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「思い出す」ときのイメージの歪みについて
一日が終わったとき、「今日はこんなことがあったな」と、頭の中で出来事を思い描きますよね。 このとき、自分が目で見たそのままの映像ではなく、自分以外の第三者が別の角度から見た(仮想の)イメージに変換されていることがよくあります。 目では自分は見えないはずなのに、思い出すときのイメージでは自分の後姿が組み込まれていることがよくあります。 夢でも第三者の視点から自分を見てるということが多いです。 思い出すときのイメージが大幅に歪められてしまうのはどうしてでしょうか。 また、人によっては「見たまま」思い出すものなのでしょうか。 ある日、ふとこの不自然さに気がつき気になっています。
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こんにちは。 脳内の「記憶」と言いますのは、バラバラのパーツとして保管されています。例えば、視覚や聴覚か得られる「色」「形」「音色」「速さ」「空間的配置」「時間的配列」といったものは、同じ感覚記憶でも処理する場所や保管されている場所が違います。また、それを示す「言語」「概念」といったものは、知覚された対象や現象に対して脳内で後から宛がわれる情報であり、感覚記憶とは性質も作られ方も違います。このため、情報といいますのは種類ごとに最小単位で獲得され、バラバラのパーツとして脳内に保管されるわけなのですが、これらはひとつの事柄や同じ場所、あるいは同じ時間、同一の体験といった条件によって「連想記憶」の関係にあり、また、個人経験や一般常識などに基づいてカテゴリーごとにきちんと分類・整理されています。ですから、我々は目的に応じてそれを使い分けることができるわけです。 ところが、申し上げるまでもなく、コンピューターとは違い、我々人間の記憶といいますのはたいへんあいまいなものです。記憶の確かさと言いますのは、情報を獲得するときの印象や注意力などによっても左右されますし、再生時には時間的な劣化や混同などによって上手く思い出せなかったり、間違えたりといったことは人間ならば幾らでもありますよね。 我々が何かを思い出すということは、このようなパーツを選び出して組み合わせるということです。従いまして、そこには必ず何らかの「情報不足」が発生します。 パーツが足りないので思い出せない、あるいは思い出しても意味が分からない、といったことでありますならば話は極めて簡単なのですが、このような場合、我々の脳は過去の体験や一般常識といった別の記憶を使い、情報の不足を補おうとします。実際には見ていないはずの自分の後姿を思い出すことができるのはこのためです。 例えば、短い二本の鉛筆を縦に並べ、つなぎ目のところを消しゴムで隠したとします。見れば大概のひとは、それが一本の長い鉛筆であると解釈します。つまり、脳は見えない部分、欠落した情報を体験や常識によって補ってしまうわけですね。 当たり前のことだと思われるかもしれませんが、コンピューターにはこのようなことはできません。全ての情報が与えられていないにも拘わらず、どうしてそれなりの結果を選択することができるのでしょうか。このようなメカニズムはまだ全く解明されていないのですが、脳がこんな反則技を使うのは、あいまいでも構わないから何らかの結論を出してしまい、なるべく早く安定した状態に戻ろうとするからだと考えられています。つまり、神経細胞を働かせるというのはエネルギーの消費であり脳にとってはストレスなのですから、それは常に終息の方向に向かわなければならないというわけです。そして、もしこのメカニズムが働かなかったとしますならば、脳は結論を出せず、永遠の入力待ち状態になるか暴走をしてしまします。 このため、脳は情報の不足を補って結果を出そうとするわけですが、記憶のあいまいさに限らず、図らずも我々の様々な勘違いや思い違いといいますのは、全てこのときに発生します。事実と異なる記憶の再現というのは、このような脳の性質による必然的な現象です。 「あのときのメンバーは三人だった」といった論理的な記憶でしたら、我々は比較的正確に思い出すことができます。ですが、あの木には幾つのリンゴが生っていたのかなどということになりますと、視覚記憶ではまず再生が不可能です。 短時間で消えてしまうこのような感覚情報を訓練によって長時間保持したり、あるいは生涯に渡ってそれを再現できるというひとも稀にいるそうですが、基本的には、同じ対象物から得られた視覚記憶でも脳内ではバラバラの情報になっているのですから、通常の我々にとっては、それを思い出すというのはパーツを引っ張り出して組み合わせるということです。ですから、見たものをそっくりそのまま正確に思い出せるというひとはほとんどいませんし、画家やディザイナーのように色彩や形に敏感なひとは、より細かい情報を獲得し、それぞれをきちんと組み合わせるといった技能や訓練が備わっているのではないかと思います。 わざわざ他人の視点から見た記憶が再現されるというのには何らかの心理作用も働いているのかも知れませんが、それとは別に、自分の正面にあった視覚記憶がパーツとして上手く揃えられないとか、あるいは何を見ていたかよりも、そのとき自分がどのような状況であったかに関してはこちらの方が結論を得やすいといった理由も考えられると思います。 何れにしましても、そこには実際の記憶にはない適当な情報がめちゃくちゃ都合良く組み合わされています。脳はこのようにして勝手に情報を作り変えてしまうのですが、そうしなければ、与えられた範囲で結果を出すということができませんので、我々は考えたり、思い出したりといった作業を永遠に終わらせることができないということになってしまいます。また逆に、与えられた情報だけで未来の結果を予測したり、知らないものでも作ってしまうという人間の創造力などは、このような脳の離れ業によって初めて実現する、コンピューターには真似のできない素晴らしい能力ですよね。
