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日本人の大部分が英語を話せない理由

日本人の大部分が日常会話レベルの英語を話せない理由として、学校教育に問題があると指摘する人が多いですが、本当にそうなんでしょうか? 学校の教育内容を変えることだけで、状況を一変することが可能なのでしょうか?

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  • merlionXX
  • ベストアンサー率48% (1930/4007)
回答No.3

ちがうと思います。 日本では別に英会話に堪能じゃなくとも何も困ることがないからでしょう。だって入試は読めて書ければいいし、外国人に物事を説明して何かをしてもらわなければいけないことなんて、外資系企業に入るか、外国人相手の商売をしないかぎりめったにないでしょ。 日本人も必要があれば話します。 Give me chocolate!Give me chewing gum! 今は昔の約60年前のことです。太平洋戦争敗戦後、占領駐留米兵のジープが来ると、親を失った子供たち皆で生きるため最初に覚えた英語を叫んでいたのです。悲しいことです。 外国語をペラペラしゃべるバイリンガルが多い国って、偏見といわれるかもしれませんが旧植民地であったり、外国にかなりの面を依存している国じゃないかなって気がします。 あとは、ヨーロッパ諸国同士では文法的に似通ってるから覚えやすいという面もあると思いますが。

62965098
質問者

お礼

ありがとうございます。 >日本では別に英会話に堪能じゃなくとも何も困ることがないからでしょう。 私もそれを感じています。 現状でも、英語を話せなければ仕事にならない人は、必死に勉強して、それなりに話せるようになっているわけですからね。

その他の回答 (18)

  • zaxx
  • ベストアンサー率39% (51/130)
回答No.19

学校で教える内容で実用に耐えないのは英語だけではありません。 国語も何年も教えますが、高卒レベルで10分程度のちゃんとしたスピーチが出来たり、まともな手紙を書ける人は何%もいません。 理科も何年もやりますが、原理的な科学現象(たとえば、リンゴは落ちるが月はなぜ落ちてこないのか?今日の天気はなぜ晴天なのか?)を科学的に考察し論理立てて説明出来る人も多くありません。 社会だって世界地図の略図が画けない人が多いそうで。算数も分数の足し算すら満足に出来ない大学生がかなりの割合でいると聞きます。 英語は実践で通じる通じないがはっきりするので目立つのです。

62965098
質問者

お礼

ありがとうございます。 >学校で教える内容で実用に耐えないのは英語だけではありません。 >英語は実践で通じる通じないがはっきりするので目立つのです。 なるほど。 確かにそうかも知れません。

  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.18

>日本人の大部分が英語を話せない理由 日本はとても教育熱心な国です。 英語の教育も盛んです。 ですから、みんな英語が話せる潜在能力は持っています。 ただチャンスに恵まれていないだけではないでしょうか。  誰でも機会に恵まれれば、すぐに上手になります。 しかし、子供の時にしっかり基礎を作っておくことです。 ですから、子供の時に基礎固めをするには、親が協力してやることです。 子供は自分の将来を見渡して、今これをやっておこうといった視野の広い長期計画は無理です。 目先の試験で良い成績を取りたいと考えるだけで精一杯です。  中学生の時にはこういう英語教育、高校ではこの程度といった長期計画を親が立ててやれば、子供は大きく伸びると思います。 そういう計画を立てられるのは親しかいません。 ですから、しっかりした親から英語の良く出来る子供が生まれてくると思います。 英語が出来ないのを学校教育のせいにするのは間違いです。 初めから学校にはそんな能力なんかありません。 親がしっかりしなくては、子供は語学に目覚めることはありません。  我が家ではこれまでに70人近い外国のお客様を迎え、ホームステイを提供しています。 子供の語学教育が目的です。 それも小さい時ほど効果が大きいのです。 家庭を開放し、外国のお客さんを迎えます。 子供たちに彼らの世話をさせながら、語学が自然に身につくように配慮して来ました。  英語の勉強は小さい時に始めると、上達も早いです。 子供の語学教育は家庭の理解が大事だと思います。 人は誰でもチャンスに恵まれさえすれば、いくらでも上手になります。 三才四才の頃から外人と接し、英語に慣れ親しんでいると、中学生になって英語を勉強し始めても、熱意が違います。 熱意が違うと、成長上達の度合いも大きく違って来ます。  お子さんの語学研修を学校に頼ってはいけません。 ご自分で責任を持ってやってやるのです。 親の熱意で子供は触発され、面白さに目覚めるのです。 学校の英語の授業は副教材のひとつに過ぎません。 学校はマスプロ授業ですから、お子さんの個性に合った教育など不可能です。

