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昭和30年代の促音の表記方法
昭和37年に書かれた文章中、促音が小文字でなく、全て普通の大きさの文字で表記されているものを見つけました。前後に書かれた本でも同様の表記方法をとっているものがあります。 例えば、「ちょっと」を「ちよつと」、「・・・であった」を「・・・であつた」と表記する類です。 このような表記方法は当時一般的だったのでしょうか?このように書く人の比率はどの位だったのでしょうか? 国語関係の審議会か何かで促音は小文字で書くことが打ち出されたのはいつ頃でしょうか?
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『現代かなづかい』(和21年11月16日 内閣告示第33号)は改正され、 『現代仮名遣い』(昭和61年7月1日 内閣告示第1号)が出ていますが、 ここでも「なるべく」にとどまっています。 >第1(原則に基づくきまり) >2 拗音 > 〔注意〕 拗音に用いる「や,ゆ,よ」は,なるべく小書きにする。 >4 促音 | 〔注意〕 促音に用いる「つ」は,なるべく小書きにする。 昭和21年の「現代かなづかい」以降、新聞記事や学校教科書その他の公用文はこれに則っているはずです。 ちなみに、法令の条文については、戦後もずっと旧来の慣習を踏襲していましたが、平成元年1月以降に制定された法令は小書きに変わりました。下記はその通知文書です。通知文書の本文そのものは小書きになっていなかったりします。 → http://www5d.biglobe.ne.jp/~Jusl/Bunsyo/yayuyotu.html 『法令における拗音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記について(通知)』 (昭和63年7月20日 内閣法制局総発第125号) そのほか、公用文でも拗音や促音を小書しない慣習が残っている場合があるようです。 たとえば、ネット上に公開されている自治情報センター(総務省所管の財団法人)の『地方公共団体コード住所一覧』は、ごく最近まで市区町村名のふりがなの拗音・促音が小書きになっていませんでした。現在は、わざわざ「ふりがな小書」と明記されています。 → http://www.lasdec.nippon-net.ne.jp/com/addr/kaku_ken/hokkaido.htm 現在「さっぽろしちゅうおうく」 以前「さつぽろしちゆうおうく」 …など。 現行版の「現代仮名遣い」は、「現代の国語を書き表すためのよりどころを示すもの」であり、「科学、技術、芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない」と、前書きに明記されています。たとえば作家の丸谷才一氏の文章は、歴史的仮名遣いで書かれています。当然ながら拗音や促音は全て小書きではありません。(漢字は新字体を使用) 質問者さんがお読みになった船会社の社報の文章も、その社長個人の信条や社報の編集方針として旧仮名遣いを使用しているものと思われます。印刷所は、発行者・出版元の編集方針にもとづき原稿通り忠実に組版・印刷することが使命です。歴史的仮名遣いを使用する方針で書かれた原稿に間違って拗音や促音が小書きされていれば、校正できちんとチェックが入ることでしょう。校正者や組版担当者が無断で文章を変更することはありません。
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- Big-Baby
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#5の方が書かれているように現代仮名遣いが発表されて以来、すべての新聞、すべての教科書、すべての公文書は現代仮名遣いで書かれるようになったはずです。ただ、それ以外の書籍は出版社によりまちまちでしょう。いま、手元に昭和26年のサンデー毎日と昭和30年の文藝春秋があります。サンデー毎日では三分の二くらいが新かなで、促音は小文字です、残り三分の一くらいは旧かな、促音はもちろん普通の大きさです。文藝春秋の方も、三分の二くらいが新仮名遣い、三分の一くらいが旧仮名遣いなのですが、驚くべきことに、新かなの文章でも、促音は普通の大きさで書かれています。出版社の方針としかいいようがないですね。昭和37年では旧かなの出版物はかなり減っているはずですが、それでも、とある教団(オウムではありません)の出版物が37年以降もしばらくはすべて旧かなで書かれていたことを覚えています。米国の圧力下になされた改革に従う必要はないとの立場からです。昭和37年といえば、強力な旧かな論者である福田恒存氏も健在でしたね。氏の思想に共感を覚える社長さんなんかもいたのでないですかね。ただ、出版物全体の中ではそれほど多くはないはずです。戦後の国語改革については参考URLを参照してください。
