• 締切済み

昔大学の講義紹介で・・・・ 2

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=251675 ↑のつづきです。 ●この設問は哲学の初歩だと思います。  わたしは「命とは」を考える設問だと理解しておりました。  ひとつの命は地球より重い。  つまり他者の命を云々する権利など誰にもない ということ。  この設問にこうするべきだという概念を持ち込むことは命への冒涜です。  かろうじて 自分がどうするかを 答えることができるのみです。  良回答を得た回答は  まず その案にみなが賛成するかどうかわかりません。  その案で実行して もし生き残っても虚無感だけが残ります。  ひとの心のあたたかさや 謙虚さを表にだせないまま おわりです。  第一 命にかかわる問題をGAME的要素を持ち込んで処理しようという  スタンスがまちがっています。平等であればなんでもいい訳ではありません。  わたしの前回答は基本であり 他にバリエーションがあるのです。  ■10人のなかに 愛する人が居る場合。   栄養剤です。とだましてのませちゃいます。  ■10人のほかに 愛する人が居る場合。   こっそり自分が飲みます。  どんな状況を設定しても答えは簡単に頭をよぎる 哲学の基本問題でしょう。  皆さんの反論 ご意見 雑感 お待ちしてます。

みんなの回答

  • eidos
  • ベストアンサー率20% (5/24)
回答No.11

 命をどう受け止めるかが問われる所ですね。  前の設問から読むに、命がどのような質のものかについては問われずにきて ますから、話を振り出しに戻してみます。  つまりは「命」が何らかの物質のようなもので、ある寿命が来ると失われ、 やがて分解され、消えて無くなってしまうから、「命」は大切にされるべき だし、重いものだと主張されるのか。つまりは、生物として「生きること」。 これが命であって、それは「死」と共に失われるが故に、その死へと誘う病か ら救済される「薬」が貴重視され、設問通りであるとすれば、「生の為の唯一 の手段」=「薬」=「命」=「何よりも大事」という概念は果たして成立する のか。  といった所かなと思います。  まず、観てみますに、物質の生命はあきらかに失われる。そして、物質を 物質足らしめているのが、その生命であり、生命こそが本質であって、それ故 その本質を抜きにしては、その物質は成り立たない。  だから、地球という物質にとっても、人体という物質にとっても、ゴキブリ という物質にとってもその本質という面では等価であって、比較する事はでき ない。  がしかし、人間やその他、生物たちには「命」の他に「意思」がある。外的 環境から何かを感得し、その都度、「意思」によって行動を決定する。その為 生物の活動は一様ではなく、常に自然と相対してその容器である「物質」に命じ る事で、日々の活動を決定する。  意思の要求する「命令」。これこそが、意思そのものであり、もし、意思に 物質と同じ性質があるとするならば、その命令こそが意思の「命」な訳です。  先の設問は、「命」を問わない事で、パラドックスを生み出していると僕には 見えます。

  • kigineco
  • ベストアンサー率28% (30/105)
回答No.10

閉店間際かもしれませんが、少しお邪魔を。 パート1のご質問を読ませていただいたときに、 ふと、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出しました。 地獄の海でもがく主人公(かんだだ)が、この地獄から救われんとして、 釈迦が垂らした一筋の細い糸にすがりつく。 しかし、他の地獄囚たちも思いは同じ。糸を登り始めた主人公の下に、 われも、われもと群がりくる。 糸は主人公一人分の重みにしか耐えられない。 主人公は群がり登ろうとする他の地獄囚たちを振り落とそうと、懸命に糸を揺する。 その刹那、無情にも糸は切れ、主人公は再び地獄の海へと落ちていく。 この一部始終を見ていた釈迦。 一瞬、悲しそうな顔を見せ、蓮池のまわりを散歩する。辺りは何事もなかったのように、静かな世界に包まれる。 この物語を読んだのは十数年前、おぼろげな記憶ながらも、たしかこのような内容だったと思います。当時は、単に人間の愚かさを謳ったものだと解釈していました。 「回答へのお礼」のなかで、「気付かずに踏み殺してしまったアリに対し、すまなかったなという思いを持つ」と仰られていた点も、かんだだの場合はクモだったという違いはあれ、似たところがあるように思いました。 たとえば、かんだだなら、同じ地獄囚の中に愛する人がいたならどういう行動を取っただろうか。 いや、かんだだが必死になって糸を登ろうとしたのは、地上に愛する人がいたからなのか。 いろいろなことを考えさせられました。 ただ「私自身は」となれば、妙薬を手渡された瞬間、「これはホンマに効くのやろうか。効くのやったら、どうしたら同じものがつくれるやろうか」と、興味と好奇心がワクワク湧いてくるに違いないと思います。そしてそれを研究できる楽しみに、他のすべてのことを忘れるでしょう。 「他の人々を救うための研究だ」なんて大義名分は、そこにはありません。そんなものは一切関係がなく、ただ「同じものをつくってやろう」という欲望を満たすためだけに、懸命に研究するでしょう。 もし、同じものができれば、ちょっとだけ自慢をして、もちろんみんなに飲んでもらいます。「ちょっとだけ自慢」というのは、それができた時点で、私の興味は失せてしまって、多分、何の価値もないものになってしまうからです。今風の言い方をすれば、凝り性の飽き性ですから。 もし、やっぱり同じものができなかったら、そのままみんなと死んでいきます。だって、一回生まれたら一回死ぬのが決まりなんですからね。ただ、面白い興味が持てた充実の人生であったと思って死の床につくのか、できなかったことを後悔して死の床につくのか、それはわかりませんが。何事にも楽観な私は、多分前者であろうと思います。 雑感でした。

