この世の全ての物事には、必ず原因と結果があり、原因がないのに結果ができたり、原因があるのに結果がない、などというものは何一つありません。もし、これに反するようなことを説くとすれば、それは因果を無視した、道理に外れた教え、ということになります。
キリスト教などでは、万物創造の神を立て、人間や地球・宇宙は神によって生じたのだと、巧みに因果を説いているかのようですが、では、その肝心な神はどこから生じたのかと問うと、神は時空を越えた、元からの実在であって神の生ずる原因はない、といいます。つまり、原因が途切れてしまうのです。
したがって、万物創造の神を立てること自体が、因果を無視した邪説である、ということになります。
もし、そのような教えを信ずるとすれば、信じた側は、因果無視の邪説の影響を受け、不幸になることは必定です。
実際に、汝の敵を愛せよと説く神父が、私達の言動に対して、憤慨し、大切とされている聖書を叩きつけたことがあります。そして、信者の中に犯罪者が出ることを追究した時も、悪いことをする奴は悪いことをすると言っていました。ということは、信心しても直らない、力の無いことを白状されています。
如何でしょうか?
お礼
キリスト教を認めているのか、否定しているのか、おもしろい意見ありがとうございます(笑)素直でいいですね。 皆様の中にはキリスト教と言うと教会行ってアーメンアーメンを想像する方もおられると思いますが、それだけじゃないですよ。外で遊んだり、キャンプしたりもします。演技っぽいと言われますが、それはTVドラマなどを見てでしょう。実際にはそーでも無いですよ。あと懺悔についてもそう。実際はたいがい一人で静かな場所でしますんで自慢も役者も関係ないですよ。 最後に一応まだ若いんで、不倫とかイメクラとかを違った言い方で言ってもらえたら嬉しいです。