62965098
質問者

お礼

ありがとうございます。 >学校はマスプロ授業ですから、お子さんの個性に合った教育など不可能です。 その通りだと思います。

回答No.17

このカテで6年間日本の英語教育のおかげで毎年英語をしゃべれない「犠牲者」を作り上げていると言っているものです。 これは、教育自身が悪いわけですが、しゃべれない教員がどうやって生徒がしゃべれるように教えることが出来ると言うのでしょうか。 日本人の性格、風習など文化的なことも確かにあるでしょう。 また、学校だけでは出来ないことだから自分「も」努力してやるしかない、と言うもの事実でしょう。 しかし、それらはすべて「教えられる教師であれば当然のごとく教えるべき」ことです。  教えられないからこの結果になるのですね。 今まで何億と言う人が「少しでも英語がしゃべれたらな」「自分の子供には少なくとも英語が使えるようになってもらいたい」と思っていたことでしょう。 教えられない教師がいればその場で首にするのではなく「教えられるように指導」すればいいのです。 それでも出来なければ「民間事業」と同じように教壇を退いてもらうだけのことです。 日本の英語教育は「読み書き」を重要としている、という事をこのカテでも何度も見てきました。 まさかでしょ!と言うほかないです。 本当に日本人の「多く」と言えるだけのパーセントで「英語で読み書き」が出来る人(しゃべれなくても)がいるとは決して思えません。 なぜなら、読み書きが出来れば、簡単な「発音」教育でしゃべれるようになるからです。 しかし英文が作れないのであればしゃべることは無理だとしかいえないのです。 なぜならしゃべるには意識的にも無意識的にも英文を作っているからです。 文法にこれだけの時間を費やすのはひとつには試験が作りやすいと言う「怠慢さ」がこぼれだしているのも理由でしょう。 しかし、だからと言ってこちラン大学院の授業でも「討論」しないことまで、押し付けているわけですからこれじゃ学生の方も参ってしまいます。 それも文法でも「学校文法」と私が呼ぶ「英語を使えるようになるための文法知識」ではなく、いかにも何か覚えさせなくてはならないからこそ教えるもので「文法」と言う分類作業の結果に「問題点」が認識されるにつれ「文法更新」がいたるところで行われ、また、いろいろな学説・自己主張が出回り(私自身の文法に対する開始方法も含めて)、簡単に使えるインターネットに氾濫し文法と言う昔は一貫性に富んでいたので問題は少なかったけれど、今ではどれを・なにをしんじていいのかわからなくなってきてしまって来ているわけですね。 (試験をさせるがわからみたらめいわくせんばんなわけです) 英語商売は繁盛するにつれ参考書や問題集は「答えだけ」書いてあるだけでなぜその答えが正しいとされるのか説明してくれない、学校の先生も教えてくれない、それでは英語が出来なくなるのは「当然」ともいえるわけです。 もう少しはっきり実情を書きますね。 なぜ、そんなに英語圏の人を英語の授業にもってくる必要があるのでしょうか。 