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祈るときなぜ手と手を合わせるのでしょうか?
祈りとは、崇高な行いであると聞きます。 では、なぜ、祈るとき右手と左手を合わせるのでしょうか? 陰陽統一?なのでしょうか? 不思議に手を合わせると、自分のスピリチュアリティが 呼び戻されるような気がします。 稚拙ですので、わかりやすくご回答いただけると幸いです。
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↓勉強になりました。 合掌~何故手を合わせるのか~ http://www.rinnou.net/cont_04/rengo/2005-06.html
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面白い質問だなとおもったので、実践してみました。 両方の掌をしばらく合わせてみる。別に祈りもせずに・・・・あら不思議・・何故こんなに 落ち着くのでしょう?? これは使えますね。落ち着きたいときに手を合わせてみます。 回答じゃなくなってしまいました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうなんですよ!本当に不思議なんですよね! 人知を超えた何か。。が揺さぶられるような行為なんですよね。 賛同していただいて嬉しいです(*^^*)
“後付の説明”はいくらでも出来ます。 なぜ“手と手を合わせる(合掌)”のか? “自分のスピリチュアリティが呼び戻されるような気がするから”です。 合 掌
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど。 「理屈ではない、感覚的な真実」これは、確かだと思います。 そのことについて、「知りたい」とか「どうして?」という 理由を知りたくなるのが、かえって苦しみの原因になるかも知れませんね。 また、その逆も真でしょうが。。^^; 脳が進化すると、便利な反面ややこしくなることもたくさんありますね。 参考になりました。
- kigurumi
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いろいろな説があると思います。 わたしが知っている説。 <左の手の行いを右の手に知らせる。> 左の手は不浄とされているところがありますよね。 食事をするとき、合掌します。 生きるためには食べることが必須で、その際に必ず発生するのが、他者を滅する行為です。 「自分は菜食主義なので肉は食べないので不浄ではない」と言っても無駄です。 植物であっても生命です。 どんな人もこの滅する行為なしに生きられません。 合掌とは他者を滅することで生きる、生かされるということを知ること。 左手が行った行為を右手に知らせ、死と生は一つであると知ること。 これが食べるとき合掌をするという意味だとどこかで聞いたか読んだ覚えがあります。 確かに陰陽かもしれません。 食べ物を残すとすごく叱られると思います。 他者を滅しておきながら、それを自分の中に取り込まない。 贅沢というより、、、なんでしょう 失礼でもなく、、、無駄、、、とも違うし、、、傲慢、、、言葉がでてきません。 滅され損なわけで、滅しておきながら、ぞんざいに他者の死を扱う行為は、もはや生きる価値などない 生きる資格などさらさら無い くらいの感じでしょうか。 尊い生命を無駄にする行為なので、厳しき叱責されるんだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そう言えば、祈るときだけではなく、食事の際も手を合わせますね。 自分の中での統一。。なのかも知れませんし、 忘れてはならないことを、確認する行為かも知れませんね。 参考になりました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 興味深いサイトをご紹介していただきましてありがとうございます。 大変参考になりました。