chihoko
質問者

お礼

●ロマン派の回答をいただくと ホッとします。  では わたしもロマン派で 回答し直してみましょう。  薬をいれた雑炊を作ります。絶対みんな助かる。そう信じることが  できるまで何回も何回も「みんな助かる」とこころで暗示をかけます。  ほんとうにそう思えてしまうまで不眠不休で続けて。  ふらふらになって「みんな たべて きっと直るから。」  と言って食べさせます。  わたしの真剣な料理「雑炊」を みなさんたべてくれるでしょう。  全員死にますが わたしの治したいというこころは 伝わるでしょう。  (注意:薬のことは決して言ってはならない。全部食べたがる人が出る可能性  がありますので・・・。)  自己暗示による 不安軽減の自滅です。  ご回答ありがとうございました。

  • _hiroya_
  • ベストアンサー率5% (2/34)
回答No.9

>わたしは わたし自身をも愛しているけれども  愛する対象のために 自分を引くということです。  当たり前。それ自然だよ。おれは自然じゃないかもな。が、おれも自然かもな。   >趣味の違いなど関係ありません。  あたりまえやん(笑。まじ突っ込むとこちゃうで。スルーせな。乗り突っ込みか、スルー。おぼえとき(笑。でも、山派とかあたっとーやろ?(笑。  >わたしの行い以上に他者の命に干渉しない回答は思い当たりません。 じゃなに?倫理とかはダメなん?最後頼むわ。これだけ応えて。 ・たとえば、命に干渉するとはどうゆうこと?ガツンとゆうたって。俺に。 >命はなにものにも侵されない とりでです。 君の目には、命は物質的な面しか映っていないかも感が、俺ン中でけっこうある。 物質的生の側面というかな。 侵されないとりで。干渉できないってことだろ?じゃ、心配要らんやん。 命は流れ「そのもの」。それを断つことなど、しようがない。流れている水は、断つことはできる。が、いかにして流れそのものを断てよう。それは流れているのだ。なんつって(笑。 冒涜しようがされようが、それは流れていく。    ・ただな、何故冒涜なのかという所がな、突っ込まれたらなんてゆうん? 侵されないとりでは、冒涜もされえない。のとちゃうの? それとも、それは意識の問題であるから、命の物質的側面はそれに屈するとでもゆう? >あなたは あなたを生きればいい。 おれは、おれを、生きない。冒涜かな? 俺なんてすでに無いから。これまじでな。只生きる。そうするわ。よく生きる。そうするわ。おれじゃなくて、命が流れる。生そのものが、生く。生が生きる。 俺が生きるんちゃうねん。命が生きんねん。それが俺か、ちゃうのか、俺にとってはどうでもいいこと。なんでもいいぜ?只生きる。 世界まじ。マジ世界ですよ。フツーの感覚が大事というけど、俺もフツーの人やで。おもいっきし。そう思うやろ?今時こんな十代、おらんで、ほんま。少ししか。(笑。っていうかメタルスライムやん(笑。レアモンスターやで? 君は、君を、生きればいい。なんて、君にはいうまでもねぇな(笑 今時、ちょい面白い人と話できておもろかったわ。でもな、俺らはもっとおもろいぜ?(笑。あーーーー。あ。じゃあな。又くるわ。ちょっとしんどい。生活狂ってもたから(笑。