教えることの出来る先生がいれば必要のないことです。 少しくらい日本語なまりがあったっていいのです。 その英語圏の人だって「訛り」はあるのですから。(私はわざと「本家本元の英国人でさえイギリス訛りがある」と言います<g>) 学校の外でも自分で10分でも20分でも一日に英語を使えるようになるための自習をしたがるように教えることだって今の英語の必要性や応用性の高い時代においては意欲を持たせることはそんなに難しいはずはありません。 メートル法を政府がやると決めたときに行った改革を今から1年かけてみっちり教育方法を研究して(今まで何年かけて「教育学科」を作り上げてきたと言うのでしょうか)、小学生に英語を始めるなどという表面だけの「教育方針変更」ではなく、中学教育の充実さを高めると言う常識ともいえる考えが「浮かばない」のでしょうか。 今の犠牲者のほとんどはこの「中学英語教育」がなっていないと言うことなのです。 試験のための英語教育では点取り虫だけが育つのです。 人間が使う英語は中学レベルの英語力で十分なはずです。 単語だって、自己文法だって、使い始めればそれだけ拡張していくのです。 わざわざ丸暗記させ(テストのための一夜漬けも含む)て覚えさせたってどうせ使い物になるわけがないのです。 改革が必要なのです。 一貫性に富んだ改革です。 英語をしゃべれないお偉方がいくらがんばったところで「しゃべれない」「しゃべれるように教えることが出来ない」先生が改革的に増えるわけはないのです。 そうすると今起きているように、ばらばらの教育方法・方針が行われ、あるところでは教えることの出来る先生がいて、あるところではそう学生を教えると言うような一貫性がなく、不平等ともいえる教育になぜ日本人は立ち上がろうとしないのか私には不思議でたまりません。 自分の子供が「またもや」英語が何代も続けてしゃべれないような教育を受けているにもかかわらず立ち上がろうとしないのはなぜでしょう。 今これだけ英語の必要性が高まってきている中、今中学一年の学生が6年後にはまた犠牲者になっていくのです。 6年後の英語の必要性はどうなっているか誰にでも想像できますね。 英語を教えることが出来る先生に出会った人だけが英語力で自分の人生をより充実にさせることが出来るのです。 それもどんな業界でもです。 必要としないと思われた業界で今どれだけ英語が使われているでしょう。 どれだけ「自分ひとりしか英語がわからない」会社に勤め「得をしている」いる人がいるでしょう。  これだけ英語が「独学ででも」できるようになってきている人が増えてくれば、英語が出来ない人はそれだけ日陰の人間になってしまう日が必ず来るのです。 声がかかれば「日本に移住してもいい」とまで考えているGです。 と言うことで、6年間言い続けてきた日本の英語教育への批判ではなく「英語教育改革」「英語教育維新」への夢の中の30%ほど書かせてもらいました。 この機会をいただきありがとうございました。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

