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江戸時代「好色」はほめ言葉だった?
江戸時代「好色」はほめ言葉だったとある雑誌に載っていましたが、 本当でしょうか? 「流行に敏感で、センスもよく、おしゃべりも上手で、気遣いができ、教養があり、外見もいい」という意味だったそうですが。 「好色一代男」はダメが男の物語と思っていましたが、 もてる男の物語だったのでしょうか? 広辞苑をひいても、そのような記述はないのですが。 よろしくお願いします。
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もともと好色という漢語は「好ましい色(color、そもそも「好」は美しい、みめよいという意)」という意味で、それを和語の「色好み」と同じ意味にしたのは西鶴です。これが現在使われている「好色」です。実質、現在使われている「好色」という漢語自体を世に広めたのが「好色一代男」といってもいいでしょう。ただし、現在の意味は中国故事にでてくる「好色」の概念の方です。儒教のせいだと思います。 日本の歴史の中で「好色=色好み」がとても好まれた概念であることはごく常識的なことですよね。いろんな古典文学にそれはあらわれています。好色という語に、なにやら背徳的な感覚を受けるのは、明治以降のストイックな官製儒教教育が強力に推し進められてからのことです。 ご質問文に引用されているような「ほめ言葉」であったかどうかなんですが、どうなんでしょう? 当然ですが遊郭ではほめ言葉です。上客ですから。そういう意味では、「遊び」の世界では引用どおりのほめ言葉かもしれません。 しかし、どう読んでも好色一代男・世の介はアウトサイダーです。儒教とは真反対、禁断の男色、幕府は子ども作って養えと精励恪勤を押し付けるがそれにも背を向ける。これらのことは、しかし庶民の意識と同一だったとは思えません。世之介は人が「やりたいな、やれればいいな、でもできないな」ということをやってみせるダーティ・ヒーローなのです。この概念における好色をほめ言葉とするとアウトサイダーに華がありません。あくまでも裏側に生きてこそがアウトサイダーでありダーティ・ヒーローなのだと思います。 「流行に敏感で、センスもよく、おしゃべりも上手で、気遣いができ、教養があり、外見もいい」ということが好色であることをさすこと自体には、またそれも一理ある気がします。ただ日本の文学史上では、それに情が伴っている場合は「好」、技巧である場合は「穢」とみなされているのではないか、などと思いました。 回答ではなく感想文のようになってしまいました。m(_ _)m
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- kumagerasu
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西鶴の好色ものは読まれたことがありますか?難しくないですから読まれればよいと思います。 「流行に敏感で、センスもよく、おしゃべりも上手で、気遣いができ、教養があり、外見もいい」という用法があるかどうか知りません。 現代の好色というのは性的なものを好むという意味でしょうが、西鶴の好色ものを読むかぎり、そこで描かれているのは、封建的な身分制度とか世間的なしきたりにとらわれることなく、愛を貫くという物語です。 現代の言葉でいうと、たとえばですが「純愛」というようなニュアンスがあるかもしれない感じがします。たとえば、ロミオとジュリエットのような物語も江戸時代の日本人の用語では「好色」という形容になったのではないか、という気がします。
ほめ言葉だったかどうかはともかく、特に貶める意味はなかったと思いますね。平安時代の「色好み」と似たようなものでしょう。『好色一代男』を読めばわかりますが、世之介は江戸版光源氏です。一度実際にお読みになってみてはいかがでしょう?