chihoko
質問者

お礼

>倫理とかはダメなん?最後頼むわ。これだけ応えて。 ●倫理とか道徳とか人道とか人権とか 既製の概念にまどわされては  いけません。あくまでも あなたが考えなきゃだめです。  わたしは「ひとの道」という概念を持っています。  「ひとの道」とは言葉であらわしては いけないものです。  でも ああ今自分は「ひとの道」の上にたっていると はっきりわかります。  それが「ひとの道」です。例えばこころから友達の成功を祝福したとき。  困っているひとを助けてあげたいとおもったとき。  お年寄りが 涙が出るほどかわいそうだとおもったとき。  「ひとの道」をどうしても言葉にしようとすると  たとえば「憲法」になります。  第25条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。  2  国は、すべての生活部面について、社会福祉、  社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。  卓越された普通の感性のひとつの例でしょう。 ●命を「砦」にしなければ わたしたちも地球上のすべての命も  その存在の「よりどころ」は無くなります。  よりどころなんて必要ない そんな人はそれでいいでしょう。  しかし わたしはわたしなんだ わたしをわたしのままでいさせて。  そう願う命のよりどころは 他者の命を侵してはならないという概念でしか  まもれないのです。その概念でしか自分の命を守る手立てはありません。  ご回答ありがとうございました。

  • mcqgogo
  • ベストアンサー率25% (19/75)
回答No.8

たまたまあの設問で良回答マークが付いたのでここに登場しました 僕が考えたことを説明します お察しのように、人は限りなく平等という前提にたった時に出せる解が、自分にとってはあれだったのです。 なぜ前提をそこに置いたかというと、今ここで行われているように状況設定は限りなくあり、それを網羅することは不可能で抽象化する必要があったからです。 そしてもろもろの状況はその時になって初めて出てくるので、そのために話し合いの場を設けることことを条件にしたのです。 そのことも含めて決定権をもつ者は、切札としての公平な分配法も必要だと思ったわけです。 くじ引きにしなかったのは、あのようにすることでそれぞれの人が一時的にせよ生きることに対しての希望が持てるからです。

chihoko
質問者

お礼

●アイディアとしては とても良くわかります。  ただmcqgogoさんのそのアイディアが出された時点で  わたしは 偽か本物かわからない薬を飲むことを  棄権します。また あなたは誰かに脅迫される危険や  殺される危険がある手段を選んだのだということを  認識するひつようがあります。  ご回答ありがとうございました。

  • _hiroya_
  • ベストアンサー率5% (2/34)
回答No.7

ちゃうんやって。趣味がな、あわんねん。 「セロリ」いきまーす。 「育ってきたー環境おーが ちーがうーからぁ~♪ 価値観は否めない!」 「ましてーやおとーことおんーなだーからぁー♪ すれ違いはしょうがない!」 「古風なトコあったり、セロリが好きだったりするのね?」   俺、さっそくセロリ、嫌いです(爆。においがな。どうも無理なんだよ。 わかる? おれ海派。彼女山派(たぶん)。 一緒なとこ、エロいとこ。それぐらい。たぶん音楽の趣味も合わんはず。 そうだろ?君なに聞く?おれ山崎将義。あとビリージョエル。有名なのはそこらへん。サニーデイサービスとかしらんだろ? ま、そういう趣味の違いがあって。。次。   こういう命に関する哲学問題でな、 その意見のきこえがな、 「私の人生は綱渡りです。他に構う余裕などありはしません」 って感じに聞こえるんだよ。それで、謙虚を、自分の小ささをアピールできているが、なんかな、フェイクを感じるんだよ。 ほんまに綱わたってンの?みたいなな。足に磁石ついてんのと違う?みたいな。 で、自分の綱渡りで手一杯なのに、人にどうこういうのはおせっかい。ジャマしてるだけ。っつうんだよ。たぶん。 人のこととやかく言う前に、みたいなな。 空を飛ぶ人がいるってことが、彼女には信じれない。 おれは、信じれる。アニメ見て育ったからな。 現実を見ろっつって。 おれがみるのは夢現。 そのちがい。別に、口が荒いのはいいんだよ。それはそれで楽しいから。   一致しそうで、してないのが、 存在に対する姿勢。愛。 おれは、無い事であるからな。 君は、あるものはあるんですよ。 ってかんじだろ?ここがな、ちょいと違う。 命だっておれは無いという。まじで。 愛の姿勢は一致するかもしれんが、対象がな。 彼女は対象がある。おれは無い。 だから、チョイ違う。 このパターンではな、俺の国と彼女の国では戦争は起こらないんだよ。 おれの国には守るものが無いから。 君の国にはあるだろ? それはそれでいい。おれもおれでいいだろ?どう考えても。 自然環境をどうにか復活、自然環境に無茶しないようにしたい、させたいという意思はおなじようやけど。愛の対象のところでな、チョイ違う。 おれが思うのはそれぐらいかな。 コレは、よゆーで質問に対する助言とさせてくらはい。

