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外人が日本の歴史について話した逸話

明治期のプロイセン軍人が関が原の布陣を見て西軍が勝ったのだろなどと言ったりヨーロッパの軍人が日本の江戸前期のに出来た城を見て飛行機が誕生した20世紀になるまで正攻法では日本の城は落とせないといったなど外人が日本の歴史について話した逸話は他にないですか

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  • sumseki
  • ベストアンサー率24% (12/50)
回答No.4

昔アメリカのJ.F.ケネディに日本人記者が、日本の政治家で誰が一番かと聞いたところ「上杉鷹山」と答えが帰ってきたそうです。その答えに日本人記者はだれもその人物を知らなかったとのことです。出羽米沢藩9代藩主で、幕府に藩そのものを返上しようかという末期的困窮の藩を見事にたてなおした人物です。その後クリントンも上杉鷹山の名を挙げたとか。 人も歴史の一部かなと思いまして…。

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noname#24488
noname#24488
回答No.6

 フランシスコ・ザビエルが日本に来て驚いたことの代表格は「男色」でした。当時のエライ人達は、美少年をいつもそばに侍らせていたようで、キリスト教聖職者たるザビエルはびっくり仰天したようです。  同時代の西洋の船乗り達の間に「日本女のアソコは横に割れている」という噂が広まっていたようです(何かで読んだ記憶がありますが、どの本であったか忘れました)。下品な話ですみません。  ザビエルはまた「日本人は今まで出会った異教徒の中で、最高の人種であった」と褒めてくれています。名誉を重んじる国民であるということらしいです。

回答No.5

こんにちは。 作家司馬遼太郎の創作かもしれませんが、私の好きな逸話です。 明治開国の時代、様々な分野で日本中から諸外国に向けてエリート達が留学しました。その中のエピソードで彼らが工場見学をしていた時の事、蒸気の仕組みや複雑な機械の仕組みを留学生達に教える工員達。彼らにしてみれば東洋の未開の人間に親切丁寧に教えてあげたんでしょうけど、ところがどっこい留学生達の学力、理解力は当時の世界基準と比べても遜色がなく、全然目新しい話ではなかったとの事です。  曰く「そんなことよりも『自由』ってなんでしょうか?」  科学や学問ではなくて「自由」や「平等」という概念を外国から仕入れたかったというお話でした。ちなみに工員達はこの切り返しに、非常に困ったそうです。当たり前の概念すぎて何と言って説明したものか悩んだんでしょうかね。

noname#25898
noname#25898
回答No.3

軍事限定とは、書いていないので、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の逸話を。 日本にやってきて、棚田の風景に感動したハーン。 わざわざ、あのような、田を作るとは、日本人の美的感覚は、すばらしいと、言いました。 わざわざ作っているのではなく、狭く、急勾配のため、やむを得ずああいう形になっていると、教えられました。

  • caesar-x2
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回答No.2

質問とは関係ありませんが、 関ヶ原の話は 日本陸軍の父であるメッケル談として有名ですよね。 日本の城の話は誰? 日本の城は大砲があれば、 ほとんどは簡単に落とせますよ。 だって石垣と土塁以外は 全部可燃物ですからね。 すぐに全部燃えちゃう。 いい加減な話、というかお世辞じゃないの。 ひとつ面白い話としては マルコ・ポーロの東方見聞録では 日本人は人食い人種として紹介されています。 「黄金の国ジパングでは金が豊富で田畑にも黄金をまいている・・・」 ってそれは堆肥(黄金は俗語で糞のこと)だろ、というのがオチ。

  • takuranke
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回答No.1

実話かどうか知りませんが、 ペリーが来た祭に、 伊能忠敬の日本全図を見て、 これほどの地図が作成できるのであれば、 軍事力も侮れないとして、かなり慎重になったと聞きます。 当時、西洋では地図作成は個人で行うものではなくなっていたそうです。 また、ルイス・フロイスの「日本史」を知っていた、諸外国は 日本の軍事力を恐れていたとも聞いたことがあります。 (戦国期の日本の武将のことがかかれていたので、かなりの戦闘力を持っていると思われていたみたいです) 一寸違うとはおもいますが。

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