど、そういう人は一杯居ますよ。ってか、偏ってない人はいないと思ってください。 相手が得意な事をやってもらって、苦手な事を引き受けてあげれば双方幸せになるんですけど、なぜか、自分の出来る事だけを他人に強く求める人が多いですね。 あなたの場合、教えてもらったら素直に感服出来るんですから、極端にプライドが高いわけじゃないんでしょう。 あんまり低すぎても行動がとりづらくなるんで、まぁ、ほどほどでよろしいかと。 ただ、わたしの場合、包丁以外は上から下まで全部あてはまりますね (苦笑) わたしはあなたの中ではどういう人に位置づけされるんでしょうね。興味深いです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >偏ってますけど、そういう人は一杯居ますよ。 >ってか、偏ってない人はいないと思ってください。 少し安心しました。 自分ができないことを簡単にする人を見ると→プライド(?)が低くなる 自分ができることを全く出来ない人をみると→プライドが高くなる このあたりのコントロールが自分でできなくて、もやもやしていたの かもしれません。ほどほどにしようと思います。
>自分が知っていることを知らない人がいる時、心のどこかでは、 >見下してしまっている自分に罪悪感を感じる時があります。 >つい最近まで、自分もしらなかったくせに、とか、 >自分も知らないことだらけのくせに、とか。 と思っているなら、まだいいんじゃないでしょうか? それに気づかないで自分の基準だけで生きている人だって大勢いるでしょうから。 「バカの壁」みたいなもので(あの本はちょっと解りにくかったけど ^^;) すごい!と他者の優れたところに感心できるのは良いこととして、 自分と違うことに納得が行かないときは、 自分だけを基準にしない。 人によって基準が異なる。 などを念頭に置いておけばいいのでは? でもある程度は誰でも「なんでそう出来ないんだ?」とか不思議に思うことはあると思うんですけどね。 「またやってるよ」「バカじゃないの」とか。 しかし、たとえば、朝型人間と夜型人間がいるわけですよ。 いくら一般論としては早起きが良くても、夜のほうが調子出る人にとっては無理してかえって不調になるかも分からない。 また、やりたくない人にとっては、あまり強く勧めたら大きなお世話だし。 夜ダラダラするのが楽しい人だっているわけで。 口で「やる」と言ってやらない人は、結局本当にはやりたくないんだと思いますよ。 意識しているか無意識にかは分からないけど、本気でやるつもりはないんです。 やって「良かった」と思っている人としては「やればいいのに!」と思うんですが、本人にやる気がなければ、仕方がありません。 よく言われることですが、「馬を水辺に引いて行くことは出来ても、水を飲ませることはできない」と。 馬なんて失礼かな。 では、アイリーン・キャディさんの言葉で「助けを必要としていて、助けてもらう準備が出来ている人しか、あなたは助けることができない」正確な言い回しは忘れましたが、望んでいない人・受け容れる気がない人には受け取ってもらえないし、今がその時期ではないなら、無理に受け取らせなくてもいいのだということ。 (本当は「ただ、愛を送りなさい」とかいう言葉が続くんですが、凡人だから私はそこまでは、なかなか) それに・・・・皆が正しいことをすんなり出来ればいいですけど、そうでもないと思いますよ。 私には出来ません。だらだらすることもあります。 勉強すればいいのにテレビを観ちゃうとか。 「わかっちゃいるけど」ってやつですね。 すべてをピッチリ出来る人がいたら素晴らしいものです。非凡です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >自分だけを基準にしない。 >人によって基準が異なる。 そうですね。そう思うようにします。ある事柄があり、私が優先度が 高いと思うことでも、他の人にとっては、それ以上に優先度が高いことが あって、自然と、そのことの優先度が低くなっている・・・とか。 おっしゃるとおり、「やる」といっても「やらない」「できない」のは 本当はする気がないということですね。 私も口先で要求しても、する気がないのをする気にさせるといった 相手の意識にまでは働きかけることはできないので、腹を立てるのでは なく、干渉しないようにしたいと思います。
- elton99
- ベストアンサー率33% (8/24)