62965098
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#47281
noname#47281
回答No.16

教育内容を変えても状況は一変しません。英語を話せるようになるには、自分で特訓しなければなりません。音楽に喩えるなら、ピアノもギターも弾けないのは学校の音楽の授業に問題があるからですか?

62965098
質問者

お礼

ありがとうございます。 >自分で特訓しなければなりません。 それに尽きると思います。 教師が英語がペラペラで教え方もうまかったら状況が一変するというのなら、評判の良い英会話スクールに通えば大抵の人は英語を話せるようになっているはずです……

  • yakyutuku
  • ベストアンサー率14% (267/1890)
回答No.15

徐々に変化しているとはいえ、読解中心の授業に原因があると思います。ただ話せりゃ読めなくていいのかといわれると、理系の人間は英語のマニュアルや論文を読むことが欠かせませんので、一得一失だと思います。そこに目をつぶって英会話中心の教育に移行しようとしても、今いる英語教員のほとんどは英語がしゃべれないため、今の英語教員をどう首にするかという難問が立ちはだかります。考えるまでもなく当然のことですが英語をしゃべれないやつが英語教えても、英語をしゃべれるようにはなりません。

62965098
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.14

 会話に関する授業時間が短すぎるから、だと思います。  ある言語を話せるようになるために必要な時間は2~3000時間だといいます(諸説様々です)。ここでいう「時間」は、その言語に触れている時間で、外部からの入力がない状況での思索や夢の中などは含みません。  例えば必要な時間を3000時間とすると、英会話の学習に1日あたり2時間を費やしたとしても、4年以上かかる計算になります。日常的な思索を英語ではなく日本語で行うと、習得に必要な時間は倍近くかかるのではないでしょうか。  ところで、日本の中学・高校の授業時間数は合計でおよそ6000時間くらいですが(1日50分6時限×200日×6年)、このうちの1/3~半分を母国語以外の習得にあてるのは国を捨てる行為に他ならないと思います。  日本では英語の読み書きも教えていますから、英会話に割ける時間は更に短くなります(もしくは別に時間が必要です)。  英語を母国語として流暢に話す人の中にも、文盲(正確には綴りを知らず、調べる術も知らず、それらを気にしない人)が少なからずいます。先日のニュースでも see you を C U としか表記できない学生の話がありましたし、英語と米語、豪語では綴りが違うこともあります(発音も違います)。 閑話、  国語以外の授業が国語で行われるのは、全員が最低限国語の読み書き会話ができているという前提です。  ですから、小学校までを日本語ですごした日本人中学生に対し「数理社の授業を英語で行う」という某校の方針はエリート主義か錯乱しただけかのどちらかだと思います。 閑話休題。 >学校の教育内容を変えることだけで、状況を一変することが可能なのでしょうか?  はい。「大幅に」変えてしまえば、状況は一変します。  例えば国語(日本語)の授業をすべて英会話にしてしまうとかですね(これだと米国の51番目の州になってしまうようなものですが)。

62965098
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • Tourbig
  • ベストアンサー率35% (25/71)
回答No.13

教育の問題ではなく、日本人の特性による部分が大きいと思います。 日本人の多くは、完璧主義で、間違えを嫌いますよね。だから、間違った英語を話してはいけないと思って、英語で話すことに消極的になってしまうのだと思います。 20年くらい前ですが、ドイツの語学学校ゲーテ・インスティテュートでドイツ語を学んだことがあります。ヨーロッパの人やアメリカ人は、文法など理解しなくても、単語を並べて、どんどんドイツ語を話していました。一方、日本人は、間違ったドイツ語を話すのを恐れるため、なかなか上手に話せないのです。でも、ドイツ語文法のペーパーテストでは、日本人は高得点を記録します。現地の先生も、経験的に、こうした日本人の特性を良く理解していました。 英会話をマスターしたければ、学校教育のせいにしないで、自分で勉強すれば良いと思います。NHKのラジオやテレビで、英語学習のプログラムはたくさんあります。高校卒業レベルの文法力・単語力があれば、日常会話くらい簡単なもので、すぐに話せるようになります。 一方、リスニングは、そう簡単にはいかないですね。だから、日常会話が話せても、相手の言うことが聞き取れないので、会話にならないということはあります。けれど、これは学校教育の限られた英語の時間で身に付けることは不可能でしょう。 学校教育で、出来るだけ質の高い教育を行うことは望まれますが、そうでなくても、学校教育で不足する勉強は、自分で学ぶという姿勢が重要でしょう。

62965098
質問者

お礼

ありがとうございます。 >間違った英語を話してはいけないと思って、英語で話すことに消極的になってしまうのだと思います。 そういうことも一因になっていそうですね。

  • Agamemnon
  • ベストアンサー率20% (25/125)
回答No.12

日本語の文法の特殊性もあるんじゃないですかね。 英語などのラテン語系、中国語、韓国語などほとんどの言語は 主語+動詞+目的語 の形の文章になりますが、 日本語の場合、 主語+目的語+動詞 の形で動詞が最後に入ります。 日本人の脳には入りづらい原因かもしれません。

62965098
質問者

お礼

ありがとうございます。 >日本人の脳には入りづらい原因かもしれません。 発音なども、日本語はかなり異質な言語であると聞いたことがあります。 言語としての特殊性も、一因になっていそうですね。