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- 783kaiketu
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記憶は、見たものやその行為が 強烈なほど よく保持され思い出せるといわれています。 普通に、一日を思い出すとき、 「あそこに行って、次はどこで、それから・・・」と自分が動く姿を 追いかけて行きます。 ところが、非常にびっくりしたことが途中であった場合、その場面には、自分が入っていないことがあります。 さらに、本で熊という言葉を考えたとき、昨日までかわいい熊をイメージしていたのに、 ニュースで、人を殺したような熊の映像があり強烈な印象が残った場合、 パッと思い出すのは、恐ろしい人殺しの熊の映像です。 ですから、思い出すとき、言語フィルターを通して、自分の持っているイメージ、たとえばホテルの 前を通過したときに、自分の良く知っているそのホテルのイメージに焼き直される可能性もあります。 あるいは、びっくりしたこと、怖いことなどが有った場合、過去のイメージに上書きされて、 怖いイメージが、より強く思い出すされるのではないでしょうか。 人間は、知らないことでも、想像力で、イメージできます。実際のものと違っていた場合は、 やはり、実際のものに驚き、あるいは失望し、よく記憶しますね。 より思い出されることは、やはり自分の記憶の中で、より記憶されているため、歪むこともあるのではと思います。 いかがでしょうか。 以上
お礼
言語フィルターやその言葉の自分の経験に基づいた意味合い、それにインパクトがあったかどうか、それらが影響しているのですね。 思い出すときはボーっとしているのですが、「今日の再現」みたいに巻き戻して再生を頭の中でイメージしています。 確かに何回も同じ場面を再生してみると必ず歪んでくるものですね。 ご回答ありがとうございました。
- 24blackbirds
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幼少時には人は見たものをそのまま記憶しますが、大人になるにつれ、「言語」に翻訳して記憶する傾向があることがわかっています。 有名な心理学の実験で、同じ画像を被験者に見せ、「蜂の巣みたいですね」と説明した群と「帽子みたいですね」と説明した群の被験者に後日画像を復元して貰ったところ、その言葉によってゆがめられた画像が返ってきたそうです。 ただし、見たまま覚えることができる「直感像記憶」の能力を持つ大人も存在するのですが。脳が楽をして記憶するには情報を言語のフィルターにかけて保存する方が効率的ですよね。
お礼
記憶をするときに言語のフィルターをかけているから、思い出すときにもその言語フィルターの影響を受けたものを再構築して思い出しているということですかね? それならばやはりイメージが歪められてしまいますね。 「直感像記憶」の能力を持つ人、そういう人は存在するのですね! ご回答ありがとうございました。
- yoshi_yoshi_
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こんばんは。 30代女です。私の場合ですが、 幼いころの記憶は、大分歪められていますね。 ままごとしてる妹と自分の姿が見えますから。 でも、1日が終わったときとか、きのう彼とこんなことしたなとかっていう新しい記憶には、自分の姿は出てきません。
お礼
yoshi_yoshi_さんの回答を見て、自分の幼少時の記憶を思い出してみましたが、見たままのイメージが強く残っている傾向にあるみたいです。 yoshi_yoshi_さんとは逆の傾向にあるみたいですね。 ちょっと驚きです。 回答ありがとうございました。参考になりました。
お礼
>我々の脳は過去の体験や一般常識といった別の記憶を使い、情報の不足を補おうとします。実際には見ていないはずの自分の後姿を思い出すことができるのはこのためです。 これの作用によって私の記憶が歪んでしまったのかもしれません。 >あるいは何を見ていたかよりも、そのとき自分がどのような状況であったかに 断片的なイメージのものではない一連の意味を持っていた出来事を思い出すときは、ストーリーとして再現することもあるので、自分がイメージの中にも参加しているという脚色がなされているのかもしれません。 脳の仕組みにも触れながら分かりやすく回答していただきありがとうございました。納得しました!