chihoko
質問者

お礼

●命はなにものにも侵されない とりでです。  命が議論される(愛によってでも)こと自体 命への冒涜なのです。  ただしこの議論(冒涜するな)は冒涜ではない。  あなたは あなたを生きればいい。  わたしは わたし自身をも愛しているけれども  愛する対象のために 自分を引くということです。  趣味の違いなど関係ありません。  わたしの行い以上に他者の命に干渉しない回答は思い当たりません。  これが わたしの望むところなのです。  ご回答ありがとうございました。

  • ebinamori
  • ベストアンサー率21% (96/439)
回答No.6

なんかもう良いみたいですけど私が気になるので書かせてもらいます。   権利って何気なく使っていたんですけど、辞書で調べて初めてなんとなく分かりました。(ある利益を主張し、これを享受することのできる資格) >もともとその薬に 他の人たちは権利がないのです。  上のに当てはめると利益は間接的には生きることですよね。薬を享受することのできる資格?それで今度は資格を調べると「一定のことを行うために必要とされる条件や能力」これで「薬があることを知っている」という条件を満たさないので権利がないと言うことですね。他にも満たさなければならない条件がありますか? うーんこんな簡単そうな文章なのに奥が深いですね。(ただ自分が無知なだけですが) おもしろくなってきたんで気になるところ全部やってみようと思います。 >愛する人に薬を飲ませて 他の人に知らせないことは 他の人達の命に干渉していることには なりません。  まず干渉ですよね。「他人のことに立ち入って、口出しをしたり自分の考えを押しつけようとすること。 」  他人のことに立ち入るとは生死の問題ですよね。でも、自分の考えを押しつけようとするというのは  知らせないということを押しつけてませんか? 知らせないと言うのは権利を発生させるかさせないかをあなたの考えで決めているのではないですか?と言うことで干渉してることになりませんか? でも、恋人に薬を飲ますことも干渉していることになるんですよね?(上記したことが正しいとするのならば) 心中するという事を話すことに対してまさにその通りだと思います。一緒に死ぬことを強制させるようなもんですもんね。ということはよっぽど心が一つの(あり得ると思えませんが)人間とでなければ心中できませんね。進んでやることないですけど。 自分なりによく考えたつもりですけどなにか矛盾点があったら教えてください。 (質問者に質問するのはおかしいですけど話し合いたいようなので) 余計なことだというのは分かりますがchihokoさんとhiroyaさん「ハネた女子高生」や「ご都合哲学者」とか書かないでください。 意味がないと思います。 わたしもふつうに書いたつもりですから皮肉は含まれていませんからね。 (今までの文章の中にそれを感じるのならそれは私の文章力(国語力?)のなさです)

chihoko
質問者

お礼

●愛するひとに薬を飲ませるということは 干渉していることです。  しかし 愛するひとの命に干渉してはいません。わたしが言っていることは  後者をしてはいけませんよ。といっているのです。  愛するひとは死にたいといっているわけではありません。  普通は生きたいものでしょう。それを生かしてあげてるんだから命への干渉では  ありません。(大切なのは普通の感覚です。)理屈ではありません。 >知らせないと言うのは権利を発生させるかさせないかをあなたの考えで  決めているのではないですか?と言うことで干渉してることになりませんか?  ●権利もない知らない者に 知らせないことは あなたの言うような意味では  かかわりにあたるでしょう もしくは 単なる関係です。  しかし ここでわたしが述べているのは命への干渉です。  薬の権利の無い 死ぬ運命の者に 薬の存在を隠して死に至らせることは  罪の意識があっても 命への干渉ではありません。  罪の意識は 愛で打ち消されます。  ご回答ありがとうございました。