  • Sweet_Pie
  • ベストアンサー率34% (42/122)
回答No.11

うーん、正直言って、 性格、価値観、などの社会的背景が一番の原因だと思う。 特に、シャイであること、間違ったらどうしようと思う性格、これらは非常に大きく多民族との差がつく点じゃないかしら。 たとえば、かなり昔でしたが印象的だったこと。 なんだったかな、バッテリーがdead状態になったときだったと思う、仕方ないので一番近い適当なGas Standに入りました。 で、いろいろ雑談している段階では、私がJapaneseだということを言ったりしました。 で、お金の話になったとき(見積もりというのですか)、それは高すぎる、もっと安くできるはずだ、とかいろいろ言ったら、 じーと私を見て、本当に日本人か? ときかれました。 もちろんそうだけど、なぜ? と聞き返したら、なんと、 日本人は、言われたままのお金を払う。値下げを要求するなんて、韓国人かchineseとしか思えない、といわれました。 と、、、。 こういうのって、、、あ、いや日本人でも大阪の人とかは違うと思いますが、なにせ、なんというか、なんでも了承的な姿勢、というの? それから、全世界の中で、英語は書けなくても会話はできる、という人のほうが圧倒的に多いと思います。 なぜって、会話は人間世界で最初に必要とされるコミュニケーションですよね、だから、かけないしスペルもぶんぽんもわからないけど、なにはともあれ、適当に話しするしそれなりに通じる、という民族は非常に多い。 日本人? なぜか? 遠慮的? というか、自信なさげというか? よくわかりません。 ゆえに、教育云々の前に、そうした、小さいころから自己主張の抑えられてきた(出る杭は打たれる?)民俗性のせいじゃないのかしら? 教育を原因とするのであれば、 ならえ右、的な、 同一の価値観を、マジョリティの価値観を持つことが正しい、みたいな教育を変えないと? こちらの教育が先じゃないかしら?

62965098
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • FJR888
  • ベストアンサー率23% (25/107)
回答No.10

英語教員です。 多くの大人は自分が受けてきたような英語教育がまだ学校で行われていると思っているようですが、公立中学校でも直接方で授業を行う先生は珍しくないと思いますし、いわゆるコミュニカティブアプローチもかなり授業に取り入れられています。 週数回ネイティブ教員による英会話の授業もやってますけど、やらないよりまし程度にしか変化はありませんね。 ニューヨークの移民が多い地域のESL(母語が英語でない生徒のための英語の授業)もいくつか見学しましたが、日本の学校英語がとりいれているのは多くは、このクラスの英語のやり方だと強く感じました。 このクラスで英語を学ぶ生徒は両親は英語を満足に話すことができず、日雇いのベッドメイキングやガソリンスタンドの仕事があればまだいい方という毎日を過ごしているために、「英語をなんとしても身につけて、大学に行かないと未来はない。」と非常に強く感じています。 いくら方法を輸入したところで、この外圧的というか内発的な需要を強く感じない限り、どんな教育を施してもなかなか効果は得られません。 ところが、いざ仕事で英語が必要となると、やはりみなさん必死に勉強するために、ある程度身についてしまいますよね。 日常会話というのをどのレベルと考えるかによって異なりますが、いざ仕事となると受験英語経験者なら、ごく短期間で身につけられると思いますよ。 ちなみに私はある程度きちんとした英会話力を身につけようと思ったら、いわゆる受験英語より何倍も過酷な勉強を強いられると思っています。 子供の言語習得のように英語が身に付くというのが一昔前に流行り、今でも信奉者は多いのですが、アメリカのいくつかの学校を見学してみると、私には夢物語のように感じられるようになりました。

62965098
質問者

お礼

ありがとうございます。 >いくら方法を輸入したところで、この外圧的というか内発的な需要を強く感じない限り、どんな教育を施してもなかなか効果は得られません。 もっともなことだと思います。 英会話学校に通っても、ほとんど成果をあげられない人が山ほどいるわけですから……

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