mao0811さん、自分の内面と向き合っているのですね。すばらしいことだと思います。考え方が偏っているのではないか?と少し疑問に感じていらっしゃるご様子ですが、偏ってはいないと思いますよ。他人を見ていて「スゴイ!」と感じたとき、mao0811さんはその後どうされていますか?そのスゴイことがすぐにできるでしょうか?それと同じで、mao0811さんが、こうすればいいのにと相手に対して思ったことを、実は相手の人は「スゴイ!」と感じているかもしれませんね。だとしたらすぐにできると思いますか?人によって「スゴイ」と感じることは同じでしょうか?周りの人達を見てどう思いますか?「スゴイ」ことをそのまま「スゴイ」と感じることは悪くないと思います。それでいいと思います。自分ができて他人ができなくても相手がどう思うかは相手の自由ですから、相手がどう感じるかまでコントロールはできませんね。その辺をよく考えてみるとヒントになると思いますが、いかがでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 他人を見ていてスゴイ!と思った時、 お世辞であれば(本心で思っていなければ)わりとめんと むかって大げさにほめたりもすることもできますが (あまり媚びを売るほうではありませんが)、 本当にスゴイと思うほど、本人様には、おそれおおくて口にだせませんし、 (あ、これは↑趣旨をはずしているかも・・・) 真似をしようとしても「私には無理!!」という思いこみが先行しそうです。 ・・・そうですね、、確かにできないですね。 ですが、私の内心では、たいがいのことは、的を得た訓練をすれば、誰だって 何でもできるという考えがあって・・・ でも、的を得た訓練をする方法を根気よく探し、積み重ねるっていう決心や、 本人にとっての必要性(がない)の問題なのかもしれません。 =ある事象が私にとってはできて当然でも、相手にとっての実際の必要性が 低いからしないんだなぁ~と思いました。
- dream21
- ベストアンサー率22% (4/18)
誰かの事をすごい!と思ったら、誉めてあげたらいいですよ。 「さすが電気屋さんですよね~すごいな~」 「いやいや、これが仕事ですから」 「そうかもしれないけど、すごいですよ~」 「そうですか?えへへ」 とまあ、こんな感じにいい気持ちになってもらえそうですよね。 何かに感動できるって事なのですから、素晴らしいと思います。 反対に「どうしてわからないんだろう?」と思う事についてですが。 その人にとって、想像も出来ない世界だからなんです。 今までの自分でだらだらと過ごしてきた場合、 それから脱してだらだらしてない自分になるということは、 ものすごい不安感があるようです。 脱したことによってどんなに素晴らしい事が待ち受けていようとも、その人には想像できないので、不安を感じ、今のままであり続けようとしてしまうのだそうです。 「平凡が一番よね」なんて言いますが、まさにそれです。 たいした事でもないのにやってみようと思わない人は、今の自分が好きで、そのままであり続けたいだけです。 私は、自分や自分の大切な人の不利益にならない限り、「あ~~仕方ないな、この人は、、このままでいたいんだからなぁ~~」と思って、あきらめることにしています(笑
お礼
ご回答ありがとうございます。 「さすが電気屋さんですよね~すごいな~」 →1 「いやいや、これが仕事ですから」 →2 「そうかもしれないけど、すごいですよ~」 →3 「そうですか?えへへ」 →4 これを試してみます。1は言うのですが、2が帰ってきたら (そうかぁ、、そうだよね)と妙に納得してしまって、 後一押しの3が言えていませんでしたが、そこがポイントだったんですね。 勉強になりました。 「どうしてわからないんだろう?」という人は、おっしゃるとおり 「今の自分が好きで、そのままであり続けたいだけです」のようでした。 私は逆に、直せるところはなおして、少しでもよくなり続けたいと いった考えがある(裏目にでて自分を卑下していた時期もありました)ので、 そういった人を理解できない面があるし、自分が知らないことを少しでも知っていると 必要以上に「すごい!」と思ってしまっているんだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。私は31歳です。 自分ができることは、(訓練次第で)人もできる、 だから調子にはのらない、 人ができることは、(訓練次第で)自分もできる。。 だから卑下することはない という理屈は頭ではわかっていたのに、人を過大評価したり、 自己卑下してしまって、感覚が伴わずモヤモヤしていた時期が ありました。早く私も限界を悟り、本質を見れるようになりたいです。