  • _hiroya_
  • ベストアンサー率5% (2/34)
回答No.5

なに?怒ってんや? 頭オープンリーチか?(笑。 うそうそ。ま、おこるな。君が怒るようなことゆってないだろ?おれ。 >自己犠牲を「良し」とするひとたちに・・・ 俺は犠牲じゃないんだよ。なぜなら、俺の捧げるものは、自分じゃない。全てだ。だから、犠牲じゃないし、失われるものもない。良くもないし、悪くもないよ。 そうなだけだ。どうしたん? >死ぬために用意されたポジションです。 そうそう。俺は死に続ける。みんなのうしろにな。俺は死ににきたんだよ。死ぬ事で生きる。死に対して嫌悪感を抱いているように見えるが? >自己犠牲は美しく ありませんよ。 君は美しければええんか? おれはいやだ。君の言うとおり、俺は真っ先に死のう。俺はな、人の後につくんだよ。なぜなら、今生きている人は、生きながらに死んでるから。俺がなんでしんがりになってるか。それが、俺にできることだからだよ。おれはたぶん、最後の人間だよ。皆もな。俺にできることだ。 あなたがた 真に心配すべき事など 何も無い。 なぜなら、しんがりがいるからです。ほんとだぜ? >お礼など言われたくも ありません。 なにこれ?君の質問やろ?(笑。いいたくないってこと? まぁ、ええわ。よーわからんが。なんでもええわ(笑。 あとおれは、なんでもねぇぜ?哲学者でもない。 >己の命の残虐性を  反省していただきたいものです。 まぁな、男は一回オナニーして、3億の命を水のない所に放たなきゃならんからな。ただな、残虐性というけれど、喰われることに、充足があり、小さき者が、しらずに踏み潰される事で、なにが妨げられ、何が失われるというのですか? なんにも失われねぇよ。命は、流れてるだけだから。 俺は君と心中できるぜ?(笑。 元気だしな。   命は捧げられたものであり、それを自分の命というには私にはできない。 命は捧げられたものであり、また、捧げるものです。 あなたがた。私。流れの粒子たち。粒子を持ち続けていて、流れますか? ながれます。なぜなら、持っている私達もまた、流れの粒子だからです。 だから、もう、もつのはやめなとはいわない。命もだ。持っててもいい。 ただ、それは流れている。流れを持っているという事を知っておいて。 流れを持っているのです。流れの粒子とはそういうものです。 あとな、勇気はもっていて始めて役に立つ。 だから、勇気はもっときな(笑。 >わたしを たべたときは お礼を言うのではなく 己の命の残虐性を  反省していただきたいものです。あなたのような ご都合哲学者に  お礼など言われたくも ありません。   いみわかった。そういうことなん?俺に喰うてほしい?(笑。うそうそ。 あのな、詫びいれて、反省しましたっつって、それでなに、ゆるしてもらうん?そらむりや。もらった命は命で返せ。 それに、毎日食事の時に泣くん?それはまじりっぱな食事だな。いいもんだ。   かえるが蟷螂食べる時に、「ほんまごめん!」とか「ああ、俺って残虐ぅ。(泣」 なんて、言い訳して喰うか?くわねぇよ。「ありがとう」って喰うか?喰うわけねェ(爆 彼らは、無言で、命を得、命を返す。 それは犠牲じゃない。命は、得たり、失ったり、するものじゃないんだよ。ほんとは。捧げたり、捧げられたり、するものじゃないんだよ。ほんとは。流れてるだけだ。 人間だけだぜ?命をもらって、俺のだって意固地に「言い」はるの。 そんなに自分の生がおしいのかよ。くだらんわ。そのくせ、「うっかり落としちゃった」とか言うんだぜ?(爆。死人も口ぐらい聞くかもな。生前の勢いで(笑。 生きることは、しがみつく事じゃない。 あるがままであるという事だ。あんたがいってるんじゃねぇか。 命を軽んじてるんじゃないよ。おれは。あんたの言いたい事は、わかってるつもり。それをふまえて、俺の言いたいこといってるだけだから。 ねぇさん?(笑、自分のために生きろと言われて、生きれない人もいるんだよ。 それくらいわかってくれ。それが本質的でないと、誰に言える?

