- ベストアンサー
よく映画の字幕で
英語圏の映画を見ているとよく登場人物が「ファッキン○○」とか「シット!」とか「サノバビッチ!」とか言うと他の人が「まぁっ」といった感じで驚きますよね。字幕ではそれぞれ「クソ○○」「ちくしょー1」「この野郎!」となっている事が多い気がするんですがこれは妥当な訳し方なのでしょうか? なんとなくもっとひどい意味なんじゃないかと思ってしますんですが。 (十分ひどいかもしれませんが…) 映画を見てるとこれらがどれくらいひどい意味なのか感じがつかめなくて。お願いします。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
僭越ながら英国人(大卒)としてお答え致しますと、これらswear wordsの受け取り方は、個人によって異なります。たとえば、米南部のキリスト教原理主義的風土の中で、保守的な人たちに向かって汚い言葉を乱発すれば、顰蹙を買うのは当たり前、ということはご理解頂けますよね。日本人の皆様に意外なのは、Jesus Christ! でしょうか。神様の名をみだりに唱えてはならない教えに反する、ということで、礼拝の時に救い主イエス様!と祈る以外は、イエス様の名をみだりに唱えてはなりません。外国人の方は御注意くださいね。 テレビ放映等では、夜9時以降は大人の時間ということで、ある程度の裸体映像や汚い言葉も許されます。でも、子供たちが見る時間はタブーです。汚い言葉を小学生が大人に向かって叫ぶのは、社会的ショックですし、小児の不良化は暴力と並んで大問題です。 英国では、会社で汚い言葉を使うのは処分の対象にもなり得ますので、注意が必要です。本当に気の置けない仲良しの仲間同士の間であれば、多少のスラングや汚い言葉も勿論許される訳ですが・・・。 私個人としましては、「必要」以上にf wordsを乱発する方はちょっと・・・。言葉の効果が薄れますしねぇ。でもこの必要以上という判断も、個人次第です。 ところで字幕は、1秒間に4文字という厳しい制限がありますので、字幕に完璧な翻訳を期待されても無理ですよ。ニューヨークなど、皆さんにお馴染みのカタカナ表記以外は、この字数制限に縛られますので。この旨、何とぞご了承ください。 :)
その他の回答 (3)
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
まず回答。個人的には「妥当ではないが、今は仕方がないかも」と思っています。 次に、そのような字幕が付く理由。一つには、「文字として公けの場に出すべき表現」の解釈が、英語圏の“映画”製作者側と、日本の“配給”会社側とで微妙に異なるから。二つ目は、洋画字幕で多用されがちな表現が、ある程度、決まってしまっているからだと私は思っています。 他のご回答と重複しますが、例えばアメリカのテレビなら「ピー」になる表現が、アメリカの映画では許されていたりします。日本でも、このように「分野によって許される表現が違う」ということはあります。しかし、たまたま洋画字幕の世界では、穏やかな表現を好む傾向にあります。「ダウン症」とせずに「蒙古症」とするだけでも、「ストーリー上必要だった」という断り書きをするほどですから。 それから、翻訳文独特の表現ってありますよね。今時の少女なのに「~するわ」とか、今時の少年の「~かい?」とか「~なのさ」とか、なんでも頭に「クソ」を付けるとか(例:「クソおんな」)。んん、あまり、普段は聞かんです。でも、翻訳者が違う表現を選んでも、編集で直されたりします。 ちなみに、洋画字幕では「まぁっ」なんて滅多に許されません。「まあ」です。で、「まあ」と言わせるには、やはり「ババア!」くらいは言わなきゃね。 もしも、字幕について疑問を感じたら、配給会社にご意見を送ってください。字幕の世界を変えましょう。
- Ganbatteruyo
- ベストアンサー率63% (4601/7273)