お礼
文藝春秋やサンデー毎日でも新旧が混在していたとは驚きました。 出版社の方針としてそのようにしていたかは、議論の分かれる所だと思いますが(原則として#5の方が言われるように、編著者の意向に全面的に従うのが普通だと思いますが、)個人レベルでは、今でもかなり旧仮名遣いに固執する方はおられますから、昭和37年当時は結構新旧が混在していたのだと想像できます。
- Diogenesis
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#3です。 肝心のご質問にお答えしていませんでしたね。 >国語関係の審議会か何かで促音は小文字で書くことが打ち出されたのはいつ頃でしょうか? 昭和21年9月21日の国語審議会答申の別冊「現代かなづかい」の中に 以下のような記述があります。 http://www.bunka.go.jp/kokugo/frame.asp?tm=20061019161302 >第9 拗(ヨウ)音をあらわすには,や,ゆ,よを用い,なるべく右下に小さく書く。 >第10 促音をあらわすには,つを用い,なるべく右下に小さく書く。 「なるべく」だったのですね。 なお,#3の回答中で「旧仮名遣い」と書きましたが, この用語法には異論もありますので 「歴史的仮名遣い」と訂正させてください。
お礼
有難うございます。 昭和21年9月21日の国語審議会答申でしたか。 でも「なるべく」だったので、なかなか浸透しなかったということなのでしょうね。 個人的に「歴史的仮名遣い」にこだわった人も多かったと思いますが、この社報は全巻に亘り「歴史的仮名遣い」が貫かれており、印刷所のスタンスとも考えられるのですが、当時そういう印刷所も多かったのでしょうか?
- Diogenesis
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旧仮名遣いでは外来語を除いて拗音,促音に小字を使わないのが原則です。 http://www.weblio.jp/content/%E6%97%A7%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3%E3%81%84 たとえば青空文庫には 旧字旧仮名遣いと新字新仮名遣いの両方でテキスト化された作品がありますので 見比べてみてください。 太宰治 「列車」 http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/312.html http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/313_15102.html
お礼
なるほど最初にご案内頂いたWikipediaの「歴史的仮名遣」の項の中に、歴史的仮名遣(戦後の国語国字改革による現代かなづかいの発表まで、日本語の事実上の正書法として使用されてきた表記法)では拗音,促音に小字を使わないのが原則だと書いてありました。太宰治の作品で両方の違いがよく感じ取れました。 ただ、昭和37年の時点でも依然として、歴史的仮名遣が結構使われていたとは、人間は新しいものを受け入れるのを好まないということなのでしょうか?
社報なら、多分、校正ミス、若しくはワンマン社長の書いたものを正すのをはばかられた。怖くて出来なかった。 こんなとこではないでしょうか。 その当時の小学校の教科書を見たことが有りますが。小さい「っ・ょ」使って有りましたよ。 それ以前は不明です。
お礼
この社報は全巻ほとんど同様の表記方法です。従って校正ミスは考えられないと思います。ワンマン社長の書いたものを正すのをはばかられた、というのは私もえらい先生方の文章を直すのに、気を遣った経験があり、気持ち的には理解できます。
年齢がばれてしまいますが、昭和37年でしたら新聞、教科書、児童用の書籍などは小さい「っ」を使っていました。 その本はどんなジャンルの本ですか?
補足
早速回答を頂き、有難うございました。 該当の文章は、当時ある船会社の社報に掲載された、社長(明治生まれ)執筆の随筆で、いわゆる能書家の人でした。ところが、この社報に載っている文章を見ると、その他の文章もほとんど(全部?)同様の表記方法をとっています。又当時或いはそれ以前の本も普通文字のものと小文字のものの双方が混在しています。思うに、当時は手書きの場合の表記方法と別に、促音を普通文字で印刷する習慣があったように思われますが、如何でしょうか?
お礼
懇切丁寧なご説明、どうも有難うございました。民間はもとより公用文でさえ、未だに歴史的仮名遣いが残っているとは現代仮名遣いの運用もかなり自由度の高いものであることがわかりました。一般の書物においては、著者・編者の方針で歴史的仮名遣いを使っている例もあるのですね。