chihoko
質問者

お礼

●アリを知らぬまに踏み潰した時。なにもできません。  踏み潰した時 「わるかったなあ。」と思えるのが 人の道です。  牛を食べる時 そのつど残虐性を反省しないでしょう。  オイシー!でおしまいですよ。いただきます。(おいしそう)  ごちそうさま(おいしかった)です。  でも ときどきかんがえる うしさんを殺してたべているんだなあ・・・と。  うしさんの分もいきてるんだなあって。  どういうふうに 考えていきるのが一番 いけてる流れか  それが わたしの基準です。  心中はもちろん 命にかかわる事柄を他人にどうこう言うのは 悪です。  そのひとの命はそのひとの命として 尊重されるべきです。  ご回答ありがとうございました。

  • _hiroya_
  • ベストアンサー率5% (2/34)
回答No.4

えらいおきらくやな。 >>君と心中した方が幸せかもしれない。  >他者の命をトヤカク考察する権利は親とてありません。 あんな、心中した方が幸せかもというのと、他人の命の考察の権利と、どう関係すんねん。深く愛し合ってたら、極限状態(精神的にであろうが肉体的にであろうが)で心中したいと思うのは当然。共感はできるやろ?そんな思いしたことあんのか? 親子にしてもな、親は子どもの幸せを考えて、子ども育てるやろ?それは他人の命の考察か? 親の自己満足ちゃうの?親の子を思う気持ちは本物だろうが、そのこの幸せのためにできることなんて無い。でも、親は子の幸せを思っていろいろするだろ?それは自己満足だよ。ただのな。他人の命の考察とかの問題じゃない。親にできるのは愛する事だけ。人間にできる事はもしかすると、愛することだけかもしれないな。 >こどもはなぜ自分が助かったのかすら知らずに生きるでしょう。 そんなんわからん。 生かすことも、死なすことも、生きることも、しぬことも、命だ。 生きてることだけが命じゃねぇよ。 命はな、他の命と関わって生きるんだよ。一つ命を取り出して、どうやってそれが輝けるねん。一つの命は一つの命でできてるんじゃない。なのに、いかに「他人の命、自分の命」と、とやかくかたれんだよ。 それはな、絡まった一本の釣り糸の様であり、様々模様の織物でもある。一本の糸が、考える事を得た。だからといって、他の糸のあり方を考察するのが冒涜とはならん。他人の命の考察は命に対する冒涜って、そんな簡単に、人間の考える涙がぬぐえるとは思えんな。こういう問いを考えずにはいれないという事は、結構苦しい。 >牛を殺して食べても罪の意識が残ります。でも 自分の身体への愛により  その罪の意識を乗り越えているのが わたしたちの現実です。   それはただのエゴイストやろ?自己愛のためには何でもってな。自分の注ぐ愛の対象のためにはなんでもってな。なんやねん。命の冒涜?ようゆうわ。 牛を食うときはな、その牛への愛でそれを乗り越えるんだよ。すべて命への愛で乗り越えるんだよ。ごめんなさいごめんなさいって謝罪して喰うんじゃねぇ。 ありがとうありがとうって、「感謝して喰え」 俺が食われるときは、感謝して食われよう。それは自殺じゃない。他殺じゃない。 命が流れた。それだけだ。 生きることは辛い事だ。生きることは素晴らしい事だ。 何時までもがめつく生きようとしてんじゃねぇ。 命は誰のもんでもないんやで。

chihoko
質問者

お礼

●あなたの ような 自己犠牲を「良し」とするひとたちに  いまの ひとたちは支えられているのでしょう。  そういう考え方もあるとするくらいが ほどほどというものです。  あなたのようなひとが なにかあると 真っ先に死ぬ方です。  警官隊の突入 軍隊の白兵戦での「しんがり」 戦術として  死ぬために用意されたポジションです。自衛隊幹部の方とお話したとき  そのように伺いました。  自己犠牲は美しく ありませんよ。  それぞれが エゴを認識して はじめて「恐れ」を知り。  他人・他者・自然の 領分を侵してはいけないことに気が付くのです。  わたしを たべたときは お礼を言うのではなく 己の命の残虐性を  反省していただきたいものです。あなたのような ご都合哲学者に  お礼など言われたくも ありません。  ご回答ありがとうございました。