アメリカに38年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 これらの表現は人によって(特に宗教的ということではなく、まったく宗教とは関係のないものです)、普通の表現として(いいフィーリングでも悪いフィーリングでも)使う人もいますし、この表現を毛嫌いして使うのはもちろん聞いただけで気が遠くなる(ちょっと大げさですが)、人もいます。 多くの映画での使い方を見ると本当に問題ない表現のように見えますね。 確かにそうなのです。 使う人は本当に「悪気」なしに使っていますしFxxxing goodなどとその人にとっては「一番いい表現<g>」としても使われているときすらあるわけですね。 政府としては言動の自由を認めているわけですが、教育関係、世論的団体ではその自由を認めていません。 なぜなら、これらの表現への評価が著しく差がある、という理由が大きな問題になっていると認識したわけなのです。 つまり、一部の人が一部の人の生活を乱すと感じればそれはすでに自由とはみなさない、という一貫した考えの下からきているわけです。 自分の家でカーテンを閉め真っ裸でいるのはその人の自由です。 しかし、真っ裸でいてもいいとされる公共の場所以外ですれば刑法によって罰せられますね。 しかしこれらの表現には使い方というものがあります。 (他の表現とまったくおなじことなんですが) つまり、怒った顔で怒鳴りながらこれらを言えばかなり感情的な表現をしているなと感じることはできますね。 しかし、いかにも単なる形容詞のひとつとしていかにもさりげなく言う人であればその感情はない、もっと弱いものだ、と感じることはできるわけです。 しかし、その弱い表現でも「許せない」と感じる人たちもいるのです。 その人たちの耳に入らなければ「そば耳を立てて重箱の隅をつついているのではなければ」、いった人の自由として認められるわけですね。 日本語の悪いとされる表現でも同じことですね。 このやろう!と怒鳴るのと、軽く言うのとでは、どれだけ相手に聞かせたいのかの差はありますね。 そして、大人の世界の言葉の常識、というものの存在を無視するかこだわるかによって、他の人の評価が変わってくるわけです。 ストリートギャングと一緒になるときには必要以上に(もっと以上に)これらの表現を普通の形容詞や「感嘆詞」として使う必要が出てきます。 そうしないことには彼らの一部にはなれません。 この「彼らの一部」というのが学校でのキャンパス生活の一部として現れてくるわけです。 実家を始めて出て生活をするのがこの「大学生時代」なのですね。 地元の大学がある人は非常に限られているわけです。 そうすると「新しい友達」ができ、その友達によって今までの言語基準というものが崩れ始める可能性を持っているわけです。 18になり、多くのことから開放されることになるわけですが、このF-wordsへの免疫が少なくなるのもこのときなわけです。 ということで、F-wordsがすべて悪いということではなく、TPOをわきまえない使い方になれてしまうと大変なことになる、ということと、どれだけ感情的にこれらの表現を使うかによって日本語訳は変わらなくてはならないということなのです。 また大人の社会に入って、これらの表現の「自分のみのためにならない」表現だ、だんだん考え方が変わり普通の大人になっていく人のほうが多いわけです。 高校・大学でつっぱていたやつが社会に入ったらちゃんと敬語を使えるようになった、というのも普通なことですね。 だからこそ、日本人留学生なんかがこれを「子供の社会」で覚えて言ってしまい帰国し「元留学生気分」を撒き散らしながらこれらの表現を使っているのはまったく馬鹿がやることだということになりみっともないことが彼らにはわからないわけですね。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
お礼
御回答有り難うございます。大変丁寧かつ説得力のある回答、感謝致します。 洋画の中では、登場人物がF-wordsを乱発する事やそれに対しての周りのリアクションで、登場人物の生活環境や人間関係を説明しないでも 理解できたりしますよね。この人たちは特別親しいんだなーとか。 私は全くと言ってよいほど英語ができないんですが、日本語においての敬語/日常語/くだけた話し方を英語ではどう分けられ表現されてるのかとよく考えます。日本語ってだんだん変化、あるいは乱れてきてるといいますけど英語でもそういうのがあるのかな、と。イントネーションが変わってきた、とか。
一応直訳するとクソ○○などですが 感覚的に言うと・・・ 大の大人が人に対して 「おまえはキチ○イか!」とか 「どこ見てるんだメ○ラ!」 と言っているぐらいにインパクトがあるようです。
お礼
御回答有り難うございます。なるほど、です。公の場で言うのにはかなり大胆な表現だという事が分かりました…。
お礼
御回答有り難うございます。とても興味深く読みしました。 質問に書いた台詞って日本の若い男の子達が日常的に使っている言葉の 様に思え、これらの言葉の表現に差異(伏せ字になったり)があるのは国の倫理観の差なのかなぁ、なんて思ったりしたんですが一概にそういうわけでもないんですね。有り難うございました。