  • ebinamori
  • ベストアンサー率21% (96/439)
回答No.3

なんかchihokoさんは話し合うということに重きを置いていない気がするんですが 話し合いをすることが無駄だからですか? 相手を生かせる場合をのぞいて心中しようと思ったときそれを相手に話してやれば良いんじゃないですか? それで相手がそうしようというなら薬を他の人に託せばいいし、 また、相手が嫌というのなら哀しいけれども相手にのませてあげればいいじゃないですか。(相手の幸せを願うということでは一貫しているから) あと残される人にしっかりと生き残ることの意味を教えてあげた方がいいんじゃないですか?(子供にしろ恋人にしろ) それは責任を押しつけるようで勝手なことかもしれませんがただ生き残るよりはましだと思います。 他人の命を云々するときの権利はないと言っているのに 10人の中に愛する人がいたならば優先順位をつけているじゃないですか。 (当たり前だとは思うのですが矛盾していることは矛盾していると思います。)

chihoko
質問者

お礼

●まず薬があることは 自分だけが知っているこれが大前提です。  ちゃんとこの前提を押さえて考えてみてください。  どんなに愛しあっていようとも 相手の死に結びつく選択は間違いです。  そして心中しましょうと 持ち掛けることは 相手の命にかかわることですから  持ち掛ける権利は ありません。  あなたは あなたのお好きなようにすればいいです。  ただ あなたのやろうとしていることは 愛する相手の生きれる可能性を  みすみす奪う行為として わたしには映るのです。 >他人の命を云々するときの権利はないと言っているのに  10人の中に愛する人がいたならば優先順位をつけているじゃないですか。  ●愛する人に薬を飲ませて 他の人に知らせないことは   他の人達の命に干渉していることには なりません。   もともとその薬に 他の人たちは権利がないのです。   こういう薬があるけど どうする?この時点で権利が発生します。   それを ああだ こうだと 決める権利はないですよ と言っているのです。   殺しあって その薬を我が物にしようが だれも責められません。  ご回答ありがとうございました。

  • _hiroya_
  • ベストアンサー率5% (2/34)
回答No.2

愛の哲学なんか? ただ、 >栄養剤です。とだましてのませちゃいます。 の場合、愛する残された人は、さぶいんじゃないの? 両想いの場合。君は死ぬだろ?10人の内そのひとだけ一人生き残るわけだ。 そのひとが虚無ってしまうやん。かなり。 君は愛する人を生かす事で、満足するか知らんが納得して死ぬだろ? 生き残った愛された人はどうすんだよ。 又、他に愛する人を探すのか?幸せになるとは限らない。 君と心中した方が幸せかもしれない。おれは男だからな、女のほうを生かす。子どもできるだろ?オンナだったら自分が生きなきゃなんねェンじゃないの?君の言う命の観点からするとな。恋人同士の場合、女を生かす。 愛する人が恋人でない場合、又いろいろなるな。自分の子どもだったら子どもに飲ますだろ?君の場合。俺なら子どもにたぶん飲ますと思うが。 >■10人のなかに 愛する人が居る場合。   栄養剤です。とだましてのませちゃいます。  ■10人のほかに 愛する人が居る場合。   こっそり自分が飲みます。   これ、どこが哲学なん?これだけやったら、ハネた女子高生の回答やん。ほんま。 愛の哲学をもうちょい補足してよ。 哲学的判断なのか、感情的な判断なのか、どっちかってゆうと感情的な判断だろ?コレは。頼むから補足して。ぜんぜん納得できんわ(笑。共感するけどな。

chihoko
質問者

お礼

>■10人のなかに 愛する人が居る場合。   栄養剤です。とだましてのませちゃいます。 ●愛する人が自分の子供だと考えると多くの親はわたしと同じ行動をすると  思います。こどもはなぜ自分が助かったのかすら知らずに生きるでしょう。  >君と心中した方が幸せかもしれない。  他者の命をトヤカク考察する権利は親とてありません。 >■10人のほかに 愛する人が居る場合。   こっそり自分が飲みます。 ●生き残っても虚無感は まったくありません。  罪の意識はあるでしょうが 愛により乗り越えられます。  牛を殺して食べても罪の意識が残ります。でも 自分の身体への愛により  その罪の意識を乗り越えているのが わたしたちの現実です。  哲学に基づく わつぃの無意識の選択です。  ■ノーマルな場合  ●自分だけたすかった時の 虚無感を知ってますので  他の九人に薬を 託します。  九人も わたしと同じ考えで くじ引きになってしまって  もし わたしが飲むことになったのなら  ありがたくいただきます。

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